僕の名は《KENSO ZUZUKY》
この数年のKensoを語っていくにあたって、まずはこの《Kenso》という名前について語る必要があるだろう。
ケンゾーが、数年経ったら突然と《ケンソー》になって帰国した。前触れもなく全日のリングに出現した《Kenso》という名の、なんか見たことのあるレスラーに、当初は会場でも、
『Kensoって、…もしかしてケンゾー?』
なんて声もちらほら聞かれていたらしい。
だって、とにかく、らしくない。あれほどの目立ちたがり屋が、何の記事が出ることもなくひょっこりと帰国して、派手なパフォーマンスもなく何となく全日入りしているし、いつの間にか名前まで《Kenso》になっているし。当初は周囲の知人友人ですら、彼の名前や行動に、随分とあんぐりしていた。
「ねぇ。なんかサイトにKensoって名前で写真が出ていたけど、あれ健ちゃんでしょう?なんだかサイトの下の方にとってつけたみたいに写真があったけどさ。扱いも小さいし。あんたちゃんと確認してるの?あれで大丈夫なの?」
マスコミ関係に勤める友人や先輩は出来ることがあるのがわかるだけに苛立つらしく、
「もうちょっとましな復帰のさせ方があっただろう!比呂子がついていてなんであんな地味な帰国をさせたんだよ。見たらなんだかやせてるし。あいつは背が高いんだから、がたいがよけりゃ、ぱっと見だけでもファンは《うわぁ、でけぇ…》って感動するんだからさ」
なんて中には軽い叱責も受ける。
「《ケンソー》って何だよ。名前の音を変えるなんて有り得ないだろうが。ファンにはケンゾーで認知されてるんだから。ファンへの認知度を考えろって。第一、《ケンソー》ってなんか音も軽いしさ、レスラーならドシっと重い《ケンゾー》の方がいいだろうよ。お前がついてて何してるんだよ」
それでもKensoは一向に意に介さない。、しかし心配してくれた知人らから指摘を受けた責任上、私も、一応、と食らいつくが、
「最初なんてどうでもいいんだよ。ゆっくりゆっくり浸透してくのが本当の人気だよ。打ち上げ花火を上げたところで、結局その場だけの話だろう。名前だって、《ケンゾー》の方が知れてるって言っても、所詮これだけ日本を空けたんだ。微々たる差だよ。プロレス自体が面白ければ、ファンはそのうちついてくる。名前だってそのうち知れる。それを求めなくちゃだめだ」
と、まぁどえらい変わりっぷり。
「だけど、前みたいに大きい方が良いって…」
「関係ねぇよ。俺のプロレスには体重の重さは邪魔だもん」
「だけど…その方がファンの目をひくって」
「《ぱっと見》だけの話だろう?それで体重重くてプロレス出来なかったら、なんの意味もない」
「でもさぁ…」これだけ相手にされないと、私の方も言葉が出なくなる。「名前だってさぁ、日本だと《ケンソー》ってなんか軽いみたいだし…」
食い下がっては見たものの、結局一言で却下。
「そのうち慣れるだろ」
まぁ確かに、彼のメヒコでの経験を思えば、そうした出端の派手さや名前にこだわらなくなるのも無理もない。
だってメヒコでは、《Kenzo》も《Kenso》も、音は同じく《ケンソー》なのだ。
スペイン語で《Z》の音は、《ズィー》ではなく《セタ》だ。ザ行ではなく、サ行になる。つまりスペイン語圏で彼の名を呼ぶと、濁音がきれいに消えて、
《ケンソー ススキ》
となってしまう。メキシコ入りした当初、まだケンゾーはテレビショーの常連ではなく、まともなプッシュもお膳立てもなかった。ようやく中堅試合をもらえるようになり、時々登場するスペイン語ではなんともややこしい名前を持ったアジア人に、ファンも会社もテレビ局も、みんながやけに混乱した。
《ケンソー ススキ》
プライベートでもリング上でもテレビでも、自分がいつの間にかそう呼ばれている。音で濁音が消えるくらいならまだいい。試合が増えると、そのうちパンフレット等の表記が、
《KENSO SUSUKI》
になっていく。どこか間抜けなこの字面に、当初はなんとかしてまともな表記をして欲しくて、随所で必死に説明を繰り返していた。
「モーターサイクルのSUZUKIと一緒、《Z》で《ズ》っ!! ス《ズ》キです、ス《ズ》キっ!!!!」
