阿木さん、竜童さんは最初に曲を頼まれたときの横須賀ストーリーはいわば直球と表現し、後で提供した曲はいわば変化球と表現した。
最初の提供だしアルバム用の曲だし素直に直球だった。しかしシングルとしてリリースされ大ヒットし、その後も大ヒットを続け宇崎夫妻にもプレッシャーがのしかかってきた。
ヒット曲でなければ許されない。百恵さんのシングル曲に関しては竜童さんは10曲付けて、9曲をボツにして提供していたとも話していた。
プレイバック、美サイレントは歌謡界の常識を覆す変化球である。演奏が一瞬止まる。サイレント:口パクこんな歌あるだろうか。百恵さん故の曲だ。
宇崎夫妻はレコーディングの際に作家として歌い方の幾つかの指導をする。しかし彼女は歌を作家のものに留めず、自分のものとして表現し、作家が想像し得なかったその歌の世界を演じる表現力があった。
百恵さんの歌はマイクを持つ手があるためあまり派手な振り付けはない。ラジオだったか振り付け師の西条満さん?に関する証言にで、プレイバックpart2は全部の振り付けをせず、自分で考える余地を残した。
歌のイメージから彼女が考えた振り付けには驚いた。特に目の表現力で、圧倒的な目力と「ドス」の効いた声の組み合わせは、彼女の表現力の豊かさを物語る。というようなことを確か言っていたと思う。
2回目の「馬鹿にしないでよ そっちのせいよ♪」と「坊やいったい何を教わって来たの♪」と、一度でいいから、あの目に見つめられながら言われてみたい。足蹴にされてでもいい(Mネタではありません。憧れです)
アクシデントがあっても立ち直りも早く歌の世界へと入っていきます。
hokker16