金沢と富山の関係は? 「越中さ」考 | 金沢・新おもてなし考

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第24回国際ポットラックサロン「新おもてなし考」 


2007年9月5日(晴れ)


―「越中さ」考―  なにが彼らをそうさせたのか



・風土と人間性語り手 加藤 美地郎 さん (富山市在住)



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金沢に住む大人なら誰もが知っている「越中さ」という呼称。いささかビミョーな響きを持つのは何ゆえ?


平成の大合併以前の富山市および周辺は、江戸時代は富山藩10万石の城下として幕末まで存続しました。

それも東も西も本家たる加賀藩に挟まれるかたちで。


写真 藩領図



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神通川と常願寺川という二大河川をもつ富山市周辺は、古代より他郷からの侵入を受け

※『郷土の天地を蹂躙に任せた史実の数々』をもっているとある郷土史家は書いています。


※「人国記・富山(能坂)」昭52


歴史的要因と地理的要因による苦しみの中から「越中さ」の気質は作られた、とする加藤さんの考察は、

働き者のおとなりさんとしか思っていなかった金沢人にガツンとくるものがありました。


富山人気質について

http://www.euc.co.jp/ken/ken16.html

http://www.pref.toyama.jp/branches/1133/derukui/vol200303/04.htm



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◇ きょうの語り手、加藤さんは幼少期に生れ故郷の魚津市をはなれ、東京で教育を終え、

会社勤務ののち富山市に移り11年が経ちました。


ここ20年来ご自分が実際に見聞きした現象から「越中さの人間性」について考察を深めました。

ご本人は肩書きのない人間とおっしゃいますが紛れもない郷土史家です。


1時間に亘る仰天の体験談から、ほんの一部を紹介します。


「富山には“みゃあらくもん”という言葉があります。身が楽、つまりお気楽だということです。

道楽につながっています。富山では遊ぶことは罪悪です」


―そう!外食も罪悪


「外食も罪悪です。富山にラーメン屋がいっぱいあるのは、それが唯一の贅沢だったからです」


「祭りがない。母体が鎮守の社という精神的な柱がありまして、それを中心として村落共同体が形成されていく、神輿がまわり、そこには芸能的要素も含まれて(中略)日本の伝統的な共同体のあり方です」


―金沢も祭りは禁止されていた・・・


周辺にある祭り


八 尾:風の盆、春には非常に立派な曳山まつり(繭と和紙が支えた)

岩瀬浜:曳山祭り(北前船の寄港地)

高 山:春の山王祭と秋の八幡祭(日本で三つの重要民俗有形文化財)

下 村:賀茂神社の流鏑馬、稚児舞、

婦負郡:稚児舞    など 



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写真:おわら風の盆


「桐朋学園大学院大学の設立にあたりまして大変な物議をかもしまして(中略)

これは文化不毛の裏がえしです。でも一部の人しか文句をいわない」


http://www.ombuds.gr.jp/tohou.htm


―文句を言わないのは金沢も・・・


「富山大学の学生アルバイトに聞きました。友人に富山の一番の自慢は?

彼の答えは「ありません」と、情けない顔をしてね」富山の出身であることを言いたがらない。


―う~ん、富山コンプレックス


「ある友人の友人を我が家へお招きしました。始めての来客です。玄関前の犬小屋から犬が出てきました。

すると、その人は玄関へ入る前に犬を蹴飛ばしました」「全員がそうだと言っている訳ではありませんよ」


―強がり。犬を蹴飛ばして何の得が?


「ある女性の来客は家に入った途端「この部屋は暗いなぁ」私は慌てて電気をつけましたけど」


―あはは、へーっ、無神経etc


「私は骨董が好きで、お見せすると「ここ、割れてるじゃない」アハハ。つまりアラ探しをする」


―いる、いる。もう、その通り!


「美点のない人間もいないし、欠点のない人間もいないんですよ。どっちを見るかですね」


「駅に到着しますでしょ、電車から降りるほうが先です。エレベーターから出る人が先です。

マナー以前のマナーです。ところがそれが通用しない」


―こんど「富山大和」の売り場面積が倍になりますが、どうなりますか


「信号にひっかかりそうになると、トロトロ運転者は必ずといっていいほど信号を無視して入ってしまいます。

富山という所は全て信号は青である」


―えーっ。いるわよ、金沢でも。


「カウンター席で食事をしていると、横で食べている人が後ろから来ましてね、こう肘でグイッと・・・爪楊枝を取ろうとするんですね」


―あぁ、ジャマということね。言葉が出ないの?信じられないetc



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「大和」での買い物は「三越」で買い物するようなものですからね。バーゲンの日に、紳士服売り場のワゴンの中身を見ていたら、向こうから妙齢のご婦人と言いたいところですが、70代のおばさんですな」


