日本文化と自然選択 | "学者への道"

"学者への道"

ドイツ研究生活を舞台にした生物学者の奮闘記。"学者への道" in Arizona、"学者への道" in California Berkeleyの続編ブログです。

ニッポン、五輪過去最多メダル獲得おめでとう!

オリンピック期間中は、

日本で一時帰国を理由に懐かしい人や食べ物と再会しまくり、

ヨセミテ国立公園近くでずぶ濡れになりながらネズミを捕まえ、

パソコンと深夜までにらめっこしながら論文再投稿を完了させた。


(ヒミズという昆虫などを食べる小さな哺乳類。ちなみにこいつの学名はSorex monticolus



一時帰国はいつも新たな発見で溢れている。

大学を卒業してから7年間アメリカで生活し、

一年に一度だけ日本に帰ると、外国人の目線になり、

今まで気づかなかった、深く考えなかった日本の文化を実感する。



そもそも文化ってなんなのか?

今回の一時帰国で自分が感じた、

すばらしい日本文化、

違和感のある日本文化、


から、文化とどう付き合っていくべきか考えてみたい。




文化とは?

文化の定義を検索するとたくさんでてくる 。

自分が気に入ったのは、

人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

ちょっと長くて抽象的だが、

自分は進化学者なので勝手に進化学的に解釈すると、

昔々、今よりもっと多様な「行動・生活様式」が存在した。

異なる集団同士の侵略や対立が起き、

多くの「行動・生活様式」は合体され、失われ、というのを繰り返した。

結果、 生き残った「行動・生活様式」を「文化」と呼んでいる。

だから「洗練」、「進歩」という言葉が使われているのかもしれない。



なぜこんな堅苦しいことを考える必要があるのかというと、

文化は、プロセスの産物なので変わり続けるもの(進化)であり、

ある文化は、優れた行動・生活様式だから生き残ることができた場合もある(自然選択)が、

ある文化は、非効率で非合理な行動・生活様式でもたまたま生き残ってしまった場合もある(遺伝的浮動、ランダム要素)。

と、文化の起源や歴史も進化学的に考えられる。



生き残るべくして残った、すばらしい日本文化

生き残っちゃった、違和感のある日本文化を、

一時帰国の思い出と一緒にどうぞ。




すばらしい日本文化

京都で従兄弟の結婚祝い。先祖から伝わる装飾品、祝い金の包み方、渡す順番、 渡したお金の一部が返ってくるなど、やたらとルールが多いが美しい伝統文化。「嫁入り」「家に入る」ということが昔の人にとってどれだけ大切なことだったのか重みを感じる。


(数百年前からこうやって結婚を祝ってきたのだろうな、とタイムスリップした気分。)

今の若いアメリカのカップル(日本でも?)は、あらかじめ欲しいものリストをまとめたウェブサイトを立ち上げ、結婚式参列者がオンラインショッピングのようにそのリストからクレジットカードを使ってお祝い品をプレゼントするというのが一般的だ。確かに効率的だが、こういう京都スタイルの美しい文化が失われてしまったら悲しい。



長野にいる新婚夫婦を訪問し、一緒にそばうち体験。指導してくれたおばちゃんの手の動きは、まさに日本の職人文化の産物。


(二人には善光寺にまで連れて行ってもらった!ありがとう!)

職人のそばの味を再現できる機械をつくれば、自動化でき、経費、時間を大幅に削減できる。アメリカは規模拡大、自動化、効率化が大好き。でも、あのおばちゃんが「召し上がれ」といって出されたそばの味や、太さが均等ではない自分で打ったそばの味までは再現できない。



平日の新幹線は自習室のように静か。サラリーマンたちがキーボードを打つ音だけが鳴り響く。ふと注意書きを読むと、「…周りのお客様の迷惑にならないよう(例:キーボードの音など)…」と書いてある!!!それを見たら、会話もしづらい!過剰とも言えるすさまじい気遣い文化


(この不忍池の蓮の写真を撮るの時も、蓮の花のより美しい譲り合いの精神に感動。)

