It's a small WORLD! -20ページ目

チャパティーとテント

テント生活を1週間ちょっとしてきました。

もう1つの事業地ナシールに行ってきました。

ナシールは、もう1つの事業地パガックと同じアッパーナイル州にありますが、川沿いの町で、規模もパガックと

比べると大きいです。


マーケットの様子はこんな感じ。


 


やはり川があるため、漁民が多い。

ナイルパーチやティラピアという白身魚が獲れる。

ウガンダのビクトリア湖から輸入しているジュバとは違い、獲れたての魚は安くて新鮮である。

だから、ナシールでは1日2食が魚料理であることが普通なのだ。


こんなにごっつい魚のお頭を平らげるスタッフも。魚のお頭を食らうのは日本人と中国人くらいかと思ったけど、そうではないらしい…。


  

ナシールと拠点に、学校建設が予定されている現場へはスピードボートで1~2時間。




しかし、出発して15分後、ボートのエンジンが故障。

偶然通りかかった別のボートに乗せてもらい目的地へ行くが、あまり速度の速いボートではないため、

3時間半もかけて目的地へ。


一日中ボートで旅したおかげで久々の日焼けをしてしまいました…。




こんなナシールの寝床はテントですが、意外と快適。中にはベッドも電気もあるし。


そしてナシールの名物Cookはとーっても美味しいチャパティを焼いてくれるのです。

どんなに暑くても、長旅で疲れても、休む暇なんかなくても、ほぼ毎食欠かさずチャパティーを

食べていました。正直、イギリス時代のパキスタン人のルームメイトも顔負けのチャパティ。


フィールドだからって、食が貧しいなんて思ったら大間違い。


むしろ厳しい環境だからこそ食に対するこだわりがあるのかも。


ジュバにいると、ちょっとだけ妥協が入ってしまうのは、まさにそのせいかも。

スーパーお母さん

昔から、私は母親になりたい願望が強い。

できるものなら子供も早くほしいし好


でも。


それと同じくらい、キャリア志向も強い。というか、頑固な私はやりたいと思った仕事、

極めたいと思ったキャリアは諦めることなく追及したい。

だからこそ、今の私がいる訳だし。


だから、理想は最強のお母さん。

フットワークが軽く、プロアクティブにフィールドとHQ事務所を動き回り、確立したキャリアを持ちつつ、

他方で子供と一緒に買い物したり、料理したり、遊んだりする時間もあり、

更に旦那さまともいつまでも仲良く過ごしたい。


当然、いつまでも若々しくありたいし、体系も維持したい。


欲張りなのはわかっているんだけど。


これは決して譲れない理想の1つ。そんな母の背中を見て、子供に育ってほしい。

父の背中だけじゃなくてね。

私はスーパーお母さんになりたいんだビックリマーク


でも一体世の中にそんな母さんがいるんだろうか?


日本だと仕事で活躍する女性はシングルが多いと思う。

事実、開発・人道支援業界でもシングルの女性が多い。


欧米事情はよくわからないけれど、結婚している女性の多くは相手も業界にいることが多いんじゃないかな。


他方、アフリカには、結婚して子供もいる女性が結構活躍しているのだ。

スーダンは地理的に国連やNGOのインターナショナルスタッフであっても、アフリカ出身者が多い。

ケニア人を始め、ウガンダ人、コンゴ人、エチオピア人、などなど。

私の同僚にもケニア人ママが2人いる。


こうしたアフリカ出身の女性は、夫をお国に残している人もいれば、同じスーダンで別の組織で働いている
人もいる。子供はおじいちゃん・おばあちゃんに預けるか、全寮制の学校に送っている。


アフリカ諸国では、NGO・国連の職員というのは金融・ビジネス業界に次いでお給料が高い。

つまり、こうした働くアフリカのママたちは稼ぎ頭なのだ。

とはいえ、夫とも携帯でよく連絡をとっているし、休暇で国に帰ると子供や親戚回りをしているらしいし、

妻・母業も放棄している訳ではない。


そして夕方、「運動しないと体がさびる」と言って、20歳近くも年下の私と一緒にウォーキングする同僚P。

タフである。

私の観察。アフリカのママは私が理想とするスーパーお母さんに近い。


問題は自分がそんなスーパーお母さんになれるか資質があるかどうか。

そして夫にスーパーお母さんになることを認めてもらえるかどうか。


前者については、努力するしかない。

幸い、日本だろうがイギリスだろうがアメリカだろうがスーダンだろうが、家事をこなすのは楽しみの1つ。

洗い物、洗濯、料理、買い物、掃除。週末になると精が出ます♪

スタッフにも「うちの甥の嫁に」などと言われて調子に乗ってみたり。


かつて、手相を見てもらった時にも、「家事は仕事があっても、かなりきちんとこなす人ですね。」と言われた

こともあったっけ。


後者の相手の理解については、結婚となると意外と保守的な日本人男性は難しいんだろうなと…(苦笑)


やっぱりアフリカ!?


