無駄の積み重ねが花になる | "学者への道" in Arizona

無駄の積み重ねが花になる

ついに、

ついに、

2年間の血と汗と涙と、

ヨダレがにじんだ修士論文を大学院に提出しました。゚(T^T)゚。

"学者への道" in Arizona



思えば、

ネズミさんの飼育管理のためツーソンを一日以上離れることができなかった日々、

慣れない医学部の研究室で切片の作り方や卵子の数え方を教えてもらった下積みの日々、

満月の夜に尾崎豊を聞きながら、日付が変わるまで研究室でデータを集めた日々、

いやー感慨深いですな(。-人-。)



ってもの想いにふけってる余裕はなく、

この後は、追加の実験をさっさと終わらせて、

学術雑誌に投稿しなければいけません。

そして、新しい研究テーマに移るため、

研究テーマを絞って計画書を書かなくちゃ。



これが興奮するぐらい楽しい時もあれば、

知らない分野に踏み込んだため、

出会ったことのない専門用語が多いし、

理論自体も理解に苦しみ、

不安も大きい。。。。

修士号は運良くとれたけど、

この先どうなるんだ(*´Д`)=з




そんな時、自分宛に郵便が。

"学者への道" in Arizona

セミ(笑)

夏休みに行ったセミ調査での写真を、

Y先生の計らいで、

メールではなくわざわざCDにやいて日本から郵送してくれました。

お礼のメールをしたら、

「研究は好きでするものだと思う」

って返ってきた。

当たり前なんだけど、このCDを見るまで忘れてた。

研究本来の楽しさを思い出させてくれた。




すると今日は、

学部時代の指導教官、I先生から半年ぶりのメールがきて、

(メールの内容はサンプルが行方不明ってだけですが)

やり取りをしてたら、

久しぶりにお得意の「最近の学生は・・・」という愚痴を聞けたり、

自分が学部時代の世代はモチベーションが高かった(頑固なので素直には言ってくれませんが)、

など、

初めて「研究」に触れたドキドキ感、

仲間と一緒に一心不乱に熱中した学部時代を思い出しました。





「自分の行ってきたことすべてが、未来への糧になる。」



そんなような言葉を聞いたことありますが(中田英寿?)、

何かにつまずいている時は、特に共感します。

無駄じゃないか、

意味がないんじゃないかと思いながら、

卵巣の切片を作っている時期もありましたが、

今手元に修士論文としてその成果が存在してる

ちゃんと未来の糧になった証拠。




きっと今、無駄だと思っていることも、

いつかまた、花となってくれることを信じましょう(・∀・)

"学者への道" in Arizona