40:仕事と愛 テレビで働き続けた男 | ロングテールの先っぽで

40:仕事と愛 テレビで働き続けた男

私は就職活動の時にテレビ局を受けておりました。
どうしても『作品を作って多くの人に楽しんでもらう』仕事が
したかった。


就職浪人までして
2年間も就職活動なんてものをしていました。


ほとんどは1次面接で落ちましたが、
とある局だけ最終まで進む事ができました。



最終試験は夏休み1ヶ月を使って
実際に『番組を作る』という、
とても就職活動とは思えない程の
高密度な時間をいただきました。



今でもあの夏がひどく暑かったのを覚えています。



最終に残ったのは8人。
そのうち、局員として合格したのが3名。
4名が、関連の制作会社へ行き、


私だけがテレビを離れ、IT企業へ就職しました。



その時、先生として
我々学生に、『テレビ制作』というものを
イチから叩き込んでくれたのが、


その局の、制作畑の一番お偉い方だったのです。



番組名を言えば、
皆さん必ず知っている番組を


生み、


そして育て、





日本の文化にしてしまった人です。




去年の秋に、
局からは退かれて、
現在はフリーの身として、お仕事を続けられているのですが、
久しぶりに先週末お会いしました。




誰よりも、制作にのある方なんです。




というよりも、、









が深い方なのです。











『俺はねー、テレビ局をやめたら、いろんな事をしようと思ってたんだ!』






67歳とは思えないほどパワフルかつ、
可愛い一面を持っている、そんな方です。







『だけどなー、ダメだ。



 何をやってもちっとも面白くない。





 いいか。



 テレビの仕事が一番面白い。
 あんな面白いモノは、他に無い。











言っている、先生の顔には
心なしか元気がなかったように見えた。








僕が就職活動をしていた時から、






『おれぁー引退したらハワイに住んで
 ゴルフ三昧で過ごすんだ』









と豪語していたのに、




『ゴルフがちっとも面白くない』



と。








『いいか、

 1に仕事2に女性(異性)、3、4は無くて、5が趣味だ。』







テレビ局には、制作側と経営側と2つの世界がある。
制作畑で偉業をこなした方々は、
それなりのお年になると、大概は経営側にまわる。







そんな中で、僕のその愛すべき先生は
ひたすらに制作を貫き通した。








そんな先生から出た、
『1に仕事』という





いかにも古い日本を思わせるような言葉に








僕は感動してしまった。









最近、テレビ崩壊がよく騒がれる。



時代の潮流にテレビは置いていかれるだろう。
僕も、わずかな間ではあるが
就職活動を通して、
テレビの『古さ』を肌身に感じた。







だが、テレビマンの中には
たまにこういう、
のある人がいる。


というか、結構多かったりする。







他の企業をあまり見たことはないが、
この『愛』の部分で、







多くのサラリーマンは負けている気がする。









映画監督がどんな類の人間か、
僕は知らないが、





バラエティ番組の制作に命をかけた
僕の先生の愛は、ハンパない。








何かを創り出したいと願う
僕にとっては、
それだけが、本当に良い勉強になっている気がする。









局を退社されたとは言え、
まだ現役で働かれている先生は、


明日も朝10時の電車で地方へ向かわれる。








『俺もまだまだガキだな。



 10時には帰ろうと思っていたのに
 こうして飲んでると
 ついつい帰るのが遅くなる。』









そういう先生は、
昔の教え子に囲まれて、
結局11時頃までいて、
一人先に帰った。





すごく嬉しい言葉だった。