私は、「新漢字」・「現代仮名遣い」は、すでに定着していると考えています。


 だから、この本、『かなづかい入門』白石良夫の書いていることを認めたく思

い、『旧かなづかひで書く日本語』萩野貞樹よりもはるかに共感できるのではな

いかと読み始めましたが、そう簡単ではありませんでした。


 この『かなづかい入門』が、いろいろ、知らないことを教えてくれたことは間違

いありません。さすが、学者の書いた本だなと感心しました。


 ただ、大切なところで、見事な論理のすり替えが行われています。その一つ

書いておきます。


 この本は全8章からなり、その第6章までは本当にその通りと思うように書い

てありますが、終わりの2章で、さすが文科省の主任教科書調査官と感心する

表現に出会いました。


 「現代仮名遣」は部分的な例外(たとえば『は・へ・を』など)を除けば、基本的

に表音仮名遣いであるとこの本に書いてあります。


 だから、「音価」(この言い方が的確かどうか自信はありませんが、それぞ

の時代の語の音の状況ぐらいに考えておいてください)が定まれば、すべて、こ

「現代仮名遣」で表記できると白石氏は主張します。


 「もっとも、仮名で表記できない音節のある万葉集本文は、直近時代(平安初

期)の仮名表記に一致するところの歴史的仮名遣を使うのがいちばん無難で

あるとはいえる(あくまでも次善の策という意味)。だが、源氏物語の時代以降

は「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」以外、現代われわれの発している発音のほうに近いのだか

ら、それらの本文は現代仮名遣で書くほうがふさわしいと思うのだが、いかがで

あろうか。これをまとめれば、下のようになる。


万葉集=仮名文字では全音節が表記できない。歴史的仮名遣は次善の策。

古今集=歴史的仮名遣が適用できる、発音と仮名文字が正確に対応してい

     た。

源氏物語=「ジ・ヂ」「ズ・ヅ」以外は現代仮名遣で書くほうが歴史的仮名遣より

     も実態に近く、かつ合理的。

芭蕉西鶴=現代仮名遣がこの時代の発音にもっとも近似の表記。」


 これは、「文語文は歴史的仮名遣いで」と主張する人に対する反論です。「現

代仮名遣」の方が「文語文」を書くのにふさわしいという主張です。


 この本には出てきませんが、夏目漱石や芥川龍之介の「口語文の歴史的仮

名遣」は、現行の高校の国語教科書では、すべて、「現代仮名遣」に改められ

ました。これは「音価」がハッキリしているから、「現代仮名遣」で表記できるわ

けでしょう。だから、どう発音されているかがわかれば表音仮名遣いである、

「現代仮名遣」がもっとも有効だという主張は間違っているとは思いません。


 しかし、「源氏物語」や「芭蕉西鶴」の「音価」がはっきりしているでしょうか。仮

にわかっているとして、その「音価」を推定した根拠は「歴史的仮名遣」で書

れた、原文に近いものであり、そこから帰納しての学問的成果に過ぎないので

はないかというのが私の感想です。


 原文の「歴史的仮名遣い」から、当時の「音価」を推定し、それにふさわしい

「現代仮名遣い」で本文を書きなおす意味がどこにあるかと思うわけです。しか

も、その「音価」もはっきりしないということになれば、校訂作業という学問的成

果の上に立った原文を、古語辞典を使って読むことのほうがはるかに文化遺

産を大切に考える、あるいは、著者の気持ちに忠実な態度ではなかろうかと思

います。


 加えて、この本の著者は、先の引用文にもありましたが、「いかがであろうか」

とか、「言い過ぎであろうか」・「~と思うのはわたしだけであろうか」など、数え

切れないくらい出てきます。まあ、それくらい難しい問題だということでしょうが、

いい加減なことを言うなと思わず叫びそうになったりしました。