昨日は奥さん徹夜してたみたい。

ブログごっつ一生懸命書いてました。

大丈夫。伝わるよ。


玉城康四郎新聞のコピーきた。かいつまんで書くと


昭和11年に大学のインド哲学・仏教学科に入って、

仏教に触れて素晴らしいと感じ仰天した。


しかし、二年目になって夢が褪せはじめ

果たして仏教は頭だけでわかるものだろうかと疑問をもち、

禅を習い始める。

それから昭和17年軍務につくまでの5年間の間に次のような

体験をした。


大爆発、木端微塵、突然、自分自身が雲散霧消してしまった。

やがて歓喜がむくむくと腹底から湧いてきた。

今まで求めていた目覚めがやっと実現したのである。

しかい、十日もたたぬうちに元の木阿弥にもどる。

やがてまた爆発し、また元へもどる。

何度もくりかえしながら戦後に及んだ。


その後50歳のとき、未解決の自分が無意識の底ふかく蟠居(ばんきょ?わだかまりかな?)

しているのに愕然とした。

禅宗にわかれを告げ、禅定を学びはじめた。


60歳近くになって、先の(戦前の自分の)大爆発の仕組みがわかった。


さらに数年たってブッダの業熟体を学んだ。

そしていままでの諸問題がすべて解けてしまった。

しかし、それはせいぜい頭や心で、体がなかなかいうことをきかない。

体がうなづくまでには、さらに長年の辛抱を要した。


つい去年の暮れである(この新聞が1994なので78歳のとき)

ふと気がついてみたら、求め心がぽとりと、抜け落ちていた。


うう。えらいことや。とにかく。

ほんで玉城大先生は1999年にお亡くなりになったと。

こんなもんしゃれにならん。

こんな大先生の死ぬ前の話やもん。信じよ。

そやけどこんなもん、死ぬまでかかってるやんけ。

わし多分、先生の20代のときの大爆発の意味すらわかってないと思うわ。

ほんで仏教さっぱりやし。死ぬ気で勉強する気ないし、あかん数字たらん。

あと2回くらい生まれ変わったらいけるんちゃうか。はは。

どうする?どうしよ?どっから行っても結局瞑想が出てくるねん。

無理じゃ。無理な気がする。

たぶん欲のかたまりで瞑想しても無理なはずや。

それ以前の問題やねえ。

とにかく、玉城先生の60歳の時の大爆発のしくみがわかったつー部分。

ここまではいきたいな。