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2023年12月30日と2024年1月7日、中川真理さんのセッションを受けました。
その内容をお伝えいたします。
🌸現れたお姫様とは
その日のセッションも、いつもの通り、私の右側の後ろに上杉謙信公がおられたのですが、左側の後ろにもう一人、お姫様のような方がおられるとのことでした。
そのお姫様が言うことには
🔶『真透さんは人の呪いを解く力がありますよ』
中川さん(このお姫様には、お稲荷さんが守っています)
🔶『(私は)武田の人です』
*このお姫様は、武田信玄の娘・松姫さまでした。
わたしも、中川さんも、松姫さまのことを存じ上げておりませんでした。
🔶松姫さまとは
『信松院さまのホームページより』
武田信玄公息女 松姫さまの生涯
松姫さまは武田信玄の四女として永禄四年(一五六一年)九月にお生まれになりました。時あたかも父信玄は、宿敵上杉謙信と雌雄を決すべく川中島に出陣していたときであります。松姫さまは七歳のときに、織田信長の嫡子で当時十一歳の信忠と婚約いたします。当時の日本は戦国の時代で、とりわけ武田信玄の力が強大であり、新興勢力の織田信長も覇業を達成させんがために、信玄と縁故関係を結びたいと松姫さまと信忠との政略結婚を意図したのであります。
元亀三年(一五七二年)、信玄は大軍を率いての宿願の上洛の軍をお越しました。その信玄の行く手に立塞がったのが徳川家康であり、浜松の北一里にある三方ヶ原で合戦が行われました。その時に織田信長は家康のために援軍を送ります。この合戦は信玄の圧勝となり、信玄は信長が家康に援軍を送ったことで、松姫さまと信忠との婚約を破棄いたします。ところが不幸にも年が明けた天正元年、信玄は旅の途中で病を発して没します。
信玄の後を嗣いだ武田勝頼も時代の流れに抗し難く、天正十年三月、織田・徳川両軍の侵攻の前に天目山で討死、ここに甲斐源氏の名門武田家は滅亡するのであります。 扨てその時の松姫さまはというと、その年の正月に兄、仁科五郎盛信(信玄の五男で、信濃の名門仁科の家名を嗣ぐ)のすすめで、盛信の居城高遠城を訪れておられました。ところが織田の軍勢が攻めてくるという報せに、急ぎ甲府へ戻られます。その時松姫さまは、兄盛信の四歳になる督姫を連れ、さらに途中韮崎の新府城に立寄って勝頼の姫で四歳になる貞姫や、小山田信茂の四歳になる香貴姫も伴います。護衛の武士に守られながら一行は、父祖の地甲斐を後にして見知らぬ他国の関東を指して落ちのびられます。
そして幾多の難関の末にたどり着かれたのが、武蔵国横山宿(八王子)の恩方村で、一先ず金照庵という小庵に落着かれます。やがて松姫さまは、ほど近くに在る曹洞宗の名刹心源院に随翁舜悦卜山和尚(勅賜仏国普照禅師)を訪ねられ、禅師の下で剃髪されて仏弟子となられます。そして法名を信松禅尼と称されました。御年二十二歳であります。
天正十八年、松姫さまは御自身の庵を持たれるべく、当時の上野原宿で御所水の流れも清い景勝の地、御所水の里へ移り住まわれます。そして庵を結ばれた所が現在の信松院であります。この頃の八王子は北条氏照の八王子城も陥落して、関東は徳川家康が管領するところとなります。
扨て、御所水に住まわれた松姫さまは、武田一族の菩提を弔われる仏道精進の毎日でありましたが、その傍らには糸を紬ぎ、絹を織られたりして織物の技を里人に伝えられます。又、近隣の子供達には手習いを教えられたりして、土地の人々から大変に慕われ尊われて平和な日々を送られます。この時に松姫さまが伝えられた織物が、後世八王子織物として発展していくこととなったのです。
扨て、関東へ入った家康は居城を江戸に定め、甲信への備えの為に八王子に千人同心を配置いたします。この千人同心は、元武田家に仕えていた旧臣達です。又、関東の総代官所を八王子に置き、総代官には大久保長安が任命されました。この大久保長安もかっては武田の家臣でした。異郷で新しい生活に従事する千人同心も、又、大久保長安も八王子に旧主の姫松姫さまがおられるということで、どれだけ心強く思えたことでありましょう。
