星の王子さまの政治学 | Denbayのブログ

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子供の頃、あるいは大人になってからでも、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を手に取り読んだ人は少なくないと思う。

あの本には色々と不思議な描写がある。たとえば最初から数ページほどめくったところ、ゾウを飲み込んだヘビ(ボア)の話の次に、こんなことが書かれている。



「ぼくは別の仕事を選ぶことにして、飛行機のパイロットになった。世界のあちらこちらを飛びまわる。地理の勉強は実際に役に立った。ぼくは一目見ただけで中国とアリゾナを見わけることができる。夜、迷った時など、とても助かる。」

(池澤夏樹訳・集英社文庫版)



どうして「中国とアメリカ」ではなく、「中国とアリゾナ」なんだろう。フランス人であるサン=テグジュペリにとって、中国は馴染みの薄い国であったハズだ。何より、飛行機のパイロットが中国とアリゾナを混同することなどあり得ない。自らも郵便飛行機やフランス軍の偵察機のパイロットであったサン=テグジュペリにとって、それは判りきったことのはずだ。



これは「言葉遊び」なのだろうかとも思った。子供向けの本に相応しいような。しかし、英語やフランス語で考えても、どんな言葉遊びなのか分からなかった。



あるとき、第二次大戦中に行ったサン=テグジュペリの演説の原稿を読んでいて、謎が解けた。

「中国」と「アリゾナ」には共通点があった。それは「日本軍の犠牲者」という共通点だ。



このように書くと、とても唐突に思われるかも知れない。しかし、『星の王子さま』が最初に出版された「時(1943年)」と「場所(アメリカ)」を思い起こしていただければ、それが偶然ではないことをご理解いただけるのではないかと思う。

『星の王子さま』の執筆が始められたといわれている1942年6月頃、アメリカ市民が「アリゾナ」と聞けば、大日本帝國海軍による奇襲攻撃によって(1941年12月に)パール・ハーバーで沈められた戦艦の名前を思い出したとしても不思議ではないだろう。そして、1943年の国際情勢において「中国」と言えば、大日本帝國によって侵略され蹂躙されていた国の名前だ。そう考えれば、この「アリゾナ」と「中国」の対比が、「大日本帝國」というアメリカとフランスの共通の「敵」について想起させる意図を元に書かれたエピソードであることが分かる。



童話の中にこのような血生臭いエピソードを差しはさむのは不似合いと思われるかも知れない。だとしたら『星の王子さま』は童話などではないのだ。

この本は、ドイツ占領下の祖国フランスで「ひもじい思いや、寒い思いをしている」ユダヤ人の友人に対して捧げられている。そうした境遇にある友人に対して、現実世界から遊離したお伽話を捧げるほど、サン=テグジュペリは「お気楽な人」ではなかった。彼は祖国のために戦うパイロットであり、祖国や同胞の行方に心を痛める愛国者でもあった。そんな彼が、自分をとりまく世界情勢について深く省察したうえで、「童話」という形式を借りて描いた「遺書」あるいは「政治的なステートメント」が『星の王子さま』であったのだと僕は思う。



サン=テグジュペリが、日本軍によるパールハーバー攻撃に「熱狂」したということを彼の友人たちが証言している。



「電撃的攻撃によって、日本軍は事態を急進展させた。このニュースがわれわれの小グループによって、どんな歓びをもって迎えられたかは想像にかたくない。……サン=テックスの熱狂も人後に落ちなかった。」

(アンリ・クローデルの回想)



「ニューヨークに戻ると、わたしはセントラル・パークに駆けつけた。そこでサン=テグジュペリの姿を見たが、彼はときどき大はしゃぎをしていた、--さあ、アメリカが参戦した。フランスの救済のはじまりだ!……と。」

(ジャン=ジェラール・フルーリの回想)



(ふたつの回想はサン=テグジュペリ・コレクション『戦時の記録1』より)



また、彼は「若きアメリカ人へのメッセージ」と題して、次のようなスピーチを行っている。



「あなたがたは参戦しました。あなたがたは若い。そして、祖国のために働き、戦おうと決意していらっしゃる。しかし、ご存知のように、あなたがたの祖国の運命以上のものが問題となっているのです。賭けられているのは世界の運命なのです。あなたがたは、世界における自由のために働き、戦おうと決意しているのです。」



(サン=テグジュペリ・コレクション『戦時の記録1』より)



アメリカが日本やドイツと戦うことは、ナチス・ドイツの支配下にある祖国フランスを「解放」するために不可欠なことであると彼は考えていた。だからこそ、「日本」と戦うことは「世界における自由」のための戦いであることを「若きアメリカ人」に向かって説いたのである。



もう「中国とアリゾナ」が、単なる思い付きでもなければ言葉遊びでもないと解釈してもよいだろう。

往々誤解されているようだが、サン=テグジュペリは生来の童話作家でもないし、また、夢想家でもない。彼はジャーナリストとしてスペイン内戦を取材したこともあった。むしろ、現実の政治や戦争を知るリアリストであったのだ。





『星の王子さま』が書かれてから70年以上が経つ。

この本の中で象徴化されて描かれた世界の政治的・社会的情勢について、今さら学ぶべきことがあるかどうか、僕には簡単には答が出せない。しかし『星の王子さま』は、思うにまかせぬ現実の中を生きる人々にとって、読むべき価値のある物語であることは間違いないと思う。



70年前と「今」と。日・米・中の3国の有様は、大きく変わってきている。人と人のみならず、国と国も、長い年月をかけて相互の「信頼」を築こうとしている。反対に、築き上げられたものが、瞬時に崩されてしまうこともある。



『星の王子さま』の中の有名な言葉。



「たいせつなことは目では見えない。心で見なければ」



これは、夢想家が描いた童話の中の言葉ではなく、現実の政治情勢に悩み苦しんだ中年男の言葉である。