前回に続きまして、昭和の給食その②
今回は 「 おかず 」 について。
まずは、給食の歴史です。
その起源は 明治22年 の山形県鶴岡町の私立忠愛小学校
貧困児童を対象に 無料で学校給食を実施したようです。
そのメニューがこちら。
この時代にしては、美味しそうですよね。
そして、大正 の給食と 昭和2年 のものです。
普通のお家のご飯みたいで、自分のときの給食より
こちらのほうが好きだなぁ。
戦時中の給食は
写真の説明に書いてあるとおりです。
戦争が終わり、昭和22年頃から コッペパンに脱脂粉乳、おかず といった
給食の形が出来ていったようです。
おかずと言って、一番印象に残っているのがなんと 「 チキン南蛮 」 なのですよ。
これが、小学校に入ったばかりのときに出てきたのです。
うちの母は、タルタルソースなんてシャレたものは作ったことがありません。
せいぜい普通の唐揚げです。
なんて美味しいのだろう! と感激したことが忘れられません。
あとは普通に シチュー や ソフト麺 かなぁ。
そうそう、北海道の人でソフト麺ご存知ない方がいらっしゃったのでびっくり。
給食の定番だと思っていましたし、昔の給食が食べられるお店を調べましたら
( 残念ながら、名古屋にはありませんでした 。。。 )
揚げパン・ミルメーク・ソフト麺 というセットメニューが多かったですね。
( お店のメニューより )
ここで、ソフト麺を語るにあたって、当時使われていた アルマイトの食器 について
書かなければなりません。
以前に記事に書きましたように、私は小中学で何回か転校をしております。
転校した先の小学校ではこちらのタイプで、これが一般的だと思います。
でも、転校前の学校では一つのお皿が仕切られている、こちらのものでした。
本当は3つに仕切られていたので、少し違うのですが
イメージとしてこんな感じです。
上のタイプの食器でソフト麺を食べるのは良いのですが
下の食器の場合、ミートソースとかがこんな平ぺったい場所に入れられるのです。
ただでもソフト麺は四角く固まっているのに
このペシャンコの中で麺をほぐして絡ませるのは、至難の業!
だって追い打ちを掛けるように、「 先割れスプーン 」 ってもので
絡ませなきゃいけなかったのですよ。
だから、私が ソフト麺 が印象に残っているのは
美味しさじゃなくて、食べ辛さ からなんです ^^
そこで私が考えた食べ方!
頭に来た私は、もう、ほぐしたり絡ませるのはやめようと思ったのですね。
で、どうしたかと申しますと 。。。
ツルンと四角いままミートソースの上に乗せ
固まったままの麺を先割れスプーンの丸い部分で一口大に切り
そのままスプーンに乗せて食べたのですわ ^^
もう、麺という感覚はありません。
まぁ、しいて言えば ラビオリ でも食べているような感じでしょうか。
( そんな、いいものか! ^^ )
あと、これを覚えていらっしゃる方~
「 カワイ肝油ドロップ 」 です。
小学校の低学年の頃、給食に出ませんでしたか?
TAKさんもコメントに書かれていましたが、夏休み前になると購入希望の紙が回ってきまして
うちでも買ってもらっていました。
ビタミンAとD が補給できる、ゼリー状のドロップです。
今でも河合製薬で販売されているようですね。
なんと 「 指定第二類医薬品 」 ですわ。
呑気なうちの母でも、子供の手の届かないところに管理していたはずです。
子供は一日一粒と決まっていましたが、こんなのがその辺に置いてあったら
弟と二人で、あっという間に食べてしまったかもしれません ^^
居残り給食・給食当番 。。。
給食については、まだまだ書きたいことがありますので
その③ に続きます ^^ ( まだ書くのかぁ~ o(`Д´*)o )