家康も、信玄の姫松姫さまが八王子におられるを知って寺領を贈り、時折に消息を尋ねたりしてなぐさめられます。
天下を統一した豊臣秀吉も慶長三年に病没し、天下は家康のものとなり、ここに江戸幕府三百年の礎が築かれます。時は移り元和二年四月十六日(一六一六年)戦国の時代を力強く生き抜かれた松姫さまは、温かい人々に看まもられながら、眠るが如くに他界せられたのであります。御年五十六歳でありました。法名信松院殿月峰永琴大禅定尼。奇しくもその翌十七日には徳川家康も逝去せられて、後に日光東照宮に祀られます。この東照宮の守護に就いたのが八王子千人同心であり、それが明治維新まで続いたことは、松姫さまをめぐっての奇しき因縁とも申せましょう。
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🔶松姫さま『武田が野蛮で醜くて、それがずっと嫌でした』
🔶『力の正しい使い方を正すお役目が上杉謙信公にはおありだったと思います』
🔶『力というのは、権力を誇示する為にあるのではなくて、みんなの為に使っていくもの。
それが正しい力の使い方だと思います』
🔶『正しい力の使い方を武田が知っていたのなら、大勢の人の命が奪われることもなくて、滅びることもなかった』
🔶『毘沙門天様の正しい戦い方、正しい力の使い方を伝えて欲しい』
🔶『私は敵陣に今やってきたようなものです。
でも恥を忍んで来ています』
🔶『私の父のしたことは、とても許されることではありません』
🔶『父の代わりに武田の為に亡くなった人々の慰霊や救済をしています』
🔶『恥を忍んでお願いに参りました』
🔶『正しい力の使い方を知っている人が、それを伝えるしかないのです』
🔶『その為に、あなたの所に参りました』
🔶『(武田軍について)亡くならなくてもよい人達が沢山亡くなってしまった・・・洗脳されて突撃させられていた』
🔶『祈りの無い力の使い方はケダモノ同然』
🔶『ここまで伝えれば、あなたには分かるはずです』
中川さん(この方は尼さんなんですね。袈裟を掛けていらっしゃいます)
🔶『武田は無双になることのみに拘っていたけれど、徳川は無双を目指していなかった。
私は徳川の方が正しいと思う』
*松姫さまは、八王子に移ったあと、徳川家康の庇護を受けていました。
また、家康の孫にあたる、名君・保科正之を姉の見性院と共に養育したと伝えられています。
中川さん(松姫さまと、真透さんの思いが似てらっしゃるんじゃないかと思うんです)
🔶『私の思いに耳を貸しては貰えませんか?』
🔶『真透さんの目指す世界と、私の目指す世界が同じだけですよ。
それは敵も味方もない、2元性を超えた世界ですよ。
1つになっていく世界ですよ。
個人の慰めのために、ひとが巻き込まれて、翻弄されてはいけない。
一人の思いの為に、そこに人生を巻き込まれる人があってはならない』
中川さん(松姫さまが生きていた時と、真透さんが似ているということをおっしゃってるんだと思います)
🔶『それは恥というものに巻き込まれたという所が同じですよ』
*私や親は以前、身内の為に迷惑を被った経験をしています。
🔶『ここを共に変えましょう。
一個人の思いに翻弄される人がいること自体が、あまりにも理不尽で。
惨めだとか、恥だとか、そういう呪いを解いていく必要があります。
親兄弟と自分は違う人格なのに、そこに巻き込まれるとか、理不尽な悲しみを抱えて生きるだとか、トラウマとか、そういうものを解消していきましょう』
🔶『真透さんの、そのトラウマを解消出来たら、他の人のトラウマも解消出来ますよ』
中川さん(今までそこにあまり触れてこなかったと思いますが、そこを見る時ですよ、という感じです。
真透さんは今で、松姫さまは戦国時代で、時代は違っても同じようなトラウマを抱えた経験があるようです)
🔶『その悲しみとトラウマを癒す時ですよ』
⭐️2024年1月7日、前回から引き続いてのセッション⭐️
中川さん(あれから松姫さまのことをお調べになられましたか?
