どんな所でも、人が集まると色々あります人間関係。

性格が合わない、生理的に受け付けない、
気に食わない、常識がない。

そんな苦手な人を
無難にあしらう大人な対応の人から、陰湿ないじめを図る人まで、様々です。

私もこれまで社会で色々な人間関係を見てきました。

十数年クリスチャンから離れて、世の人間関係をじっくり比較してきました。

そして改めてクリスチャン人間関係をじっくりじっくり。。

あれ

世の人とあんまし変わんね笑

てか

仲間の絆や愛や親切を普段当たり前のように注解する分
逆に、エグい気がするのですが。。

私だけ?

気にいらない人は無視当たり前。

しかも大の大人が仲間作ってグループ無視を真剣にしちゃう
おじさんおばさん
兄弟姉妹。

気に食わない人は交わりも誘いません。

お気に入りの仲間が別の会衆に移動する時は、成員巻き込んで大カンパして、
高価なプレゼントでお見送り。

気に食わない人は、プレゼントどころか引越しの手伝いにも行きません。

気に食わない人は=霊性を下げる人
に仕立てます。

研究生が沢山いる姉妹へのひがみから
遠回しの嫌味を言う開拓者。


これらはもちろん一部の人達です。。
けど、
少なくもない気がします。

でもそんな人達に限って

長老に取り入るのうまいんですよね。。

そんな所で無駄に労力使っても

信頼は消えていくばかりですよ!

おばかさんですね。

















私は幼い頃から、両親に連れられて集会に行っていました。

両親が学び始めた頃、私は5歳。
田舎の為か当時はまだ成員は少なく、長老もおらず、王国会館も民家を借りて、特別開拓者の姉妹達が書籍研究の司会をして、公開講演は近隣の会衆から毎週派遣されている状況でした。

集会に通い始めて間も無くだったでしょうか。

集会中に部屋の奥から

ギャーーと叫ぶ声が。

間も無く、カーテンで仕切られた向こうから
若いお母さんが
涙で顔がぐちゃぐちゃの子供を抱いて
戻ってきました。

子供を抱いている手には、コードをビニールテープでぐるぐるに巻いている物が。

ムチです。

その時私はそのビニールテープで巻いたコードが子供の涙の元だという事がわからなかったけど、
明らかに手をあげられた時に泣いたものだというのは瞬時に分かって
怖さでいっぱいになった事を覚えています。

もちろん世の親も手をあげます。
小突いたり叩いたりします。
愛情のため。もしくは親の感情に任せたただの折檻。

ムチは後者と思います。
恐怖を煽り、後をひくほどの痛みがあり、
受けるダメージは、愛情とは程遠いものです。


もう既にそこから、この宗教が上手に与えてきた恐怖心に無意識に支配されてきたのでしょう。

エホバに逆らうと罰が与えられる。
=集会中に寝たら罰
=集会中によそ見ばかりしたら罰
=集会中にテンション上がっておちゃらけたら罰
=集会中にじっとしてられなくてぐずり出したら罰
=嘘ついたら罰
=人のものをつい取り上げたら罰
=我を通したら罰


けど、けど。

子供にとっては何が何だかほぼわかりません。だって子供の行動は故意というより、成長段階で見せる自然な兆候だから。

ちゃんと納得させる方法は叩かなくてもあるのです。

仮にムチの前に自分が悪い理由を説明されたって、ムチの恐怖しか頭に残りません。

痛いだけ。
怖いだけ。

。。。

もっと、納得させる方法あんだろ。。

そのやり方が間違いだと気づいた時まで、
どれだけの子供が犠牲になったのでしょうね。。


間も無く我が家にもコードと竹、二種類のムチが準備されました。

学び始めの熱心な親は、特別開拓者のムチに関する意見にも忠実に従います。
子育てもしたことない特別開拓者に。

ここから両親、特別開拓者、会衆によって、捻じ曲げられたクリスチャンレールを敷かれ、幼い私は有無を言わされず進んでいく事になるのでした。

20代前半、私はある時期家で寝込んでいました。

集会に行こうとすると、怖くて行けないのです。
ずっと信じていた仲間の愛やあたたかさは、
うわべと都合の良い場合だけだとわかった時に、仲間が信じられなくなっていたのです。

でも、きっとその怖さはいずれなくなって、
元気になれると信じていました。

けど
そんなふうに恐怖と闘っていた中

私は寝込んでいただけなのに

問題もおこしていないのに

話しすらしていないのに

無理矢理断絶扱いにされてしまいました。

巡回監督に。


おかげでその後の私の人生、立て直すまで相当苦労しました。

でも、十数年経った今
私は訳あって復帰しました。

復帰して、色々なものが見えました。

現在のクリスチャンの勘違いぶりを見て、
自分もこの輪にどっぷりはまらなくて
むしろよかったと思える程です。

これからこのブログを通して、
自分の過去の傷を吐き出し、
現在思う
おかしいと思う事を取り上げて行こうと思います。

そして、同じ傷を負った人が
悪いのは自分ではなくて、この都合良すぎる組織のせいなのだと
改めて納得する材料になればと思います。