こんにちは、

土井です。

 

桜の季節も終わりに近ずいていますが

今年はどんな桜を楽しみましたか?

 

私が今住んでいる滋賀県はとても桜が多く

小さな公園や川の土手という土手に

桜が咲いています。

 

私は妻とともに彦根城や皇子が丘公園

琵琶湖畔の桜を堪能しました

 

しかしカウンセリングをしている人の中には

桜を見るという余裕がない

という人もおられます。

 

忙しいからではありません。

心に余裕がないからです。

 

そういう人にとっては

桜は咲いていないのも同然かもしれません。

 

日本ではいまなお毎年2万人以上の人が

自らの命を絶っており

その何倍もの人が未遂に終わっているのです。

 

不幸のどん底に落ちこんでいるときは

何も見ても感動しないという経験を

私もしたことがあります。

 

そういう人も

一刻でも早く

桜を見る心の余裕が生まれることを

願わずにはいられません。

 

私はそういう人のためにも

長年カウンセリングを続けてきました。

 

一日一日生きていくのも大変な時

人はいったいどうすればいいのでしょうか?

 

人生に何の希望もなく

したいこともない人は

どう生きればいいのでしょうか?

 

『ヒトはなぜ自殺するのか』という本があります。

この本を著したアメリカ人のジェシー・べリングは

性同一性障害に悩み自殺を考え続けました。

 

その中で自殺願望が病気であることを知り

この病気の研究を仕事として続けていくとともに

 

パートナーを見つけてと一緒に暮らすことによって

自殺願望を乗り越えていったのでした。

 

自殺そのものを研究対象にするという

目的を見出したことによって

それを克服できたのです。

 

 

人生の意味を考える

 

ユダヤ人のヴィクトール・フランクルは

ナチスの強制収容所に入れらましたが

奇跡的に生還することができました。

 

彼が書いた本『夜と霧』は

その壮絶な体験記です。

 

何の罪もないのに収容所に入れられ

毎日過酷な労働させられたら

ほとんどの人が生きる希望を失い

中には自殺する人もいました。

 

それを

「鉄条網に走る」と言われていました。

要するに高圧電流が流れている鉄条網に触れることは

自殺することにほかならないのです。

 

しかし

収容所の中で次から次へと

カス室に送り込まれる仲間の姿を見て

フランクルはどうすれば生き延びることができるか

を考えました。

 

そこで彼が気付いたことは

決して絶望してはならないということでした。

 

収容所の監督者も同じ人間である以上

収容されている人間に対する扱い方に違いがあることに

気が付いたのです。

 

例えば強制労働に対して

真剣に取り組もうとしない態度が見られると

即座にガス室に送られるということ。

 

そこで彼は仲間を励ましながら

元気な収容者として頑張り続けたのです。

 

ある時、別の収容所に移送される列車の中で

夕焼けの美しさに心打たれます。

 

今は行方の分からない妻のことを思い出して涙を流し

妻のためにも自分は生きなければならない

と決意するのです。

 

絶望的な状況の中でも

愛する人がいる人は生き抜く勇気を

保ち続けることができるということです。

 

それだけではありません。

あってはならない過酷な体験を後の人に伝えるためにも

彼は生きに延びる必要があると考えたのです。

 

それこそが彼にとっての

「生きる意味」だったのです。

 

この世に神が存在するとすれば

神はそういう彼を救わずにはいられなかった

といってもいいかもしれません。

 

無事に生還した彼がその体験を通して

人は何のために生きるのかという

「生きる意味」を考えることの重要さについて

語ることになるのです。

 

 

ロゴセラピーが自死願望者を救う

 

人生に絶望して自死を考える人には

共通の特徴がみられます。

 

それは

「衝動的、完璧主義、羞恥心、性的マイノリティー、自己非難」

といった傾向です。(『ヒトはなぜ自殺するか』)

 

「衝動的」というのは一時的な感情のとりこになることです。

完璧主義の人は白か黒か

どちらかに思考が偏りがちです。

 

しかし、人生における物事や生き方において

完璧を求めることはほぼ不可能です。

 

たいていのことがその中間でしかありえないのです。

 

でも妥協を許さない完璧主義の人は

あいまいさを嫌うのです。

 

それはおそらく幼少時に

何事も徹底するべきだという親の教育があり

本人がそれをいやでも受け入れざるを得なかった

のではないかと思われます。

 

でも完璧ということはほとんどありえないことなので

本人の中では常に「自分はつまなない人間だ」という

自責の念にさいなまれることになります。

 

そういう意識が自己肯定感を持てなくする

「羞恥心」や「自己非難」の感情となって

自分を責め続けることになるのです。

 

要するに完璧主義の人は

物事の中間のどこに狙いや目標を置くかといった

自己判断が苦手なのです。

 

基本的に自分に自信がないので

そこに自分なりの意味付けをすることが

できにくいのです。

 

ですから自殺願望者の口癖は

「生きる意味が分からない」です。

 

フランクルは言う。

「人間は生きる意味を強く求めるものである」

「自らの意思で態度を決める自由がある」

       (『生きる意味を求めて』)

そして

「人生の意味を見出した人は苦しみに耐えることができる」

                   (同書)

 

これがフランクルの「ロゴセラピー」です。

「ロゴ」とは「言葉」です。

考えたことを言葉にして、そこに意味を見出すこと

それが「ロゴセラピー」です。

 

フランクルは言います。

「人生はまだあなたに対する期待を

決して捨ててはいないはずです。

あなたを必要とする何か、あなたを必要とする

誰かが必ずいるはずです。」(同書)

 

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