ミュリエルのブログ

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私と息子がどうやって健康を取り戻してきたかのお話をします。ホメオパシー、心理カウンセリング、ブレインジム、食事、塾、諸々の内容になります。

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どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
アメリカの師匠のカウンセリングのワークショップの話、今回4回目です。
前回はカウンセラーとしての倫理、心構えにつおて教えてもらったことをお話しました。
今日はその続きで「カウンセラーがクライアントの話が聞けなくなる(聞こえなくなる)」話をしたいと思います。

まず言えることは、自分の身の丈にあった仕事を引き受けること。聞いてみて自分には無理そうだと判断した時には、正直に伝えて謝罪した上で決して引き受けないことが前提になりす。
(カウンセラーに限りませんが)

「当然でしょ」と思われるかもしれませんが、特にカウンセリングのシーンでは割と頻繁に起こることなんだそうです。
(そもそもカウンセラーになろうと思った現象がこれと一緒ですよね)

単純に自分の能力を超えた難しいケースということもありますが、しばしば起きるものとして、そもそもカウンセラーがクライアントの話を聞けなくなる(聞こえなくなる)という現象です。

聞こえなくなる?
先生の話を聞いた時にはピンと来なかったのですが、実際にこの現象、私も体験してしまいました。

ワークショップの流れは
①先生がカウンセリング技法や理論を話す
②その技法を意識して使って、ロールプレイをする
の流れです。

3人1組になって、カウンセラー役、クライアント役、オブザーバー役になり、クライアントは
『感情が揺さぶられた体験』という自分の体験の話をします。

時間も短いし、あくまで勉強なのであまり重い話題は皆さん避けているようです。
例えば、道を歩いていて見かけた『エスカレーターは手すりにつかまり歩かずに乗りましょう』のように、よくあるような標識や標語を見るとイライラするとか、上司の態度にイラッとしたとか、パートナーがこういう仕草をすると落ち着かない気持ちになるとか、そんな感じです。

私がカウンセラー役の時、たまたま当たったクライアント役の人が「姑にイライラする時」の話をはじめました。
人の話を聞く技法のうち『要約』というのものがありまして、それは『あなたの話していることは○○ということですね』と返すことなのですが、私はいくら聞いてもクライアントの話を何故かまとめられず、しまいにはクライアントが言ってもいないようなことを返してしまう始末。
先生が私の様子に気がつくと
「一旦まとめるのはやめて、相手が言ったことをオウム返しに返してみなさい」と指示を出しました。
クライアント役の人に協力してもらって、「○○なんです」という短い文章に区切って話してもらい、それを「○○なんですね」とオウム返しするということです。

ところが、これでさえ出来ないのです。
確かに相手が喋っていて、私はそれが聞こえているのですが、次の瞬間には「ええと、なんて話しましたっけ…?」と、記憶から抜け落ちており、オウム返しさえ出来ないのです。
自分でもどうにかしてしまったのかととても困惑しました。

先生が言うには、自分の問題とクライアントの問題が被っていると、相手の話が聞けなくなるという現象が起きるそうです。

今回のクライアントの話は嫁姑問題で、私も結婚していて私が嫁であり姑も存命でいたので、私にも同じ嫁姑問題があるということなんだそう。

当時の私はどうだったかというと、義両親とは近くに住んでいましたが同居でもないし、お互いの家をそれほど行き来する訳でもないし、嫁イビリをされた記憶もありません。

義両親は、基本的に穏やかで、会う時も他愛もない話題しか出さないし、私も義両親も本音で話すようなことはほとんどありませんでした。
私の実母は何事にも口出しをしてきて、悪く言えば他人の領域にズケズケと土足で入るような人だったので、私は義両親に恵まれたとさえ思っていたのです。

