だから構造家は、楽しい -9ページ目

3月18日 没後400年

お昼過ぎ、事務所を出て、菩提寺である十念寺へ。

お彼岸の法要。


平日のお彼岸法要など出席するのは初めて。

仕事もそこそこ忙しいのだけれど、今年は特別な年だから、と母に諭され出席。

家を興した初代の没後400年にあたるという節目の一年らしい。

無論、その親やさらにその親などもいるわけですが、なにがしかの家から分家し独立された方を初代と呼んでいるということ。

確かにこの記念すべき年を母や僕の世代で迎えるということの意味は噛み締めないといけない。


法要終了後、急ぎ事務所へ戻り馬場さん・仲野さんと打合せ。


必ずしも木造にしなくともRCやSできる4階建て建物を本当に木造にすべきか、という議題。

普通は逆なのですけどね。


多くの困難が伴うのも明らかなので、普通の人ならRC造で、ということになるところですが、

「木造で行きましょうか」

というのがとりあえずの結論。

とりあえず僕が何を気にしているか、ということをお施主様にご理解いただくためのレポートを書くことに。


夜、オープンデスクの送別会。

明日が最終日だけれど、明日は来客あって都合が悪いので一日前倒し。


終了後、四条から北大路の自宅まで徒歩で帰宅。

健康と節約の両立。


3月17日 書類提出

午前中、府庁前の京都府建築士事務所協会へ行き2009年度の業務報告書を提出。

個人事務所の場合は3月中ですので、まだの方はお早目に。


午後からは珍しく現場も打合せもなし。

各スタッフの作業の進捗状況確認と次へのディレクションを中心に時間を使う。


夕食後は、放ったらかしにしていた断面最適化プログラムのラフスケッチ。

答えを絞り込むアルゴリズムをどうするか。

どうせなら数式レベルでスパッと解いてしまいたいところではあるが、

面倒なのでイタレーションして解にたどりつかせることをよしとするかどうか。。。


もうちょい考えよう。


3月16日 大阪事務所廻り

11時半すぎに事務所を出て、阪急で大阪へ。

淡路乗換えで大阪市内へ行くルートにもだいぶ慣れました。


13時過ぎ、あびこの木村松本さんの事務所へ到着。

FIXさせるために打合せに来たようなもの。

スケール感というか、プロポーションの問題。

リアリティという意味ではどれくらい似た感覚でいられるのかがポイントか。


終了後、地下鉄と環状線で玉造まで。

空堀町の屋根裏設計へ。

羽倉崎の家のプレカット図について、業者さんを交えての打合せ。

問題点を一つ一つ潰していき、ほぼ解決。

月末ころには建て方か。


終了後、屋根裏の寺田・中山両氏と共に、玉造のピザ屋さんで食事。

おいしゅうございました。


23時事務所に戻り、一仕事。

終電で家に戻り、もろもろ資料作り。

年度末は、何かと忙しい。


3月15日 耐震改修事始

リノベシンポで思うことありて、耐震改修にも手をつけ始めんといかんなぁ、と思い始めるようになり、

もろもろ書籍を買うことにした。


実務的には、財団法人建築防災協会、といういかにも名前の団体が出している指針類が必要となるので、発注手続きをする。


国土交通省住宅局建築指導課監修
2001年改訂版 既存鉄筋コンクリート造建築物の耐震診断基準・改修設計指針・同解説


なんぞは、14000円もする。

勘弁してもらいたい。


その他、事例集等もあわせ計3冊購入し、32500円なり。


しかもRC限定で厳選してこの値段。

(鉄骨造やら木造はとりあえずおいといて、まずはRCから)


耐震診断や耐震改修で一銭も稼いでいないうちからこの出費。

いつになれば元を取れるのやら。。。


3月14日 日曜日

あまりに天気が良いので、家族で賀茂川でランチ。途中ご近所さんも合流。

縄跳びやらフリスビーやらで遊ぶ。

長女との二重とび対決は、22対10で惨敗。。。


このブヨブヨの身体ではお父さん22回は飛べませんですよ。。。


一旦自宅へ戻り、汚れた服を着替えてから、下鴨S邸のオープンハウスへ。


敷地の間口幅が自宅とほぼ一緒であることや、地下室を掘った場合のことなど嫁への参考事例に最適。


夜は、新町のえんらくにて食事。

帰宅後、NHKスペシャルを見る。


たかだか60年前の被災事例がきちんと伝承されていないのは、まずいんじゃないかと感じる。


見終わった後は、昨夜に引き続き、ベンチの動的非線形解析。


個人的には圧縮時と引張時の弾性係数を別設定したいのだけれど、その設定方法が見つからない。


やむを得ず、引張側は極めて小さい力で降伏し、ヤング係数も弾性の1/10000の設定させることで対応。


昨夜は、これを単純なバイリニヤで設定していたので、どうも除荷勾配が弾性勾配となっており、おかしな残留変形が残ってしまったのだけれど、これを非線形弾性で設定してやれば、除荷時も1/10000勾配がキープされるので、なんとか浮いた状態を動的に表現することができた。

