武蔵野中学校の受験者向け練成会への魅力と、武蔵野を受験しない方にとっても有益であることをお伝えするべく、各教科に対して武蔵野が考える本質を書かせていただいております。


☆当ブログ「国語を学ぶ社会に対する意義」については、こちらをご覧ください。

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 国語・数学と来て、今回は「社会科を学ぶ意義」について書かせていただこうと思います。


 現在は、大学の講義しか担当しておりませんが(4月からは大学院も担当いたします)、私のスタートは、中高の社会科の教員でした。

 現在では担当はしておりませんが、過去社会科の各科目を担当させていただいてきた立場でもあります。


 私のことは兎も角、武蔵野では社会科を勉強する意義は、まず最初に「訳(理由)を知る」ことにあると考えています。

 おわかりのように、社会科の各科目は、全て人間の営みを学ぶ形になっています。

 歴史は、過去の人達の行動してきた足跡ですし、現代社会(政治経済・倫理社会)は、現在(過去も含む)の世の中のしくみを学ぶものです。当然そのしくみは、人間が歴史の中で作ってきたものとなる訳です。

 地理というと、地形とか気候とかを連想する方も多いかもしれませんが、教科目としては人間が各地で生活する営みを学ぶものになっています。地学のような地球の構造や成り立ちを学ぶのではなく、あくまでも人間生活に根ざした地形の意味とか気候の特色を学ぶのが地理の役割です。


 と、このように、社会科の各科目が全て人間の営みを語ったものであるからには、それ相応の「理由」があります。

 例えば、平安時代という貴族の時代には、荘園制というものがつきまといます。

 大化の改新の公地公民では努力しない人も多いことから、荘園という私有地を朝廷は認めたのですが、荘園領主という人から見れば、一番不安なことは「土地を取られて泣き寝入りすること」でした。

 そこで、地元の有力者から始まり、果ては中央の有力者まで、権威のある人に報酬を渡して「みかじめてもらう」ことで、自分の荘園の安全を図ったのです。

 欠点は、中央の有力者からすると、追い落とされてしまうと、荘園の報酬を払う相手を領主達が乗り換えてしまい収入が無くなってしまうことから、相手を追い落としたり、自分が追い落とされないようにすることが大切になってしまいました。

 現に、地方の国司や郡司に指名されると、部下に行かせたり、遥任と言って報酬だけもらって行かなかったりするようになりました。中央にいない間に追い落とされたら困るからです。

 その内、地方は受領や在庁官人と呼ばれる人達が勢力を伸ばし、中央では揉め事を解決する武士の力が強まりました。貴族達は、荘園の報酬というものの為に、自分達の首を絞めてしまって行きます。

 果ては、平氏・源氏のように血筋の良い武士も生まれるようになり、権力を彼等が担うような時代が来るのです。

 平清盛は、従来の制度を利用して西国を中心に影響力を持ち、日宋貿易でお金を儲けて、新しい方向性を出そうとしましたが、

 源頼朝はそれ以上に、離れた鎌倉に幕府を作り、守護・地頭という制度を独自に作って、荘園を直接みかじめることで、経済的な面で貴族を締め上げたので、長く成功することになりました。


 長い説明で申し訳ありません。


 つまり、人間には思惑や目的があるのですから、社会を変えようとしたり、しくみを作ろうとしたことには全て理由がありますし、地域の気候に合わせて暮らす為に様々な工夫をすることにも、全て理由があるのです。

 ところが、大抵の生徒達は、それを単に「意味不明なまま暗記」してしまいます。

 ある程度は暗記が必要でしょうが、理由のあるものには、その経緯に即した「流れ」が必ずあるものですから、断片的に暗記しても、対応は出来なくなってしまうばかりです。

 私が受験の頃、「いくやまいまい、おやいかさかさ、かやおてはたか、やきかわたはわい」という呪文のような文言が流行りました。

 これは、伊藤博文から犬養毅までの歴代首相の順番を頭文字で表したものです。

 流れを頭に入れて、それから事件や人物を足していかなければ、人間の行動には理由やねらいがある限り、訳がわからなくなってしまいます。


 大きな流れや意義がわかっていれば、後は派生的にそれを広げて深めていくだけです。

 1543年に鉄砲が伝来し、1600年に関ヶ原の戦いがあり、1615年に元和偃武となったことがわかれば、それを中心に信長・秀吉・家康の行動を重ねて、広げていくだけである程度感覚が身に付き、理解しやすくなることでしょう。


 武蔵野では、社会科の先生方には、大きな時代の流れや、その日教えるトピック全体の意義を、しっかり俯瞰して指導してくださる様、お願いしています。

 単に教科書を読みながら、それを解説するだけでは、断片的には理解出来ても、訳がわかるようにはならないからです。


 よく学生・生徒諸君には申し上げるのですが、「ものしり」を目指すよりも、これからの時代は「わけしり(訳がわかっている人)」が大切にされるに決まっている。と私は考えています。

 社会が変動し、今まで理由も無くやっていたことを猿真似で繰り返しても、状況が違うのでうまく行かないことばかりが発生するようになってきました。

 言われたことを単にやることも大切かもしれませんが、その理由や訳をわかっていれば、社会の中で応用が利いたり、臨機応変な行動や判断が出来るはずです。

 社会科は暗記科目で嫌だとか、社会科にはドラマがあるから好きだという考え方も良いのですが、武蔵野では、社会科を学ぶというよりも、いつか社会に出る日の為に、あれこれを「訳がわかりつつ理解して、他人様にしっかりとした理由を説明できる」力を持つ為の教科として考えていただくことが重要だと考えています。


 武蔵野中学校の受験では、通常試験は国語と算数の2科目ですが、MPSSという奨学金試験については、社会と理科を足した4科目の受験となっています。

 練成会の内容では、国語や算数に比べて、取り扱いは小さいのですが、社会や理科の説明もしています。

 毎度申し上げます通り、武蔵野中学校の練成会は、出題の意図や中学校入学後の学習の方向性や意義についてが主眼となりますので、武蔵野を受験しない方々にも受験をする方々にも考え中の方々にも有用なものであると考えております。

 1月16日土曜日13時から、最後の一回が残っております。是非ご興味のある方のご参加をお待ちしております。


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