どんでん返し | "学者への道"

"学者への道"

ドイツ研究生活を舞台にした生物学者の奮闘記。"学者への道" in Arizona、"学者への道" in California Berkeleyの続編ブログです。

どんでん返し。

 

面白い映画や物語によく使われるストーリー展開の一つ。

 

生きていく上でも、どんでん返しは人生の醍醐味の一つかもしれない。

 

 

 

そう思わせてくれた、

 

この3ヶ月で経験したどんでん返しエピソードから、

 

どんでん返しを信じ続けて頑張る難しさ、

 

どんでん返しを求め続ける必要性の有無、

 

どんでん返し人生を楽しむ心、

 

について近況報告を兼ねて書いてみた。

 

(クジラやゾウアザラシを見れるPoint Reyes)

 

 

 

ロドルフォ博士のどんでん返し

 

2017の年明けからSICBという大きな生物学の学会がルイジアナ州ニューオリンズであり研究発表をしてきた。

 

(アメリカでは数少ない路上でお酒を飲むことができる、音楽と芸術にあふれた街)

 

(路上にはパフォーマーもいっぱい)

 

どんな発表より一番印象に残っているのが仲良くなったメキシコ人研究者、ロドルフォ博士が学会最終日の深夜にシェアしてくれた彼の人生。

 

14歳、銀行で働いていたロドルフォの父親がドラッグマフィアに殺される。死体には拷問の痕。まるでギャング映画。母親はうつになり、三姉妹の長女が家族を支える。プロテスタントの教会に通い始める。

 

17歳、ロドルフォに子供ができる。大学の奨学金の半分を息子に仕送りしながら勉強する大学生活が始まる。

 

22歳、進化学に出会い、宗教との矛盾に気づく。大学卒業時、ある数学博士に偶然出会い、自分も学者になりたいと強く思う。生物学者になることを志す。

 

26歳、マスタープログラムに入学し、30歳でアメリカのPhDプログラムに入学。大学院生をしながら息子への仕送りも続く。

 

現在40歳、メキシコ政府から奨学金を獲得し、より面白いと思う研究分野に変え、アメリカトップクラスの研究室で、ポスドク(研究職)として活躍し、母国の大学で教授になることも確実。

 

 

父親を殺され、怒りで気が狂いそうな14歳の少年が、ある数学者との出会いをきっかけに自分も学者になることを決断し、学生・父親としての困難を乗り越え、40代で夢を叶える

 

という、絵に描いたようなどんでん返し人生

 

(ニューオリンズのおかまバーでロドルフォ博士と語った)

 

 

「Life is hard」(人生は難しい)

 

「挫けそうな時は何度もあったが、偶然の出会いを経て、自分はほとんどのメキシコ人が経験できないことをしている。それに感謝することで困難を乗り越えてきた。だから幸せだ。」

 

と、社交的でパーティー好きの多いメキシコ人らしくない、物静かで落ち着きのあるロドルフォ博士は、すごく謙虚に話してくれた。

 

自分の知る実話の「どんでん返し人生」ストーリーで、3本の指に入る衝撃だった。

 

 

 

素人先生のどんでん返し

 

さて、レベルを下げて自分の話し。

 

「恥ずかしい経験は財産!」と前回のブログで意気込んで、今学期は知識がほぼない「脊椎動物の自然史」という授業をTA(Teaching Assistant)として教えているが、これが大苦戦。

 

(毎週末みんなで野外実習にでかけ動物を探す)

 

カリフォルニア州に住む鳥類、両棲爬虫類、哺乳類の分類や生態について座学、室内実習、野外実習、研究プロジェクト、を交えて学ぶという授業。

 

自分以外にTA が3人、教授が3人いるのだが、全員この授業を教えた経験があり、全員この分野の専門家。そこにわたくし、まるで素人のTAが1人!哺乳類の知識はちょびっとあるものの、鳥類と両棲爬虫類は本当にプー。

 

この分野をもっと学びたいと思ったから、難しさを覚悟で教えることを自ら選んだのだが、準備に平日の日中がほぼすべてが消え、野外実習で毎週末1日消える。

 

基礎的な質問に答えられなかったらどうしようと常にビクビクしながら、生徒が学ぶ前に必死に予習した知識を、あたかも昔から知っていたかのように先生らしく披露する(笑)

 

ボロはあちらこちらで出ていただろうが、準備に費やした労力が実り、プロジェクトや進路の相談、まだ学期が終わっていないのに推薦状の依頼されるなど、生徒の信頼を少しずつ得ているように感じる。

 

(セイブカヤマウスReithrodontomys megalotis

 

知識のないド素人の先生が、その場しのぎでも誰よりも勉強した結果、ちょっとマシな先生になれた小さなどんでん返しストーリー

 

この授業を教えることにはおまけがあって、もがいている間に知識もついていた。

 

毎朝窓の外から聞こえる「ただの鳥」の鳴き声や、毎日通学路で見る「ただの鳥」の姿も、何目何科何種の鳥で、オスかメスか、繁殖期かどうか、どこから来たのかなど、気がつけば聞こえる世界、見える世界が変わっていた。

 

これがあるからやめられない。

 

 

 

あきらめかけた論文のどんでん返し

 

SICB学会のシンポジウムに招かれた関係で論文を書くことになったのだが、すべてが初物尽くし

 

この論文には締め切り日があり(3月31日まで)、単著であり(共同研究者や指導教官を含まない一人で研究を行った論文)、Review paper(総説論文、たくさんの論文を整理して分野の現状を要約した論文)、というすべてが初めて。

 