真透さんと松姫さまと共通点はありましたか?)
私「家族に翻弄された点は共通していると思いますが、松姫さまがあの時代に経験したことと比べたら、私の経験は大したことではなく、小さいことです」
🔶松姫さま『決して小さくなどありませんよ。
小さくないし、あなたはその場所に身をおき続けました。
私もあの当時、いろんな人にそのこと(武田家が滅んだこと、婚約者を本能寺の変で失ったこと)を知られて恥をかきました。
あなたもそのことを物凄く耐えたのですよ。
分かっていますか?
その悔しさとか、悲しさとか、他の人が味わったことのない恥にも全部耐えて生きてきたことの意味が分かりますか?
さらし者になっても、恥をかいても、そのままであり続けた。
逃げずに生き抜いてきました。
そこが私と凄く似ていますよ』
中川さん(真透さんは、松姫さまの人生について、どう思われましたか?)
真透「政略結婚で7才で織田信忠と婚約して、やっと直に会えることになり、京に向かったのですが、その途上で本能寺の変が起こり、信忠も命を落としたので、八王子に移り、出家をされ、他の男性とは結婚しないで節を守りました。
また、保科正之という名君をお姉さんと養育したり、武田家の旧臣の為に尽力した方で、尊敬出来る女性です」
中川さん(松姫さまも、真透さんを尊敬していらっしゃるんだと思います。
敬意を讃えて・・とういうことだと思います)
🔶松姫さま『はい、その通りですよ。
時代に翻弄された・・
時代とはいえ、なかなかなかなか、耐え難いものがありました』
中川さん(自己犠牲から自由になっていくということだと思うんです)
🙏仏門のススメ
🔶松姫さま『なぜあなたは仏門に入らないのですか?
私は仏門に入ってからのほうが、とても楽でしたよ。
なぜなら、生き方に迷いが無くなりました。
娘としてこれで良かったのかとか、お相手の方に対して、これで良かったのかとか、
現世(娑婆の世界)に身を置いている間は、とても迷いが多くて苦しかったのです。
けれど、仏門に入ってからは、もう生き方がたった一つ、その道さえ信じていればいいという生き方に変わったので、本当に楽になったのですよ』
🔶『祈りの人生に変わったら楽になったのです。
愛されようとしていた時は大変だったというか、娘としての役割で生きていた時は、物凄く大変でした。
ただ一心にお経を唱えて祈る、そういう世界に入ったら全てが空になりました。
その時に、全てのしがらみが解けました』
🔶『そこに入るか入らないかで、あなたの人生はまるで変わりますよ。
世俗的なものに属するか、それとも祈りの人として、即身成仏するかによって、全然見える世界が変わりますよ。
わたしは最初、尼さんになる時に、ワクワクもしたけれど、正直ちょっと嫌だなと思いました。
わたしは人にはあまり言えませんが、自分で自分のことを可愛らしいと思っていました。
だけれども、出家した先では、そういうことの喜びが得られなくなった時に、支えが無くなってしまうようで、少々こわかったことを覚えています。
けれど、そんなことは、本当に小さな小さな取るに足りないことだったのだと、仏門に入ったあとに気づきました』
🔶『あなたも、そちらの方に向かうと、もっと本当の意味でどんどん救われますよ』
🔶『自分のことを少々可愛いと思っていた自分は、たったそれだけのことでしか救われていなかったんだと気づきました』
🔶『可愛い部分だけが自分の支え、たったその支えしか自分にはなかったんだということに気づきました』
🔶『仏門に入ったあとで、自分の容姿だけが支えだったことが幼稚だったと思い、よくこれまで生きてこられたと思いましたし、それがかりそめの救いだったのだと、あとで気づきました。
それがなんだか、本当の意味で恥ずかしかったのですよ』
中川さん(松姫さまは、22才で出家したあとのほうが、本当に楽になれたみたいですよ)