しかしそれでも結局パンフレットもポスターも、テレビの字幕すら、表記は《KENSO SUSUKI》になってしまう。そうじゃない!といきり立ち、《S》だ《Z》だと騒ぎ立てると、大らかなメキシコ人はかえってパニックになってしまう。気付けば彼の名は、
《KENSO ZUSUKI》
ケンソー…ズスキさん。
残念ながら、逆に悪化することになったりする。
『こりゃ、だてに騒いではいかんのだな…』
ある程度のところで気が付いた私たちだったが、既に時遅し。メヒコでの活動一年後くらいにいただいた協会からの正式なトロフィーと賞状は、事前に何度も電話を貰い、何度も説明したにもかかわらず、結局こんな名前表記になっていた。
《KENSO ZUZUKY》
ケンソー・・・ズズキィ~~~~~…。
これで彼は完全に抵抗をあきらめた。暫くすると、名前から《SUZUKI》が消え、音は《ケンソー》、表記は《KENSO》に落ち着いた。ファンや友人からも《ケンソー》と呼ばれて一年以上が経過して、自らもスペイン語を話すようになり、彼自身も何となく《ケンソー》が当たり前になった。
その頃からだ。KENSOという名と共に、彼の人気がうなぎ登りに上っていった。当初は週に一試合で必死に食いつないでいた彼だか、二三ヶ月後くらいから徐々に試合が増え、一年もすると週に7~10試合のオファーがコンスタントに続くようになる。週末になると、3会場のショーが開始時間を30分づつずらし、メインエベントに出場する人気選手たちは近場3会場のショーを掛け持ちする。気が付くと、KENSOもその一人になっていた。
半年、一年と経っても、彼の試合数は減らなかった。毎週のテレビショーで欠かさずメインエベントを勤めるトップ選手の仲間入りを果たすと、当初彼が《ススキ》だったり《ズスキ》だったり、《ズズキィ》だったりしたこともどうでもよくなった。
考えてみれば、ここメヒコでの彼には華々しいデビューはなく、最初からメインエベントに連続出場するような派手なお膳立てもなかった。実は、いつだって特別扱いをうけてデビューさせてもらってきた彼の場合、そんな経験自体がプロレス人生で初めてのことだったのだ。しかしそれが今は有難い。お膳が大きければ大きいほどそれなりの結果を期待されるわけで、選手にすれば、手探りの状態のうちから過度のプレッシャーとの戦いになる。AAAの場合、そんなプレッシャーで選手をつぶすこともなく、逆に彼を即戦力の打ち上げ花火に使い捨てることもなく、時間をかけて《ケンソー》を定着させ、着実なファンを増やす方向にもっていってくれたわけだ。
あれから数年が経った今、彼は《KENSO》のまま帰国した。帰国当初は心配されたとおり、実際に名前の音はフワフワ軽く、帰国も至って地味だった。しかし彼は気にしない。
だってそもそも、彼はこれまでの名前の上を続けて走るつもりがない。
大切なのは、これから。
デビューから11年。彼はここでようやく日本人レスラーとして本気のスタートを切ったつもりでいる。
外国で働くすばらしさと限界。プロレスという商売のあるべき姿。本当のレスラーとは。メヒコでのこの数年のどさ回りで実際に経験し、感じたことを軸に、本物のプロレスラーになろうと決心している。
だからKENSOは、たとえ《ケンゾー》の方が認知度が高いとしても、それが最初は損になるとしても、その名で走っていくだろうと私は思う。それは彼自身が、メヒコでのあのヘビーな経験とそのときの感情を忘れないためなのだ。
とはいえ、実際、それが正しい判断だったかどうかは、今は彼にも私にも、誰にもわからない。
だって問題の鍵は、彼が本物になれるかどうかなのだ。
《最初なんてどうでもいいんだよ。ゆっくりゆっくり浸透してくのが本当の人気だよ。打ち上げ花火を上げたところで、結局その場だけの話だろう。《ケンゾー》の方が知れてるって言っても、微々たる差だよ。プロレス自体が面白ければ、ファンはそのうちついてくる。名前だってそのうち知れる。それを求めなくちゃだめだ》
ぐんと重いこの気持ちを忘れないために、彼はふわりと軽くて認知度の低い《KENSO》という名で走っている。