あるブログよりコピペです。以下から
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ご挨拶も、お断りも御無用です。
拡散希望です。
昭和天皇の弟で天皇陛下の叔父の三笠宮さまが、入院先の東京都内の病院で心不全のため亡くなられました。100歳でした。
三笠宮さまは、ことし5月16日、せきや発熱の症状を訴え、急性肺炎と診断されて東京・中央区の聖路加国際病院に入院されました。
治療によって肺炎の症状は改善しましたが、三笠宮さまは、心臓の働きの低下がみられ、胸にたまった水を抜く治療を受けたり、新たに誤えん性の肺炎を発症したりして病室と集中治療室とを行き来される状況が続きました。
また、6月下旬には、心臓の拍動のリズムを整える「ペースメーカー」を埋め込む治療を受けられました。7月下旬以降は、集中治療室での治療が続き、8月には、一時、体調が悪化して、皇族方が相次いで見舞いに訪れました。
そして、27日脈が弱まり血圧も低下するなど容体が悪化して、午前8時34分に、心不全のため亡くなられたということです。
三笠宮さまは、4年前の平成24年、96歳で心臓の弁の機能を回復するための手術を受け、その後外出の機会は減ったものの、去年12月に明治以降の皇族で初めて100歳を迎えられました。ことし1月の新年の一般参賀では、妃の百合子さまとともに元気な姿を見せ、4月には、お住まいの宮邸でトルコに赴任する日本の大使と面会する公務にも臨まれていました。
聖路加国際病院には、三笠宮妃の百合子さまが26日からご自身の検査のため入院していて三笠宮さまを看取られたほか、高円宮妃の久子さまと長女の承子さま、三女の絢子さま、それに三笠宮さまの孫の瑤子さまも病院に駆けつけられました。
皇族が亡くなったのはおととし6月、三笠宮さまの次男の桂宮さまが亡くなられて以来です。三笠宮さまが亡くなられたことで、皇室は天皇陛下と皇族方の合わせて19人になりました。また、皇位継承順位が第5位の三笠宮さまが亡くなられ、皇位を継承できる男性皇族は4人になりました。
(ここまで)
大変もうしわけないのだけど、悼む気になれないのよね。
三笠宮さまのご尊顔を廃するたびに、その寿命を聡明な昭和天皇にわけてさしげろと、言いたかったわ。
もし、昭和帝の寿命が100年あって2001年に御隠れになったとして昭和が75年続いたとしたら、昭和天皇が反対していた雅子の入内はなかったのよね。
旧宮家の令嬢が皇太子妃(もちろん正妃)になっていれば、明仁皇太子の夫人ではあるけど、妃として認められてない美智子が太刀打ちできるはずもなく、そうなったら、旧華族系の職員さんも盛り返して、正田美智子に化けた女どもと拮抗できたはず。
もちろん、秋篠宮家への産児制限が敷かれることもなく、秋篠宮家に親王か内親王がもっとたくさんお生まれになったはず。
災害と不況まみれの平成ももっと短かったし、明仁皇太子が摂政になる期間があったにせよ、祭祀も公務も本来の皇室の在り方の枠からずれることなく、政治経済社会が荒廃することもなかったと思うのよネ。
赤い皇族、
赤い宮家
赤い長老、、
ようはアカだった方。
皇室特権を享受しながら皇室を否定してた卑怯な御方。
大国日本の財力と権威でヌクヌク暮らしていたのに、「戦争責任が」「中国でひどいこことをしてた」「あやまるべき」など、日本毀損をやめなかった御方。
さらには「神武天皇が実在したかどうかわからない」とか、中韓左翼が大喜びするようなことばかり発言なさっていた赤い長老。
かつてラオスに共産革命がおこっても、自分だけは助かろうとする王族がいたらしいけど、似たような王子、親王ってどこの王朝でもいるのかしら。
満州では「若杉参謀大尉」として活動していたらしいけど、、
クーデターを起こそうとして計画を立てて人を集めたけど、直前になって怖くなって部下を裏切って密告し、自分は助かったという御方。
妃殿下の家格が他の兄宮の妃殿下と釣り合わないらしいのだけど、お若いころからよほど評判悪かったのかしら。
赤い長老・三笠宮さま
3人親王を残したものの、早くに先立たれたし、2人の内親王を残したけど、評判が悪い方がいらっしゃるし、孫娘の5人の女王さんたちは問題の多い方が多いのね。
皇室を否定し毀損しながらも、皇室の権威に寄生して生きる生き方は、子孫に受け継がれたみたい。
多くの三笠宮さまの子孫さんたちには、依存しながら憎悪し、支配しようとする傾向があるのよね。
それ、朝鮮部落出身の雅子や、朝鮮族中国人の正田美智子に化けた女どものチームの在り方に似ているの。
最高位にある宮家のはずが、なんで朝鮮で、大昔の同和の空気が満載なのは、なんででしょうね。
妻の実家麻生家に依存しながら、妻を憎悪した宮様。
女性宮家や女性天皇に反対してくれた方ではありますが、長女の女王さんの育て方には失敗したのではないでしょうか。
長女・彬子様
母上の信子さまを放逐して、「亡父宮のご意志により」自分が宮家の当主になろうとした御方。
法ではなく個人の意向でどうにでもなるという考えが、天皇の意志により戦前退位、天皇の意志により愛子が天皇、が実現できると信じて行動している、美智子や雅子と同じねー。
なんで??