アフリカママと暗闇をウォーキングしながら徒然と思ったことでした。




部屋を少しイメチェン


部屋をイメチェンしましたクローバー

といっても、フロアリングのカーペットを張り替えただけなのだけれど。

しかもビニール製のね。汗だくになりながらの作業。


従来のフロアリングは虫食いで穴が開いていて、積もり積もった赤土の土埃も雑巾やモップでふいても

きれいにならないので、床に座ることも素足で歩くこともNGでした。

張り替えをしてからは、土埃は避けられませんが床に腰を下ろしてストレッチすることもできるようになり、

少しくらい素足で歩けるようになったので、快適度アップです。アップ


更に、先日休暇中に購入した100円ショップのアロマキャンドルと灯し、ジェネレーターの電源が入る前の

夕暮れ時は癒し空間を作ってストレッチをしています。


そう、スーダンに来て何が恋しかったかというか100円ショップ。生活を快適にするグッズや必需品が105円で手に入る。壊れても悔しくないし、大人買いしたって痛くもかゆくもない。

スーダン生活には欠かせないのです。


本当は好きなポストカードや絵も壁に飾りたいのだけれど、やはり土埃が問題。

ざらざらで汚くなるくらいなら、貼らない方がいいかなと。


仕上げにお気に入りの布地で棚を覆い(もちろんこれも埃対策)、好きなアイテムに囲まれています。


何かとストレスの多い僻地勤務。

ちょっとの工夫で気分は違うものです。(写真見る限り、変化があったようには思えないけれど…)


           Before                           After


    


さて、全然関係ないですが、またも It's a small world体験。

先日ジュバの空港で見覚えのある顔を見かけました。

どこで会ったんだろう…?記憶をたどること十数秒時計

4月にネパールで、短期の選挙監視団として来ていた女性でした。

今度はジュバで再会。カーターセンターの選挙プロジェクトのスタッフとして到着したばかりとのこと。


もしスーダンにいるのであれば、私も短期選挙監視団としてカーターセンターの選挙監視ミッションに

入れてもらえないかなぁと思案中。

選挙監視団としてうちの事業地に入ったら、ちょっとわくわくするなぁ。




引き締まる思い

数週間前になりますが、アフガニスタンで復興支援活動に従事していた日本のNGO職員の方が

殺害されるという悲しい事件がありました。


以前、アフガニスタンで働いていたということもあり、心配してくれた友人のみんな、ありがとう。

スーダン南部は比較的治安は落ち着いていて、特にインターナショナルが狙われる事件というのは

非常に少ないです。


しかし、このような痛ましい事件が起きると、同業者であらゆえに身が引き締まる思いで一杯です。

他方、援助関係が狙われるから、

①援助を止めるの(撤退する)のか

②関係なく援助を続けるのか

これは単純な2択ではありません。


そもそも、紛争後の国で活動をしようという団体ないし人は、何か起こるかもしれないというリスクを

意識していない訳がありません。

従って、十分なセキュリティ対策を取っていたとしても、こうした事件はある意味想定の範囲であるはずです。

もちろん死者を出すこと自体を想定している訳ではないにせよ、なんらかの形で武装勢力や政治的グループに狙われるかもしれないという事態は、考えているはずです。


私とて、何も起こらないのが当然と思っている訳ではありません。

南部スーダンだって、いつ武装勢力が現在の和平プロセスに不満を抱いて治安を脅かすかわかりません。

2009年の議会選挙で、南の声がスーダンの国会に届かないと言って暴力という手段によって不満を爆発させる事態にならないとも言い切れません。


だから、同様な事件が例えスーダンで起こったとしても、撤退するという選択肢があるかどうかは疑問です。

平和の定着のため、復興のために働いている以上、逃げたらただの「部外者」で終わってしまうと思うのです。

和平合意が結ばれ、平和が訪れたから仕事でやってきた。でもリスクが高すぎるから、それを払ってまで

任務を遂行するのは勘弁…といって逃げてしまったら、どこまで自分の任務にプロ意識を持ってやっているの?という話になると思います。


行ってはならない地域、行くにはクリアしなければならない条件がある地域(例えば軍のエスコートをつけるとか、現地スタッフを同伴させるとか、夜間には行かないとか、服装に気をつけるとか)に配慮し、何か起こった時の対処法を事前に用意をすることくらいしか、できることはないと思っています。

