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2012-01-09 03:32:57

第三舞台「深呼吸する惑星」

Theme: 日記
鴻上尚史が率いていたのが「第三舞台」と呼ばれていた。
先日、10年ぶりの復活を迎えたかと思ったら、
復活して、それが最後の第三舞台の公演となったようである。

この不思議なネーミングである「第三舞台」ってどういう意味なのだろうかと
常々思っていたのだが、公式HPにはこのように書かれている。
http://www.thirdstage.com より

「まず第一舞台がありまして、それはスタッフとキャストが力を合わせた舞台のこと。第二舞台は観客席。第三舞台は、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台。劇団の自己満足に終わらず、お客さんが付き合いで来ているだけでもない、最上の形で共有する舞台、ということで第三舞台と名付けました。」(鴻上尚史/早稲田演劇新聞1981.VOL7)


私が最後に第三舞台を観たのは、多分、「スナフキンからの手紙」だったと思う。
10年くらい前の話のはずである。
その頃は、ある事情があり、とても貧乏で、社会との関わり方について
失望していたといってもいい時だった。

そんな時に、その「スナフキンからの手紙」を観て、
「言葉では表現できないような何か」を私は受け取った。

見終わった後、しばらく「ぽー」っとして、その余韻を楽しむことができた。
その余韻とは、言語化される前の混沌とした感情の塊であり、
文字通り、「言葉にはしずらい何か」が私の中に渦巻いた。


芝居やら舞台は、通常、最初はギャグを取り混ぜて、はちゃめちゃでスタートする。
そして、物語が進むにつれて、だんだんとその断片的なエピソードが
集約され、意味を持ち始め、そして最後に「うるうる来てしまいそう」な
結末を迎える。
「あぁ、こういうことが訴えたかったから、あのような伏線があったのか」
と最後の最後で全ての謎解きが一瞬にして行われるのである。

このやり方は、映画とはまったく路線が違っている。
映画は、「積み上げ型」とでも言うべきで、徐々に全貌が見えてくるものだが、
芝居は、最後でいきなり「すとん」と落ちるように理解できるのである。
(中には不条理を狙っており、最後まで意味不明なものもあるが)


今回の「深呼吸する惑星」もご多分に漏れず、最後に「すとん」とくる感じである。
理論的にそのように仕組まれている(演出家さんの腕ですかね)のだが、
それよりも、役者さんのキャラづくりがすごいため、
無言のラストで、涙がじわーっと出てしまいそうになるのである。
その、感情のうねりとともに、全てがつながっていく感じである。


数少ない芝居を見た中で、鴻上尚史の脚本・演出のものは素晴らしいものが多い。
彼が映画を作ったら、どんな映画になるのかなと、ちょっと興味深かったりする。
(煮詰まって、投げ出してしまうのではないかと勝手に憶測するのであるが)

世の中には、こういう「見た人の心を揺さぶるもの」を、長い年月をかけて
作り上げている人たちもいるのだなと思うと、とても幸せな気持ちになる。

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