🌌大日如来の話
中川さん「見せて下さるのが、真透さんは大日如来様と繋がっていらっしゃるようです。
大日如来様はすべての仏様を包含していますよね。」
🔶『毘沙門天様だけではなく、もっともっと沢山の仏様がこんなお仕事をしていて、それによって救われている人が沢山いてとか、そういうことを知ることが、あなたにとって最も救いになるのですよ。
なぜなら、大日如来様の大きさ、偉大さ、愛の深さ、それを持ったら、全部が取るに足りないことだという境地。
視座、視点が上がると、本当の意味であなたが求めていたものはこれだというものが掴みとれるのですよ』
🔶『この世に行きながら、般若心経の「波羅蜜多」の境地にいるのが、あなたにとっての自由ですよ。
般若心経の世界に移行すると、本当の自由になって、あなたの人生に彩りが出ますよ。
それは、お寺に入るということだけではありませんよ。』
中川さん(ただ、その世界に入る前に「恥」というものについて癒しが必要とのことなんです)
ここから亡くなった身内との会話が始まり、
要約すると、兄は前生、織田信長の家臣で、今生も信長の影響を受けており、その性格も生き方もそれを感じさせるものでした。
私は前世、上杉謙信公の家臣だったので、兄と反りが合わなかったのも頷ける話でした。
私は謙信公の参謀のようなことをしていたので、中川さんが、信長公と謙信公の参謀同士が兄弟でいらしたのだと思います、とおっしゃると、謙信公から訂正が入り、
🌕『織田は参謀など置いてはいなかった。
信長とその信者の集まりだった。』
とおっしゃいました。
松姫さまには、織田家の良くない所を正したいという思いがあり、
🔶『織田家は自分が一流であることにのみ力を注ぎ、
全員が一流でないと気が済まないという所がありました。
10か0か、一流かそうではないダメな奴か。
いっぽう、上杉は一流も良いが、そうではない人も導いていく、導き手、
あのようになりたいと思わせる導き方』
🔶松姫さま『織田家によって影響を受けた人々の御魂の救いの仕事をしています』
🔶『導きというのは祈りなんですよ。
祈りがあるから大きく物事を捉えて、世の中の為に自分がどうあれば良いかということを考えて行動出来る。
みんなの為にどうあるべきか考えて行動出きる。
織田家は自分が一流であるということが全てで、視座がそもそも違っていたのです。』
中川さん(大日如来様はこの視座を持っているのですが、信長は六道輪廻の畜生道にいて、いつも悔しがっていて、コンチクショウと言っている感じなんです)
🔶松姫さま『(お寺に入らなくても)お家で人々の為に祈ることほど、尊いことはないのですよ。
あなたは救われたいと思っていたかもしれませんが、本当は人々を救う立場だと気づいた時に、本当にあなたが救われるんですよ。』
中川さん(いま、お釈迦様が見せて下さるのが、寝釈迦になった時って感じなんです。
人がもっと自由になった時。
家柄とか会社とか学歴とか、そんなものから全部解放されて、本当は人はもっと清らかで自由なんだと、
別に一流でなくてもいいし、恥なんてないんだと。
こだわりから、とらわれから解放されたら寝釈迦のようになって、それでいいんだと分かったら救われる。
真透さんは本当は分かってるという感じなんです。
そこを思い出したらという感じなんです。
なので、お釈迦様に直接繋がるのでいい感じなんです。)
🔶松姫さま『一歩ずつ、待つのではなく、一歩ずつ進むのですよ。
織田家のやり方は、欲しいと思ったら全部取ってしまう。
有無も言わせず。
それが特権意識です。
だけれども、待つのも違います。
一歩ずつ、道に向かって進んでいく、それがとても大切なことなのですよ。
それが上杉らしさではありませんか。
導かれた人は導くことが出来ますよ。』
Q.宗派はどこが宜しいでしょうか?
