今年を振り返って、ピックアップ
1)母が入院・手術
母のラインから、母ではなくドクターが電話口だった時、覚悟を決めた一瞬
2)タヒチアンダンス、コンペティション出られず自分の限界を知る
3)どうやったらEtsukoのように考えられるの?
と母から質問されたこと
2025年を振り返って、何も成し遂げた感がないけれど、やっぱり良い年だった。
春に母が病気で入院、手術、退院後、予後が辛かった時期、かかりつけの実家の近所の病院から担当医の先生が、「救急車を呼んでいいですか?」と母のラインから通話がかかってきた時は、一瞬にして腹が据わって覚悟をした。
スーツケースに泊りがけの荷物を詰めて、手術を受けた都心の病院へ向かう途中、心はずっとしんとして静かだったような気がする。
幸いに何事もなく、その日一緒に、母と駆けつけた妹と、実家に戻ることができた。
次の日の朝、母がネガティブな言葉を発した。
(体調が辛いと精神も引っ張られます、自分は一人だ、誰も助けてくれないという内容だった気がする)
咄嗟に、それは絶対違う!と思って、あなたは一人ではない、私たちがついている、というようなことを伝えた。
責める風でもなく、真摯に真っ直ぐに母にそう伝えた時、
「どうしたらEtsukoのようなものの考え方ができるの?」
という言葉をもらった。
のちにそのことを友人に話した時、
「親からその言葉をもらうって、相当すごいことだと思う。」
と言われて、その昔、母から謝罪の言葉をあんなに欲しがっていた私なのに、今では、どんなにネガティブでもなんでも、母が生きていれば良い、どんな母でもいいんだ、という気持ちに今、なっていることに気がついた。
救急車から運ばれた次の日の朝、母に
「私のせいで仕事を休まないでほしい、仕事に行ってほしい」
と言われて、スーツケースをガラガラひきながら、バイト先の月一ミーティングに遅刻して参加した。
バイト先の職員や同僚のみんなは
「わあ、どこから帰ってきたの?海外?」と遅刻した私をにこやかに迎えてくれた笑
寝不足でよれよれの私だったのだけど、醸し出す雰囲気がどこかのどかだったのだろう。
そんな中、タヒチアンダンスの先生が、11月にタヒチのコンペティションに出るから、一緒に出ないか?というお誘いを受けて、出ます!と即答して、タヒチアンダンスの猛練習もしていた。
母の入院中、認知症の父のショートステイの手続きや、職員の方達とのいろんなやり取り、色々とあって、もしかしたらステイ先を変えなくてはいけないかも、などそんなやりとりもあった。
自分のことやいろんな用事が終わって、ダンスの練習を夜の12時から2時間くらい毎日踊っていた。
結果、実力がなくて参加できなかったけど、とてもいい経験になった。
もしかしたらタヒチで踊れるかも!という気持ちには本当に助けられた。大変だったけど、それがあったから、笑顔と希望で明日を迎えられた、毎日元気に過ごせた。(身体はめっちゃボロボロで疲れてたけど笑)
夢の中を生きているみたい
そんな感覚だった。
何一つ、私のことは成し遂げていないけど、なんだかあっという間に過ぎてしまったけど、とても楽しい。
大変なことは悪くない(実は大変って思っていないかも)、そしてその中だからこそ楽しい。
夢中で駆け抜けた時間が愛おしい。
人生なんてあっという間だ。
この経験が、
人は、その人の思う通り、生きていけばいい。
という気持ちにさせてくれた。
だから、人が悪口を言おうが、愚痴を言おうが、それでいい、と思えるようになった。
昔は、悪口を聞いていると、自分もその言われているような立場の人間のような気がしてビクビクしたり、嫌われないように自分以外の人になろうとして振る舞いを気をつけていたりした。
今は、悪口をニコニコしながら聞いていられるようになったし、嫌なら、聞きたくないからさっさと離れることもできるようになった。
人からどう思われても気にならなくなった。
人は、自分の人生を生き始めると
めっちゃパワーが出る。
そんな1年でした。
ありがとう!
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その人がその人のままで生きていけば、自動的に幸せである、と思っています。
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