ただ、曲げに対しては、そもそも浮いた状態でなくてはならないのに、曲げ負担しているおかしな状態だったので、明日はこの辺りをどこまで修正できるかが勝負どころか。


というか、ベンチでここまでせねばならんのか。。。




3月13日 初回打合せ

昼過ぎ、北山のロイヤルホストにて、屋根裏設計のお二人と羽衣の住宅の打ち合わせ。


彼らの希望もあり、エスキスレベルからの打ち合わせ。

10個程度の模型を見せていただき、話をしていくなかで、2つほど個人的に印象の良いものを選ばせていただく。


それらの発展系が出てくるのか、まったく違うものが出てくるのか。


終了後、近くのオープンハウスへご案内する。


見学後は、事務所へ戻り諸々仕事。


スタッフGが早退したため、手数が不足し、僕が解析を行うことに。


動的非線形解析は、設定がやたらとややこしい。


結局1時までかかる。


3月12日 世界は狭い

午後から某芸大プロジェクト打合せ。

今回からチームに女性が一人加わる。

最近までスペインにいらしたとのことで色々話を聞いていくと、

ある時期、伊東事務所のバルセロナのプロジェクトのお手伝いをしていたとのこと。

確かに、一時期、現地事務所に女性が加入しメールのやりとりなどをしたことを記憶しており、僕の担当建物などの話をしたら、ピタリ一致。世界は地球規模で狭い(笑)。


本プロジェクトもそろそろ試作品の製作に移行しなくては。

プログラムの方はほぼ完成。模型製作用にdxfデータ化したも欲しいとのオーダーもあり、それも了承。


事務所への帰り道にジュンク堂へ寄り、耐震改修本や建築ノートなどを買う。


某ベンチの解析を進める。

水平荷重の設定に頭を悩ます。学会規準やJISなどによる静的荷重入力したものと、

衝突荷重をパルス入力して振動解析した応答値を比較検証。衝突荷重は過去のガラス強度検討のための学会論文を参照。


美術作品やらベンチやら、建築ではないモノの構造設計やそれに関連したプログラム開発。

スタッフが充実してきたので、色々なことに手がまわせるようになりました。



3月11日 ジャーナルBIM原稿

朝早く起きて、自宅で建築ジャーナルの原稿書き。

ただし、締切は前日(汗)


ラフスケッチというか、書くストーリーはできていたのだけれども、上手くまとめられずで、締切守れずですいません。

ちなみにBIM関連の特集で4月号です。


10時過ぎまで家で作業して、自転車で、途中、御旅所前の現場の様子を確認してから出社。


原稿の続きを書いて、昼過ぎに送信。


夕方、大阪にレクチャーに来ていた池田昌弘さんにご挨拶しに大阪方面へ。


飲み会では関西の若い人達と会って、帰りは垣内さんと京阪で帰宅。


体調戻らず、寒気は続く。


3月10日 来客3組

最近、風邪と花粉症なのかよくわからないのだけれど、鼻がやたら出る。

そして、鼻の頭あたりがイタイ。


13時半、広島県の女性建築家が来所。

香川県内の住宅の相談。うまく進みますように。。。


15時、建築合宿の運営委員の学生さんが来所。

中間講評依頼の挨拶と、当日のスケジュールの説明を聞く。

課題を出すのは最終講評を行うTNA。

課題内容を聞くと、結構『漠然』としたモノ。彼ららしいと言えば彼ららしい。

この課題だと、おそらく、中間講評のタイミングでは、学生の発表内容は、

課題内容をどう解釈したか、ということの説明となり、形にまではたどりついてないのではないか、と思われる。

そのことと、構造の僕を中間講評に呼んだ学生の意図が合致しているかどうか。

ま、学生がイメージの話をすれば、僕はその範囲で講評するまでの話だけれど。


20時、宗本晋作さん来所しコンペ打合せ。

今度こそ必ずや。。。



3月9日 リノベシンポ

苦楽園の現場は最上階の壁配筋まで完了。構造はあと少しです。


夕方、梅田阪急スカイロビーの現場へ。

写真はアップできませんが、中々の場所です。新名所となりそう。お隣のドミニクペローのビルも内部工事が進んでいる様子が良く見えました。5月にはオープンということで、結構急ぎです。


その後、コーポ北加賀屋へ行って、リノベーションシンポ。

講師の方々が充実していたこともあり、非常にお腹一杯になる中身のあるシンポジウム。

色々思うところありましたが、耐震改修も頑張っていかねば、という気になったのは事実。


耐震改修の構造デザインの多くが、デザイン的にイマイチなものであるという感想を多くの建築家から聞かされるということは、僕らのようなデザイン寄りの構造家がしっかりとそっち方面もケアしていかねばならんのじゃないか、という啓示のようにも感じます。