🔶松姫さま『あなたが一番なじみ深い仏様はどなたですか?
一番最初に答えを出しましたよ』(大日如来のこと)
Q.(謙信公にも宗派について伺ってみると)
🌕謙信公『天台宗でもいい』
中川さん(尊重するといったかんじなんですけど、
真透さんが感じるロマンがあって、どちらにロマンを感じるかっていう感じなんです。
そのロマンで謙信公と真透さんが繋がっていたという感じなんです。
力の正しい使い方とか、戦での振る舞い方とか、そういうロマンを感じられる場所に身を置くと、充足感が得られるそうなんです。
それで決めた方がいいという感じなんです。)
前世の宇佐美定満の家の宗派が天台宗だったようです。
現在の我家の宗派も天台宗です。
調べてみると、天台宗では密教もあり、大日如来を拝むことは何の問題もないので、松姫さまと、謙信公のおっしゃることに矛盾はないことが分かりました。
中川さん(大日如来様って気さくな仏様なんだそうです。
野球で言えば、キャッチャーのポジションで、指示を出すだけではなく、自らも一緒にプレーするような。)
謙信公が、これだけは覚えておいて欲しいと、
🌕謙信公『誰を師とするか、信じるかで人生が左右される。
時に人生を狂わされることもある。
なので、人ではなく、神仏に直接繋がることが肝要である。』
と、おっしゃいました。
Q.謙信公は織田信長をどう思っておられましたか?
🌕謙信公『白○(表現が厳しいので、伏せさせて頂きます)
信長は、ただ轟かせることをのみ考えていた。
轟かせることの凄さ、無双であることの凄さ。
それを信奉する者だけを周りに置こうとしていた。』
そろそろセッションも終盤になってきたので、今日もお酒を酌み交わしましょうか。
と謙信公に申し上げたところ、
🌕謙信公『お酒もいいのだけれど、その前に般若心経を聞きたい。
わたしの為ではなく、能登半島地震で亡くなった人々や、被災した人々の為に一緒に祈って欲しい。
その後で、酒を酌み交わそう。』
と、おっしゃいました。
(セッションの後、隣町の大日如来様が御本尊のお寺で般若心経を上げて、謙信公とお祈りをさせて頂きました。)
Q.せっかくなので、松姫さまも一緒にお酒をいかがですかと、お誘いしますと、
🔶松姫さま『これまで、男性のお誘いに応じたことは一度もございません。
契りがございますので・・・』
と、おっしゃいました。
お二人のご様子を空から見させて頂きます、とのことでした。
契りとは、おそらく織田信忠さんのことなんだろうと思いました。
今も信忠さんへの愛情をお持ちなんだなと、感銘を受けました。
松姫さまは最後に、わたしの母親も気遣って下さいました。
『お母様のお体が冷えないようにしてあげて下さい。
冷えると体がキュッとなって、縮こまってしまいますので。』
松姫さまは、謙虚で控え目でお優しい女性ですが、さすが武田信玄公の娘らしい強さも兼ね備えている印象です✨
⛩️セッションの冒頭で中川さんが、松姫さまをお稲荷さんが守っていると、おっしゃいました。
松姫さまのことを調べている中で、松姫さまが開いた信松院の境内に、『穴守稲荷』のお社があることを知りました❗️🦊
☆7月に八王子の信松院にある、松姫さまのお墓にお詣りすることになりました🙏✨
そのお話は次回に続きます。
さらに御二人のかたが仲間に加わって下さったお話も✨