ファミコンとMSXの狭間 | MSX研究所日記

ファミコンとMSXの狭間

えー、MSXがとうとう25周年を迎えてしまいました。おめでたいと言うべきか、往生際が悪いと言うべきか悩みますが、一般的におめでたいということにしておきましょう。

さて25周年記念として、「MSXvsファミコン」をお届けしたいと思います。

MSXは他のパソコン群と違い、やたらとファミコンと比較されがちです。確かにパソコンとしては価格が安いということもありますが、そもそも「製品としての性質が全く違うのに、なんでこうも比較されるのか」という疑問を抱いておりました。

そんな折、手に入れたのが1985年の週刊少年ジャンプです。



1985年4・5合併号、定価190円です。実際の発売は1984年末だったようです。

表紙には当時の代表作である「北斗の拳」、そしてデカデカと「発行部数403万部達成!!」と書いてある通り、部数を飛躍的に伸ばしていた頃ですね。ぶっちゃけ、既に300万部を切っている今より売れているというのが切ないですが。

そんな400万部雑誌を裏返すと…。



僕らのMSXが!しかもよりによってカシオのPV-7!

ここまで来ればなんとなく分かると思いますが、少年ジャンプには執拗なくらいMSXの広告が載っていたのです。このカシオPV-7を皮切りに、同じカシオのPV-16、パナソニックFS-A1、ソニーのHB-F1、HB-F1XDJ、確認できた限りではFS-A1WSX(MSX2+)の頃まで裏表紙にドドンと載っておりました。FS-A1の頃はグラビアページの近くに見開き2連発(4ページ)広告など、物凄い力の入れようでした。

特に松下は大広告主だったのか、MSX以外の電化製品や自転車(ナショナル自転車)の広告が毎号のように入っておりました。そりゃ、ファミコンの近所にこれだけMSXが露出していれば自然と比較されようというものです。

ところが、少年ジャンプにはファミコンそのものの広告はほとんど出てきません。そらそうです、この頃はまだ任天堂ごときが松下やソニーといった家電大連合が推し進めていたMSX陣営に資金面で勝てるはずがありませんでした。この号にはナムコやハドソンによるファミコンソフトの広告こそ出ていますが、読者プレゼントは「スーパーカセットビジョン(2名)」。泣けます。

「ファミコンがMSXに勝った」とはあまり言われず、「MSXがファミコンに負けた」とされる背景とは、「MSXがファミコンの市場に食い込もうとしてMSXから乗り込んで行って勝手に負けた」というニュアンスが感じられます。まさにその通りだったんですね。わっはっは。

「北斗の拳」に描かれた北斗神拳と南斗聖拳の戦いの影に、ファミコン神拳とMSX聖拳(アチョー)の戦いがあった、と考えるとちょっぴり感慨深いのでありました。



おまけ。


この号は「ドラゴンボール」の連載開始直後で、其の五が載っています。
ナイスミドルに化けたウーロンにブルマが一目惚れして「は はじめまして わたしブルマといいます 16歳でーっす」と言って出てきた直後の会話が上の図なんですが…。

ウーロン「ほお…バ バストのサイズは い いくつかな…」
ブルマ「85!!!」
ウーロン「は 85か… い いいな パ…パフパフができるな…」

お前ら初対面で何言ってるんだ。

ドラゴンボールにおける「ぱふぱふ」と言うと、後にブルマに化けたウーロン(バニーガール姿)が亀仙人に炸裂させるシーンがつとに有名ですが、実はこの号が初出なのです。もちろん、ドラゴンクエストよりも前です。

ところで「これが なさけない パフパフだ!!」の絵、よく見ると服を着てません。亀仙人にする際にも事前にバニー服をはだけていたので、鳥山先生には「パフパフは生に限る」という持論でもあったのでしょうか。