サンフランシスコの電車では、若者集団が突然乗り込み、車内で音楽をかけ、踊り出し、乗客にチップを求められることさえあるのに(笑)。



島国日本の魚文化を象徴する、自分がその場で釣った魚を調理してくれる居酒屋、ざうお。


(アジの刺身、穴子の蒲焼、サザエのつぼ焼きを食べました♫)

食事をするということは、命を頂戴すること。命の尊さを一緒に学べるすばらしいコンセプト。アメリカならただでさえ海洋資源に敏感なのに、まして生きた魚の体に釣り針を刺すなんて動物愛護団体が黙ってないから怖くてできないだろう。子供に寿司教室なんかも開いているざうお。 生き残って欲しい日本の魚文化。



日本の気遣い・思いやり文化はさすがだ。日本のカスタマーサービス全般に言えることだが、例えばユニクロの着付けサービス。無料で着付けをしてくれる上、1日歩くと言うと浴衣が緩まないようにピンで止めてくれ、何かあったら電話してくれ、とまで言うソラマチのユニクロ店員。


(レンタル浴衣より安いユニクロ浴衣、オススメです。)

何も買わずにコンビニの無料WiFiを使わせてもらっても「ありがとうございました」となぜか頭を下げてもらえる日本。アメリカのコンビニの店員はレジを打たずに携帯打っていることも、雑誌を読んでいることもしばしば。。。



30歳一歩手前のおっさん(自分)が、久々に再会できたアリゾナ大学時代の友達とはしゃぎすぎて派手に転倒した時も、真剣に心配してくれるスポッチャのスタッフ。問題を起こされたくないのもあるだろうが、日本社会にやさしさの文化を感じた。


(事故ったのはポケバイでなくセグウェイ。笑)

移民国のアメリカのように、たくさんの文化が集まる場所も、多様性があっておもしろい。しかし、その反面、摩擦も多い。生まれ育った日本の当たり前で、感謝もしなかった文化を、今はすごく特別に感じる。




違和感のある日本文化

逆に違和感を感じる日本文化にもいくつか気付いた。

この一時帰国の中でおそらく一番異彩を放っていたのはアリゾナ大学卒業生のMさん。50人以上で屋形船を借り切った同窓会で知り合った。なんと彼は自分が会長をやらせてもらっていたアリゾナ日本人学生会の創設者!


(さらになんと彼は70代後半でありながら30歳年下のきれいなガールフレンドを連れているレジェンド!)

Mさんは、今こそ日本に住んでいるが、アメリカで学生をして、長いこと外国で働いていたので、自分と似た外国人目線をもっている。彼は「日本人はディベートができない」と嘆いていた。議論をしたくても、気を使って自分の意見を伏せてしまったり、喧嘩になることを恐れてディベートできる人が少ないと話してくれた。気を使ういい文化がマイナスに出てしまった例だろう。



似たような話は高校時代の仲間とも話していた。いつもは昔話が中心なのに、今年はみんなそれぞれの仕事の話もした。会社員、銀行マン、教師などがいるが、上司や同僚との関係に悩んでいるやつが多かった。正しいと思うことを言いづらい文化、理論的に議論しづらい文化は、文化で片付けてしまうのは何か違う気がした。


(ちなみに写真はアリゾナメンバー。高校メンバーとの写真は撮り忘れ。。。)

お客さんに将来のビジョンを聞かれても答えられない上司。結果を出した部下を褒める場面で嫉妬が混ざって「嫌な予感がする」としか言えない上司。たしかに上司の言われた通りに働く文化が成功していたバブル時代はあったのかもしれない。しかし今は今。そんな上司は潰すべきか、そんな上司だから教育するべきか、ジョブス戦略vsガンジー戦略という話もした。



もう一つ気になったのは、日本の性に関する文化だ。家族で地元のゴルフ場に行った時の出来事。ズボンからシャツを出したり、サンダルでクラブハウスに入るな、と自分が注意された。母親を見るとシャツはでているしサンダルだ。なぜ母親はいいのか聞くと、「女性だから」いいらしい。西洋のスポーツ文化とレディーファースト文化を真似したら、何か変な文化が生まれてしまった例だろう。


(これはゴルフでなく、親戚との墓参り)