信子さまの兄麻生副総理を呼び出して、母を引き取ってくださいと命じた彬子さま。
麻生家の援助あっての宮家だったのに、、。
学位をとったものの、ご降嫁もせず、ひたすら「女性宮家の創立」、もしくは「旧皇族男子を養子にして三笠宮家を継ぐ」に運を賭けているみたいですが、ありえないのよねー。
国家財政も苦しいのに、国に毀損と損害をもたらす宮家を存続させる理由って、思いつかないわー。
次女・瑤子様
姉上の野心に巻き込まれず、大正天皇の曾孫というブランドを生かして、名家にご降嫁していただきたいですね。
身体に障害をおわれましたが、近代以降の皇族の中で一番のイケメンでした。
障害をおわれた過程が今一つ不審な点が多いですね。
都内のマンションで殴打(?)されて昏倒したまま放置されていたとか、、、。
怖いですね。
長女・近衛寧子さん
今、常磐会の会長をされているとか。
次女・千容子さん
フランス留学するも、ご生活は乱脈を極めたみたい。
母上の宮妃殿下が迎えに行き連れ戻したら、フランスからジゴロが追いかけてきたとか。
脱税で告訴される寸前の千家に降嫁することで、千家はマルサから逃れましたが、はたしてよかったのかどうなのか。
御性格がきついとかいうレベルではないらしく、姑をいびり殺したとか、お金使いが粗すぎるとか、、、承子女王をパワーアップした内親王さんでした。
三男・高円宮憲仁さま
亡くなり方が、怪しすぎましたね。
カナダ大使館でスカッシュしていて、お倒れになりそのままお亡くなりに、、。
葬儀もいまいち悲惨でしたね。
残されたご家族は、悲しんでないし、、。
妻はサッカー協会の会長にラブラブで、宮妃のお立場を忘れて、マリリン・モンローの仮装をして寿ぐような間柄。
未亡人生活を満喫。
葬儀でも長女さんは茶髪だし、あまり悲しそうでない感じ。
悲嘆のくれ方が、三笠宮家の女王さまたちとの差がありますね。
長女・承子さま
眞子様苛めのヤンキー皇族、ビッ◯だとか失礼なことをいう方が多いですが、英国留学中はその通りのご生活ぶり、交流関係をみるにその通りだったとか。
女性宮家の当主の卦はない上に、平成も不況が続いてますし国家予算の関係で旧皇族男子を養子にして宮家存続という卦も三笠宮系にはないので、ものほしげに、やっつけご公務などせず、早くご降嫁いただけたら国民は幸せです。
次女・典子さま
公務らしい公務もせず、清子さま以上の持参金を給付され出雲大社の千家家に嫁したものの、、、、、、
三笠宮系で一番まともだった女王様だと思うのですが、ご結婚に失敗した感じですね。
噂によると、お相手の千家さんは、有名な「ばりウケ(受け)のホモ」だとか。
最初から、千家家としては弟が2人おり優秀なので、長男さんには見切りをつけ期待せずに諦めていたとか、長男はどうでもよかったとか、、なんとか、かんとか、、。
あくまで噂ですが、、。
ご主人さんの評判は、あんまり良くないらしいです。
三女・絢子さま
佳子様苛めの5頭身女と言われたものの、整形して可愛く変身。
一気に挽回し婚活に励むつもりが、卵巣のご病気になったとか、、。
三笠の長老の家運が確実に痩せて細くなってるなーという感じがします。
しかしながら、赤い長老。
無駄に1世紀も生きやがって、寿命を聡明な3人の兄宮にわけてさしあげろ、子孫運を聡明な秩父宮さまと高松宮様にわけてさしあげるべき、と常日頃思ってた身としては、悼む気にはなれないわ。
長老さんご夫妻、フォークダンスしている写真が多くのこってるのよね。
陰謀にその場のノリでやすやすと踊ってしまう傾向があったのではないのかしら。
気になるのは、秘密でもなんでもないけど、秘密結社の石屋さん。
ずっと以前に、日本代表は皇室関係の人間と聞いたことがあるの。
小和田はありえないわ。
出自も性根も賤しすぎるもの。
思い当たる人間はただ一人。
この赤い爺さんだったのかしら。
ストー部のネコさんたち
うちも本日、ストーブ出したわ