そして、リスクを負えないのであれば、そもそもその仕事を引き受けないこと。


そういう意味では、犠牲になった方が働いていたNGOの姿勢は、とても首尾貫徹していると思います。

何があっても、住民が裨益することのために活動する。

事件があったから、アフガン人を憎むとか撤退するとか縮小するとかは全く考えていないとのこと。


改めて、私はそういった危険な目には全く遭うことなく日々勤務しています。

でも、万が一そういった事態が起きても、おじけることなく、任務を遂行したいと思っています。


マーレ!事業地訪問

先週、幾度も到着に失敗してきた事業地の1つであるパガックにようやく行き着くことができました。


現在パガックには日本人スタッフが不在のため、レポーティングとサラリーの支払いを目的に私が

行くことになりました。プロジェクトマネジャーなのに2ヶ月経ってようやく事業地入り。お恥ずかしい限り。


パガックの事務所件ゲストハウスは、Airstripと呼ばれる滑走路沿いにある。

だから、飛行機が到着するのを目で確認してから、スタッフは飛行機が着陸するあたりに駆け寄ってくる。

「マーレ!」(現地ヌエール語のあいさつ)と言いいながら。


乾季であれば車で出迎えが可能であるが、雨季は車がぬかるみにスタックしてしまう恐れがあるので

迎え入れてくれるスタッフが荷物を担ぎ、事務所まで歩いて向かう。


パガックのイメージとしては、となりのトトロに出てくる村といった感じだろうか。

それよりもっと基本的な生活だし、緑で生い茂っているのはあくまで雨季だけなのだが。

エチオピアと国境を接するこの地域は、マーケットにはエチオピアからの品が中心に並ぶが、

それでも生活用品や食料品はごくわずかだ。

手に入る野菜も限られており、駐在スタッフはナイロビやジュバから食糧を買い込むことが多い。

事実、倉庫には小麦粉、紅茶、コーヒー、ジャム類、粉末スープ、乾燥野菜が貯蔵されている。


水は手動式の井戸。でもジュバと違って、電気が通わず電動で水が汲み上げられない!水が出ない!なんて悲鳴を聞く必要がないのは素晴らしい。日中はソーラーパネルで電力をしており、環境にも優しい。



事務所兼宿舎の草刈りをしている様子



この事業地での活動は、帰還民を受け入れる一時センター(通称Waystation)を運営しており、

帰還民がエチオピアのキャンプから帰ってくる乾季には、彼らに対する支援が中心となるが、

雨季である現在はWaystationを活用し、WFP支援のもとFood for TrainingとFood for Educationのプロジェクト

を実施している。


Food for Trainingでは、100人の女性を対象に基礎的な英語と算数のクラスを開き、出席に応じて食糧を

配布している。女性の中には、初めて鉛筆を握る…なんて人もいて、ビックリ。

でも、そんな女性が自分の名前を書けるようになりサインができたり、数字が読めるようになることで

マーケットのキロ・グラムや価格表示を理解することができれば、世界が広がることでしょう。


そんな活動が実施されているWaystationは事務所から歩いて45分くらいの場所にある。

乾季なら車で15分程度でたどり着くのだけど、雨季には長靴ですぼすぼ歩いていかなければなりません。

いい運動です。慣れると毎日でも通える気がしてくる。スタッフは、乾季の忙しい時期は事務所とWaystation

の往復を何度も繰り返すのだから、まさに体力勝負!


  


そして、なぜかダチョウが住んでいます。卵を産むにはまだ数年はかかるらしい…。



そうそう、事務所の倉庫にはヘビも姿を見せました。(ぎゃー!)




一見平和でのどかな情景ですが、WFPの食糧に虫がはえて傷んだり、行政の細かいリクエストや注文

にひとつひとつ対応したり、スタッフの小さな不満を聞いたり、一日はあっという間に過ぎていくのだった。




パガックの夕日:癒される風景