朝目が覚めてカーテン越しに晴れた空がぼんやり視界に入ると

 

 

いま自分がどこにいるのかわからないような感覚になるときがある。

 

 

 

 

それは "人生の地図" って意味において。

 

いまここはどこだったか。

 

 

自分はどこに向かっていたのか。

 

 

 

まぁそういう感覚はいまにはじまったことじゃなくて。

 

若いときからたまにあって。

 

 

 

ただ昔はそんな地図のなかに迷い込んだ俺を

 

 

確実にいまに呼び戻す何かがあった。

 

 

 

 

何だった。笑

 

 

 

ただ、自分が必要とされてるというそれが

 

 

よくその辺に咲いてたのか。

 

 

 

 

いまも助けを求める声はよく聞こえるけど。

 

 

俺の名を呼ぶ声は耳をすましたときでさえ聞こえない。

 

 

 

いや、耳をすましたときにこそ、聴こえないのか。笑

 

 

 

でもまぁ。

 

 

いまの俺なら俺自身も別にいらない。

 

 

 

俺はもうオッサンだ。

 

誰が何がどうじゃない。

 

 

 

苦しみ悲しみを越えていく足場もこの先の景色も。

 

自分で組み立てる作業を続けるだけで当然。

 

 

 

それは寂しくも悲しくも、特別でもない。

 

大人は皆、その工作箱のなかで。

 

 

 

自分なりの幸せをまた感じられる瞬間のために。

 

苦しみも悲しみも。

 

 

綱引きのバランスで。

 

 

 

ほらな。また少しは頭も回るようになった。

 

証拠?

 

 

言葉はそれなりにスラスラ出てくる。

 

 

ラッパーのリリックみたいに金にはならないけどな。笑

 

 

 

でもこの世の全員。

 

生まれて生きてるってことそのものが

 

『人生』っていうシットのなかでバースを与えられてるのと同じ。

 

 

 

 

とか言ってみるのもたまにはいいか。

 

 

 

ビートはハートのスネア。

 

 

金になるもならないもそこで何を蹴るか。

 

 

クソばっか蹴ったら両親にもビートにも俺にも失礼。

 

 

 

 

俺は俺のものじゃない。

 

 

 

神と親に与えられた大事な借り物のバース。

 

 

 

つって。

 

 

 

               Life Goes On

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな目で俺を見るな