しかし、ちょっとしたことだったのですが、過去の姑の発言で傷付いたことがありました。
笑顔で接してくれても、本音は私のことをそんなふうに思っていたのだな、とがっかりするようなことでした。
それでも、嫁姑問題で苦労している人に比べれば大したことでは無いと、気にしないようにしていたのです。

こんなことが私にとって問題なのか?とにわかには信じがたいことでした。

師匠が言うには、姑のことは『大した問題では無い』と私が勝手に判断し封印して抑圧して感じなくさせているだけで、実はものすごく傷ついて、当の本人でさえ、なんの問題ないと処理してしまっているために、余計に抑えつけられた気持ちが大きくなってしまっているのだろうということでした。

そして、その私にとっては未解決の姑問題を解消するなり決着をつけない限り、同じ問題を抱えたクライアントの問題解決のお手伝い=カウンセリングは出来ない、ということでした。

どうやって自分の問題を解決するか?
それはやっぱりカウンセリングを受けるのが一番だと言うことでした。

分かりやすく言うと、問題・課題=地雷です。
自分の地雷を踏んでしまったらそれはカウンセリングどころではないでしょう。
なので、自分の問題に気付いた時にその都度カウンセリングで問題を解消したり小さくしていかないと、自分が受け持てる相談はどんどん狭くなってしまうというわけです。

クライアントの話が聞こえなくなる現象、それほ確かにあると私は体験しましたし、それを聞こえるようにするには自分の問題を解決するしかないと理解しました。
しかし、何故そのような現象が起きるのか?は実は私は今もよく分かっていません。
師匠ならわかるのでしょうか……。

わかっていることは、未解決のことは引き寄せやすいということです。
人間は、人間だけではなく生きているものは全て、常に生き残るためにトライアンドエラーで進化を続けています。
生きるために障害になっている事柄は常に最適化するよう無意識が求めています。
未解決の私が「私を見て。助けて」と訴えているのです。
だから、自分の中の未解決なものを目の前に引き寄せるんですよね。
「私に気付いて、どうか助けて」と。
それに意識で封印していることほど、こうやって目の前にやって来やすいのかもしれません。
だから、たまたまクライアント役の人が嫁姑問題を語り出したのも決して偶然ではないのだということです……。

こういうところ、本当にホメオパシーに似てるなと感じます。

ホメオパシーは、同種療法といって、熱には熱を起こさせるものを、怒りには怒りを、悲しみには悲しみを与えることで、身体や心が自分が熱をだしていることを、怒っていることを、悲しんでいることを自覚し、それを解決する方向へと自らせっせと動き出すのがホメオパシーの治し方ですから。
自分の目の前に『ドンッ』と鏡を置かれているようなものですね。

だから、もしカウンセラーに興味を持ったとしたら、カウンセラーに救ってもらいたい自分がいるということだし、
自分には難しい問題を抱えたクライアントが現れるということは、私が同じ問題を「解決して!」と叫んでいるということなんですよね。

カウンセラーへの道のりは険しい………。

では今日はこのへんで。

ありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ

どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。

前回のあらすじ。
前回は、仕事のイベントがきっかけで出逢ったカウンセリングの師匠のワークショップに参加する話を始めました。
師匠は日本生まれですがアメリカでソーシャルワーカーの資格を取って、州立大学の教授をした方です。

今日はカウンセリングを学ぶ上で、一番最初に知らなければいけない「倫理」についてお話します。

カウンセラーに求められる倫理、
まずクライアントとの関係です。
カウンセラーとクライアントとの関係はあくまで仕事上の契約で、カウンセラーはクライアントとは友達関係になってはいけないし、恋人関係、結婚などは絶対ダメです。
アメリカでは、クライアントと結婚したカウンセラーは資格を剥奪され、二度とその職業につくことは許されないそうです。

これはカウンセリングだけではなく、例えば学校の教師や生徒との関係、医者や患者との関係にも言えます。
「恋愛は仕事とは別だから」「恋愛や友人を作ることは個人の自由、それがたまたま仕事の関係だっただけ」とおっしゃる方が多いですが、
許されない行為だし、罰せられ軽蔑される行為なのです。

