ブログを書く意味 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


以前、敦希の闘病は書き終わったのに「まだ書いてたんや~」なんて言われたことがあった。内心イラッ


もともとは心筋緻密化障害の情報を得たくて始めたブログだった。


敦希が亡くなってからは、敦希の生きた証として闘病生活をありのままに書いた。


闘病生活も書き終わり、今は弱音ばかりのブログ。


敦希を失った辛さや苦しさを書くことに意味があるのか?と思ったこともある。


今の気持ちを正直に書き続けたいという気持ちもあった。


もちろん弱音のはけ口でもある。


でも私は意味のあるブログにしたいと思っているし「きっと意味がある」と信じている。


敦希の死を決して無駄にはしたくない。


今の私に何ができるか分からないけれど…


当たり前の日常は当たり前なんかじゃない


奇跡なのだということを知ってもらえたらなぁって思う。





敦希が亡くなって、散々言われてきた。


「可哀想やったけど、また作ればいい」


「まだ長男がおるから良かったね」


5ヵ月で亡くなった敦希の命を軽く見ている人が多いと感じた。


でも母親である私からしたら、5ヵ月で亡くなってしまった赤ちゃんだからこそ、心配で心配でしょうがない。


まだまだ母親が必要な赤ちゃんなのに、一人で逝かせてしまったことが本当に心配。


亡くなったのに心配という表現は、きっと分からない人には分からないと思う。


逆に同じように幼くして我が子を亡くした人にはきっと分かるはず…


と私は思ってる。


世の中が憎かったり不公平だと感じたり…我が子を亡くすということは、そういうこと。


我が子だけがたまたま病気で亡くなったなんて思えない。


不運だったなんて言われても受け入れられない。


亡くなった今でも我が子のことが心配なんです。





2013/9/26 1年前の今日

午前は泣かずにベッドで過ごせることができていたので、その間に色々家事を済ませていた。

よく泣いて、よく飲んで、よく寝て、足もよく動かしてた。

とってもとっても元気だった。



敦希と過ごした一日一日が私の宝です。


敦希はこれからも私の中で生き続けます!