1年前からこの論文テーマを考え、昨年の秋学期から論文を集め始め、試行錯誤を繰り返すが、思ったようにテーマがまとまらず、授業を教える忙しさもあり、なかなか進まない。

 

論文を書く能力は、学者の生命線。それをわかっているからこそ、論文が進まないことはとてつもないストレスだった。科学が面白くなくなった。論文投稿にこれほどストレスを感じるのなら学者に向いてないのでは?と投稿をあきらめかけた時もあった。

 

それでも論文投稿締め切りの3週間前、なんとか形にしたが、満足できないモヤモヤした気持ちでいた。そんな時、幸運にもサンフランシスコ州立大学のセミナーで研究発表をさせてもらう機会があり、そこで出会った教授との会話からモヤモヤ感を吹き飛ばすアイディアが生まれた。

 

(通学路で見つけた二色のサクラ)

 

締め切り前に論文を大幅に編集したくなかったが、満足いく論文にするにはこれしかないと大編集を決断。そこからラストスパートで論文に取り掛かり、友達に英語の文法を直してもらい、先生にさらに英語を直してもらい、周りの力を最大限に借りて、締め切り数時間前になんとか投稿できた。

 

一時はあきらめかけた論文も、いっぱい悩んでもがいた結果、満足できるものが書けた、どんでん返し論文

 

 

 

ゼロからのどんでん返し

 

高校時代、ある先生には生物学者なんて無理だと言われた。語学学校時代、ある先生には英語が第二言語なのに毎日論文を読む学者になるのは難しいと言われた。大学院入学当初、頑張ってもほぼすべて最下位の成績をとっていた自分は指導教官にとって全く期待されていない存在だっただろう。

 

PhDの研究テーマは指導教官と別分野でやりたいと研究室ミーティングでアイディアを発表した時、最も基礎的なバクテリアがどのグループに属しているか答えられず、みんなに笑われた。

 

それでも腸内細菌が動物の生物学にどのように影響しているか、というL先生の研究分野に惹かれ、5年間、やりたい分野で勝負しようとゼロから独学で卒論に取り組んだ。

 

2週間前、自分の卒論のきっかけとなったL先生の研究室でポスドク(卒業後の研究職)をするためドイツ、チュービンゲン(Tubingen)まで面接に行ってきた。

 

(チュービンゲンは歴史ある建物が立ち並ぶ、西ドイツの小さな田舎町)

 

(ドイツ人が観光で訪れるほどすごく静かで綺麗な街。軽井沢的な感覚か)

 

(ドイツを代表する学術研究機関であるマックスプランク(Max Planck)研究所は国と州から多額の公的資金で運営され、世界中から研究者が集まる)

 

面接はセミナーで研究発表をして、10人ほどの研究者と30分の個別ミーティーングをするというもの。一人の教授とは盛り上がりすぎて1時間半にわたって科学を話した。

 

バークレーに帰ると、あこがれのL先生から、

 

「I think you’re the right person to come and explore the …」

(…の研究テーマを探求するのにふさわしい人間だ)

 

というメールをもらった。

 

この二日後にテキサス州オースティンでの面接もこなし、最終的にはアメリカの5つの大学からもポスドクオファーを頂いた。

 

ポスドクのオファーをもらえたのと教授になれるかは全くの別問題だが、とりあえず来年からの就職先が決まりそうで一安心。

 

5年越しの大どんでん返し

 

 

 

どんでん返しを求め続ける必要性はあるのか?

 

チュービンゲンでの3日間の面接を終え、空港のあるシュツットガルト(Stuttgart)へタクシーで向かう途中、 運転手が片言の英語で、

 

「Love your life. Live slow.」

(自分の人生を愛せ。ゆっくり生きろ。)

 

と話してくれた。彼は定年後、奥さんとキャンピングカーでヨーロッパを周り、アフリカまで行くらしい自由人(笑)

 

面接の手応えがあり嬉しいはずなのだが、帰りの飛行機はこのタクシーのおじちゃんの言葉ばかり考えていた。

 

(乗り継いだデンマーク、コペンハーゲン空港に近い港)

 

 

二つの道があったらどちらを選ぶべきか?

 

ある程度の幸せが約束されている道。

 

どんでん返しの可能性がある道。

 

 

こんな分かれ道に差し掛かると、自分はいつも後者を選んできた。

 

でもそれが本当に幸せな選択なのかは正直よくわからない。

 

 

 

どんでん返しを信じて頑張ることがどれだけ苦しいか、今学期改めて思い知らされた。

 

新しい授業を教えるのに必死で、論文の締切りのストレスに襲われながら、就活をこなすのはもう二度とやりたくない(笑)

 

この3ヶ月、自分の人生が好きだとは言えなかったし、ゆっくり生きると正反対の生活だった。

 

でもそんな自分がいたから次のステップへの道が開けたのも事実だし、挑戦したことに後悔はしてない。

 

 

 

「きっとどんでん返し的な未来が僕を待っている

 

血まみれからの方がさ 勝つ時にはかっこいいだろう

 

だから今はボロボロの心にくるまって 夢を見る」

 

Radwimps 週刊少年ジャンプ

 

 

自分は単純だから、まだ週刊少年ジャンプ的な未来を見ていたい。

 

道が開けた時の幸福は、ボロボロになった自分があったからこそ。

 

どんでん返しを信じて、血まみれの過程、可能性が開ける一瞬、

 

そんな全部を、一つ一つを、

 

もっともっと楽しもうとする心こそ、

 

自分の原点であり、あのタクシーの運転手が言っていた、人生の楽しみ方だと思いたい。

 

 

今学期もあと1ヶ月。

 

ゆっくり生きるバランスを見つけて楽しもう。