難民問題を「ニュースる」と早速《る言葉》を使って見た。意味としては「ニュースを見た」と言うだけのことである。遺憾ながら大阪の田舎爺さんとしてはニュースを見ることによってだけしかこの問題に関われない。

 トルコ以南紛争地・イラン方面からの難民が陸路海路を伝ってまず目指すのは「EUの入口」たるハンガリーである。戦乱の地に暮らしていたのでは平穏な日々の暮らしなど望み得べくもないから、彼らは着の身着のままでハンガリーの首都・ブダペストに殺到する。そのためブダペストの鉄道駅前は今や《難民キャンプ》と化している。

 難民が目指すドイツ・フランスの側は「全部を受け入れる事など不可能だ」としてEU参加の各国での『分割受け入れ』を提唱するのだが、両国に比して国力の劣るハンガリー側は「そもそも難民問題はドイツの問題だ」として突っぱね、同じく国力の劣るバルト三国も分割受け入れには消極的である。「石を持て追われる如く故郷を」出た難民達に安住の地はない。

 紛争当事国ではない日中両国などは呑気なものである。日本では5年後のオリンピック開催に関連して官民総出で擦った揉んだしているし、中国では国威発揚の巨大軍事パレードである。
 我々は《紛争》などとお気楽な用語を使っているが現実は武器弾薬を駆使しての殺し合いである。家を焼かれ田畑を焼かれ親類縁者を殺されたのでは《難民》になるのも無理からぬ事態ではないか。イスラム国の跳梁を惹起したアメリカにも当然この責任はあるが彼らは国を追われた人達の為に何かしただろうか。

 金カネ金の世の中で泣くのは弱い者ばかり(必殺仕事人)である。🚀🚀🐳🐳📺😅😠😰😍😡。