カウンセリングの仕事は、まず相手を全肯定して全て受け入れなければ何も出来ません。
それがカウンセリングという仕事なのですから。
しかし人は、特にカウンセリングを受けようという状態の人は、他人から真に「自分自身を受け入れてもらった」という体験をしたことが無い人がほとんどです。
だから、生まれて初めて人から全てを受け入れられて、相手に好意を持たないはずは無いのです。
そもそも、人によっては話を聞いてもらえるという体験自体が初めてかもしれません。

カウンセラーにとっての仕事は、クライアントが解決したいと思っていることを解決するお手伝いなので、そのためには先入観なく全身全霊で話をじっくり聞かなければいけません。

だから、他の職業に比べて圧倒的に好意を持たれやすいのです。
他の職業以上に厳しくルール作りとそのルールを破った時の制裁が必要なのです。
そうしなければ、誰も安心してカウンセリングを受けることが出来ず、カウンセラーという職業自体が成り立ちません。

そして、もしクライアントが好意を持ったとしても、カウンセラーという仕事という目的の為の姿であって、その人自身ではありません。
「相手が好意を持ったから応えた」のだとしたら、詐欺をしているのと同じことです。

日本って、カウンセリングに限らず、職業上とプライベートがズブズブな気がするのは気の所為でしょうか……。


次に、自分が何故カウンセラーの勉強をしようと思ってるのか、何故他人の相談を聞こうとしているのか、何故カウンセラーになりたいのか、徹底的に自分の気持ちに真正面から向かいます。

「感謝されたい」
「相手をコントロールしたい(良いことであっても、です)」
「尊敬されたい」
etc

このような欲求が根底にあるカウンセラーはクライアントにとってどうでしょう。
カウンセラーとしての職務を全うできるでしょうか。

これらを徹底的に自分の心に問いかけます。
自分の問題を解消せずともまずは認識してそこからがスタートです。

そして、カウンセラーに求められる資質を学んでやっとカウンセリング理論と技法に入るのです。

まずこの時点で自分の中にあるドロドロとしたものを見てしまったら、足がすくんでしまいます。

私は心理系の学校を出ていないし、師匠以外にカウンセリングの勉強をしたことは無いのですが、日本の学校はこういった倫理についてどの程度教えてるんでしょうね。

休憩時間にハーブティーを飲み、美味しいお菓子をつまむ時間を持つのも、このようなヘビーな内容とのバランスを取るためなのかもしれません。

では今日はこのへんで。
読んでくださってありがとうございます。

写真は箱根自然薯の森 山薬さんの朝ごはんです。
スタミナ着きそう♡

では良い1週間を( ´ ▽ ` )ノ



どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
前回は、日本生まれ大学からアメリカで過ごすことになった師匠のカウンセリングワークショップに参加することになった話をしました。

今回はカウンセリングのワークショップの様子を少しだけお話します。

ワークショップは種類によりますが、多いもので30人くらい、一般的には10人位の定員で開催されます。
参加されている方は、企業の営業職、人事担当者、精神科医、保健師、看護師、児童養護施設の職員、保健所勤務、児相勤務と、幅広い職業の人達です。

部屋に入ると部屋の隅にはお茶とお菓子が置いてあり、授業中でもいつでも好きな時につまんでくださいと言います。
え?飲み物ならともかく、食べ物もいつでも好きな時に?と思いましたが、不思議なものですぐにその雰囲気に溶け込んでしまいました。
何故飲食自由なのかは聞いていませんが、それなりに理由があるのだろう…と思います。
ちなみにお菓子は、アメリカから先生が持ってきたものや、遠方から来られた生徒さんの地元のお土産だったりでした。
お茶はノンカフェインの物が多かったです。