別に学校にセーラー服や仕事場にスカートを強制することが必ずしも悪いと言っているわけでないが、そういったルールに疑問をもつ人の少なさに逆カルチャーショックをうけた。日本の制服は海外でも人気が高いし、Kawaii文化の一つとして確立してきているのかもしれないが。日本の性教育の遅れや性について話すことすらタブーである文化についてはここでは深くふれない。



男女平等!とよく聞くが、自分は生物学を勉強しているのでその違いがいっぱいあることをよく知っている。しかも男女という言葉自体LGBTを無視している。男女平等が大事なのではなく、男女機会均等が大事、というのは自分も忘れがちだ 。そう思わされたのは小学校以来20年ぶりに再会した自営業をしているUちゃん。



女社長というと、「ちょっと近寄りにくい」、「プライベートは捨てて仕事だけ」、みたいなイメージをもつ人が多いらしい。本人がそう思っていなくても、周りがそう思うと、そう振舞うようになりがちだ、と悩んでいた。子育て、家事、仕事を全部頑張りたい男性、女性がいるならそれもいいと思うし、その機会は均等であってほしい。たくさんのことをすると、きっと何かがおろそかになるという思い込みだけで本気で頑張る人が非難される文化があるなら悲しい。



最後に日本の悪いメディア文化から考える幸せのカタチだ。バークレーの兄貴Iさんと地元で飲んでいる時、「夢を追いかけることが正しい」という最近の文化や風潮は必ずしも良くないと話してくれた。


(I兄貴の顔出しOKかわからなかったので、他のバークレー兄貴二人と渋谷で飲んだ時の写真)

その理由は、しあわせのカタチは人それぞれ違うから。どれだけつらい仕事でも家族のために定年まで働き続けることだって立派だし、好きな仕事を一生続けることだって立派だ。今せっかく幸せを感じている人が、「夢を追いかけなきゃ私は間違っている」と、盲目的に新聞、ニュース、世論に流されてはよくないという意見だ。



I兄貴と話した後に、ホリエモンの「99%の会社はいらない」という新書を読んだのだが、正直残念だった。学者と経営者はその楽しみも苦労も似ているので内容的にはほぼ共感でき、尊敬もしているのだが、「夢を追うことだけが正しいですよ」という押し付け感が残念。優秀な経営者だが、教育者ではないのだと感じてしまった。

「そのうちわかってくれると思う」(p84)

「自分がおもしろいと思うことに挑戦する。誰もがやった方がいいことだ」(p98)

「楽しいことを仕事にした方がいいに決まっている」(p105)




これは違うだろ、と自分は思う。

楽しいことを仕事にするとリスクやコストが大きくなることが多い。

家族や恋人、他に大切な人やモノがある人は、そのリスクがさらに大きいわけで、仕事外にうまく価値や楽しみを見出している人は、楽しいことを仕事にしない自信をもっともってほしい。

自分はたとえ家族や大切な人と離れて過ごしても、今は夢を追いかけていたいと思うからこの道を選んでいるだけ。だから自分も好きなことをやる生き方にもっと自信をもちたい。どちらの道も辛いこともあれば、楽しいこともあるはず。

家族、友達、会社、国、それぞれの社会単位で、幸せの文化は異なる

異なるからこそ、自分の信じたい幸せに自信をもち、他者の信じる幸せも理解し、多様性を楽しめればベストだと思う。



最後に

冒頭に話した通り、文化はプロセスなので、新しい文化は生まれ、古い文化は淘汰されていくのは間違いないだろう。

グローバル化が進む時代、より良いアイディア、技術、文化はどんどん拡散される。

効率だけを求めたら、今までにないスピードで文化は消えていくのかもしれない。

それぞれが大切にしたいと思う文化を守る方法は、

一歩外に出てみて、外からの目線でその文化の価値を見つめ直すこと。

新しい文化や多数派の文化に簡単に流されず、信じたい文化に自信をもつこと。

逆に間違っていると思う文化は、間違っていると声にだしてもいいということ。




そうやって、日本の多様でより良い文化が残っていったら、やっぱり日本人としてうれしい。

外国人目線の日本人が考える日本文化の良し悪し。

4年後の東京オリンピックに向けて何か参考になれば幸いです(笑)


(日本、感動をありがとう!お疲れ様。顔似ていますが僕ではなく弟です。)