韓国人の知人がNetflixのドラマシリーズ「アンという名の少女」について、赤毛のアンが好きならなおのこと見るべし!と激推ししていたので、赤毛のアン大好きっ子(大好きおばさんと言うのが正しいのか)の私は在宅勤務の休憩時などに見てみようかと、この機会にNetflixに加入して見始めた。
ちなみに私のアン好き度は下記のレベル
・中学くらいの時に赤毛のアン少女期、青春期、育児期?のストーリーをベースにした「赤毛のアンの手作り絵本」を愛読していた。(物語のシーンにインスパイアされたお菓子や料理のレシピ、雑貨の作り方が掲載されていた)
・数年前、図書館でシリーズ全作(村岡花子訳)を借りて夢中になって読破した。ときめきやせつなさや感動が止まらない!
以下ネタバレ含むのでこれから見ようとしている方は読まないようお願いします。
初回から、あれ?赤毛のアンってこんな暗い話だったかな、という印象。孤児院時代や子守をさせられていた家での陰惨ないじめの回想シーン。学校でのいじめ。。。
アンが周囲に認められるきっかけになる火事のシーンは完全にドラマオリジナルだろう。開いた窓やドアの隙間を埋めるためとはいえ、いくらなんでも結構燃え盛っちゃってる家の中に飛び込んでいくなんて、賢明じゃないし、マリラは叱りこそすれ褒め称えるなんてこと絶対にしなかったのではないだろうか。(家の住人たちはすでに外に避難しておりみな無事であることが確認できていて、アンは火の勢いを止めるためだけに飛び込んだのだ)
多額の負債を抱えたまま病床に伏してしまい、マリラやアンに負担をかけることを気に病んだマシューがピストルでの自殺を試みようとするシーン、原作では全財産を預けた銀行が倒産したのを知って心臓発作を起こして亡くなってしまうのでこれも完全にオリジナルシナリオだが、まーあの心優しいマシューが、ふたりを遺してピストル自殺?あり得ないよ…。黙ってても死ぬのがわかってるような状況なのに。百歩譲って、ふたりに難儀をかけていることがつらく、その辛さから逃れるために自殺を試みたと解釈しよう。けれどマシューは、自分自身の苦しみから解放されたくて自殺を図るような人では、ましてやその後のふたりの苦しみを想像できない人では決してないと私は思うんだよね…。死んだら生命保険がおりると言っていたけど、この時代は自殺でも保険がおりたのか?
あとギルバート、なんで孤児になっちゃうの???そこまでの不幸の味付け要る?
使用人のフランス人の男の子が街で悪党にボコられてお金を奪われたり、窮地に陥ったカスバート家が下宿人募集の広告を新聞に出し、悪巧みをしたその悪党2人が互いに他人を装ってグリーンゲイブルズに下宿人としてやってきたり…
原作とストーリーが違うのは別に構わないけれど、なんかドロドロしすぎてて、わたしの好きな、あのときめきと感動に満ちた赤毛のアンの世界が昼メロ風に汚されていくのに耐えられなくなってきた。
私が、もともとあまりドラマを見る方じゃないのも原因かもしれない。もう続きは見ません。次はおとなしく全裸監督でも見ることにしよう
でも最後にひとつだけ。登場人物を演じる人たちの容姿や風貌が、それぞれ役のイメージにぴったり!!!
見事にハマっていると思う。家の様子とか、景色とかも素敵。そのあたりは文句ないです