先生は、日本の心理学やカウンセリング界隈のことをよく理解していたのでしょうね、最近はどうか知りませんが、当時は学校で心理学や心理学やカウンセリングを学んでいる方はワークショップ参加「お断り」でした。
理由は、あまりにもその方が学んでいるものとかけ離れているから、だそうです。

それから、カウンセラーになるなら、自分がワークを受けること(カウンセリングを受けること)を推奨していましたが、精神薬を飲んでいる方もお断りでした。
理由は、カウンセリングとは全力で自分の感情や感覚を感じないと成立しないもので、精神薬は感情や認知機能を抑え込んだり、何かしらの影響を与えているものなので、精神薬を飲んでいる人にはカウンセリングが成立しないのだそうです。
お金をいただいている以上、効果が出ないと分かっているのに引き受けるのは「不誠実」であると説明されていましたね………。

カウンセラーになるなら自分がまずワークを受けなければ、というのは、今にして思えば当たり前ですが当時はそういった認識はなく「そういえばそうだわ」とハッとしたものでした。

まず当然の事として、カウンセリングに「効果」があることを体験していない人が、どうやってカウンセリングで人を癒せるのか、という理屈があると思います。このことは先生は言っていませんでしたが、どうも日本の空気は「カウンセリングはガス抜き」「カウンセリングに病気を治す効果は無い」と感じます。
日本ではクライアントはもちろんのことカウンセラーまで、本気でカウンセリングで物事が解決するとはとうてい思っていないのでは、という気がするのは私だけでしょうか。

「カウンセリングに効果がある」というものはどんなものか説明が難しいですが、先生の言葉では
「例えば『小さな子どもを持つお母さんが、いけないこととは思っていてもついカッとなると手が出てしまう』のを手を出さないようにくらいまでは1回のカウンセリングで結果が出せます」だそうです。

そういった悩みのない人にとっては「ふーん?」て感じだと思いますが、それってある凄いことです。
悪いとわかっているのに辞められないのですから、クライアントは長年そのことに苦しめられてきたはずですし。

効果のある心理療法として師匠はアメリカで特許を取っていますので、療法として国が認めているんですよね。師匠も凄いですが、国としても凄いことだと思います。

カウンセラーになるなら「自分がカウンセリングを受ける」ということはカウンセラーという職業をはじめたあとも継続して必要です。
カウンセリングを受けるのはタダではありませんから、そういう自分のメンテナンス経費も必要ですし、さらに定期的にスーパーバイズを受けることも必要です。
スーパーバイザー(師匠)に、自分の仕事を見てもらって適切なアドバイスを貰うことがスーパーバイズです。
カウンセラーも人ですから、色々な問題や癖を持っています。
職業としてカウンセリングを始める前に、大きな問題は解消しておく必要がありますが、様々なクライアントを相手にしていくうちに、自分では気がついていない問題がどうしても浮上してきます。

自分が気付かないまま(もしくは気付いていても放置して)クライアントのカウンセリングを行っていると、クライアントの問題は解決しないばかりか、そのカウンセラーにとっても危険なことになります。
何より、効果がないのに(又は逆効果なのに)お金を貰ってカウンセリングを続ける事は良くないことでしょう。

というわけで、必要なメンテナンスを考えるとカウンセリングは決して儲かるお仕事では無いのです。
そういったことを承知の上、そして次回お話しますが、職業としての倫理をしっかり承知した上でこの仕事をするのはとても大変なことです。

今日はここまでにします。
次回はカウンセラーの倫理についてお話したいです。
何度も言いますが、私は職業としてカウンセラーでもなんでもないので、あくまで私が勉強して見聞きした事としてお話させていただいています。
私はただの年をくっただけの事務員です。
ご承知おきよろしくお願いします。

暑くなってきました。ベリーの季節ですね。
幹線道路を歩いていたらベリーの木をみつけましたのでパシャリ📸

では皆さん良い1週間を( ´ ▽ ` )ノ