おはようございます。
世界へ羽ばたく文化人を育てるピアノ教室
スズキ・メソードピアノ教室 菅原尚子クラスです。
昨日の続きです。
1年間の社会人生活という名の浪人時代、仕事の日以外は日々練習に明け暮れたものの、正に間に合わせのように迎えた入試の日。
何とか弾ききったものの、落ちたと思った。
それでも、演奏の後には面接がある。
肩を落として面接室へ入った。
当時の副校長(フルート科)には「あんた、まるで“試験”受けたような顔をして(笑)・・・・・・スズキは1に人物、2に技量。技量は今から!大丈夫、良い先生になるよ。」と言っていただき、校長(ヴァイオリン科)には「あなたの緩徐楽章の歌い方は素晴らしい。あなたは音楽を持っている。あとはそれをピアノで表現するためにピアノのメカニックとテクニックをここで学びなさい。」と言っていただけた。
しばらくの沈黙の後ピアノ科の教授はこう話された。
「時間、かかりますよ。そうですね、気が遠くなるような練習が8年くらい。覚悟、できますか?」
当時の音楽院は大学のように4年で卒業などとは決まっておらず、教授陣が「卒業してよし」と判断したら卒業、というシステムであった。
卒業の目安としては、音大を卒業後の学生でおおよそ3年半から4年。普通大卒などだと5~6年程とは聞いてはいたので、それより長いことは覚悟していた。
今思うと何と贅沢な環境であっただろうかと思う。
生徒一人一人にじっくりと向き合って下さった学校だった。
続きはまたの機会に書かせていただきたいと思います。
お読みいただき有難うございました。