「岩波文庫」の表記については、昨日書きました。今日は、同じ『山月記』を収

録している「新潮文庫」について書きます。


 新潮文庫 『李陵・山月記』 中島敦 平成四十四年九月二十日発行。


 まず、驚くでしょう。「平成四十四年」の発行なんて。紙幣の福耳を手に入れた

ような思いでしょうか。勿論、そのミスでこの文庫本が高い値段になるはずはあ

りませんが。


 昨日と同じ文章を比較します。


 「岩波文庫」 

 叢の中からは、しばらく返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(かす)

な声が時々洩れるばかりである。


 「新潮文庫」

 叢の中からは、暫(しばら)く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微(か

す)かな声が時々洩(も)れるばかりである。


 この二つを比べると、「暫く」という副詞の処理に違いがあることがわかりま

す。原文は後者「新潮文庫」の表記(ただしルビはありません)に近いと言えま

す。


 昨日書いた、「岩波文庫」の表記の原則の(三)「漢字語のうち代名詞・副詞・接続詞など、使用頻度の高いものを一定の枠内で平仮名に改める。」がその

相違を生んでいるのですが、「原文の尊重」という意味では、「岩波文庫」のこ

の表記原則はない方がいいと私は考えています。


 もし、副詞などの読みに混乱がある場合には、岩波文庫の「表記原則(五)の

(イ)」の、振り仮名(ルビ)で処理した方がいいと考えます。


 軍配は「新潮文庫」の方にあがるようですが、そうではありません。


 一 「新潮文庫」は、その表記の原則をどこにも書いていません。ほおかぶり

   です。どんな変改も可能となります。これは、出版社の誠実さとして許しが

   たいことです。「新カナ」を採用した当初は 「一、「原文尊重」 二、「旧カ

   ナ」を「新カナ」に変えるなどという訳のわからないことを、それでも書末に 

   書いていたのですが、いつのまにかその注記もなくなりました。これは、大

   きな失点です。


 二 「岩波文庫」はその原則(一)で、「原文が文語文であるときは旧かなづか

   いのままとする」としています。そして、その通りをいくつかの例で示してい

   ます。ところが、「新潮文庫」は「文語文」であろうとなかろうとすべて「新カ

   ナ」に変えています。例えばとして、同じ本の中に収められた二例を挙げ

   ておきます。


 『李陵』より、

 「岩波文庫」

 項王則(すなわ)チ夜起キテ帳中ニ飲ス。美人有リ。名ハ虞。常ニ幸セラレテ

従フ



「新潮文庫」

 項王則(すなわ)チ夜起キテ帳中ニ飲ス。美人有リ。名ハ虞。常ニ幸セラレテ

従ウ


 『弟子』より

 「岩波文庫」

 厭々(えんえん)トシテ夜飲ス  酔ハズンバ帰ルコトナシ


 「新潮文庫」

 厭々(えんえん)トシテ夜飲ス  酔ワズンバ帰ルコトナシ


 それぞれの出版社の考え方でしょうから、一概に言うことは出来ませんが、私

は、文語文を現代仮名遣いで表記することに反対しています。だから、「岩波文

庫」の方がより「原文の尊重」であり、作者に対して誠実であると考えます。


 以上、明治の末から、昭和二十年代まで、かなり強制的に「口語体」→「歴史

的仮名遣い」の表記が行われましたが、その文章を現代の若者にどう提供し、

どう読んでもらうかということで、各出版社が試行を繰り返したことを書いてきま

したが、結論として、今後どうあるべきかの私の希望をまとめておきます。


 (一) 旧仮名づかいを現代仮名づかいに改める。ただし、原文が文語文であ

    るときは旧仮名づかいのままとする。


 (二) 「常用漢字表」に掲げられている漢字は新字体に改める。


 (三) 読みにくい語、読み誤りやすい語には、現代仮名づかいで振り仮名(ル

    ビー現代仮名づかいでよい)を付す。


 (四) 平仮名を漢字に、あるいは漢字を別の漢字にかえることは、原則として

    おこなわない。


 [追記]

 教科書の表記について、幻冬舎新書『旧仮名づかひで書く日本語』は厳しく

指弾していましたが、そこで名指しされた「明治書院ー教科書編集部」に質問し

たところ、例えば、「叢」の表記は、常用漢字に引っかかるのでこれまで「草む

ら」と表記していたが、新しい教科書では使おうということになり、表記を「叢」と

変えたという答えをもらいました。教科書検定の場合、我々のわからない制

があると思ったので、教科書間の比較検討は遠慮しておきます。