―ドッと笑いと抗議の声


「私のほうをめがけて一直線にトットットットと歩いてくるんです。俺に何か用かなと思っていたら、ピタッと止まって。ほんのちょっと触れたというか、ぶつかったんですな。

「おばさん、どうかしたの?」と聞いたら「どいてくれたっていいじゃない!」というんですよ」


―あははははは・・・ざわざわ


「つまり一直線に突進していけばどいてくれるものと思っている」


―それって富山のせいかしら・・


「そういうことが殆ど毎日のように起きるんです」


―接触がないから・・・。日本の田舎って、そういうところがある


「そうじゃない、違います。田舎、都会の問題じゃありません。

そこそこの身なりをしたオバサンとオバアサンの間というぐらいの人ですからね。

しょっちゅうデパートへ買い物に来るような人ですよ」


―そういうお局さまが職場にいた記憶が・・


「友人を作らず。友達がいないんですよ」


―そう!悪口ばっかり


「なぜでしょうか」


―お金がかかるから。


「そうそう。付き合えばなにがしか、出費があるから」「同じように近所づきあいもしません」


―はーっ、へ~っ?エーッ!そうそうetc


富山に移住後1,2年目の頃に引き受けた町会長の体験から、

「こういうことがしみじみと、いちばん底辺から透かし見るように見えてしまう」のだそうです。


■ 災害が多発している昨今、加藤さんの心をささくれさせるのは富山市民の人情のありようです。

まわりじゅう、能登も新潟も起きているのに彼らの言いようは「富山って何もなくていいところですねぇ」。


■ 富山人の気風について、昔からそうなんですか?という質問があがりました。それこそが本日の主題です。

理解の手助けにと手づくりの資料を沢山ご用意くださいました


資料


◇ 「越中人譚」チューリップTV開局10周年記念出版 


とりあげられた成功者21人を加藤さんの目で分析すると 


出生地は、旧富山藩 6人 旧金沢藩 15人  


出自は、旧支配階級の武士は2人しかいない 


業績は、実業家が圧倒的に多い 21人中14人


―「選択の仕方が、土地柄を表していると思います」とのことです。



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写真:富山市内を走るライトレール


◇ 「県人評判記」河出文庫


「住みやすさ」は日本一。大きな家に住み、家族全員が働く(嫁さん用の軽自動車が多い)。

所得の割りに貯蓄率が高い。国公立大学進学率が高い。


「越中富山の薬売り」に代表される並外れた忍耐強さ、粘り強さと生真面目さ。


―いずれも「歴史的な貧しさから抜け出そうという意識の現われ」とのことです。


◇ 「富山市の災害史」 富山市史に記載の中から、ひとつひとつ加藤さんが拾いあげたものです


1569年から1866年までの約300年間に記録に残る災害だけで204件、つまり3年に2回は災害に見舞われていたことがわかります。


災害の種類は①水害、②長雨・風・旱害、③雪害、④浪害、⑤火災、⑥地震、⑦飢饉などさまざまです。 


―これだけでも富山藩の財政難、民百姓の困苦の程が伺われます



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■ 富山藩は加賀藩の“捨て藩”だった

(旧婦負郡一郡と新川郡の一部)


―なぜ東も西も本藩という最中(もなか)のアンコのような分け方をしたのかが問題です。



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写真:金沢城


「前田はこういう災害地であることを百も承知で分国をしています。戦国の世を生き延びて、全国で最大規模の大大名になりましたけれど、徳川にしてみれば目の上のたんこぶ」


―多くの大名を改易した三代将軍家光からさまざま難癖をつけられた三代藩主 前田利常は正室に秀忠の娘

珠姫を迎えたり(利長の代に)徳川股肱の臣 本多を筆頭家老に迎えるなど腐心しました。


―そして隠居の際に行ったのが分国、表向きの石高を減らすというものです。

実高120万石のところ、長男 光高は金沢に、次男 利次を富山藩10万石。

三男は大聖寺藩10万石に、越後側の新川郡全域を自身の養老領にしました。


「生産性が低い、最初から成り立たない藩なんですよ、経済的に。分かっていて分国した。

結局のところ囲碁なんかでいうでしょ。これは捨て藩なんですな、富山藩は」


―捨石にもさまざまあるようですが・・



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写真:富山城


◇ 資料「富山の歴史」(富山県史の要約)より『近世 前田氏の越中支配』82頁


「〈このように富山藩は加賀藩を支えるために創設された〉とはっきりあります」


「本家の金沢から借金します。幕府からも借金します。その次に何をやるかというと家来の石高を少しずつ削る、減給するわけです」「最後に民間の御用商人から借金します」


「しかし、これは返せない借金ですよ。毎年赤字ですから。今の日本と同じです」

「幕末には加賀藩と富山藩のあいだには返せない借金で、たいへん険悪な仲になっていたとかで、全体に世情騒然としていますので、いわゆる血気盛んな若者による家老暗殺など有名な事件がたてつづけに起きています」



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写真:小矢部市から望む立山


■ 立山カルデラで起きた山崩れ(安政の大泥水)の後始末は現在も


130年~150年経った今も国土交通省の砂防事務所が事業をおこなっています。

あと100年は掛かると言われています。 注:事業開始は約90年前から


http://www.tatecal.or.jp/w_haku_f.htm

http://www.chuokai-toyama.or.jp/~apparel/rapole/karudera.html


■ ピンと来ない富山の貧しさ


富山といえば黒4ダム、金沢市内に進出する富山資本など昨今の元気さから、かつての貧しさは想像しにくいのですが・・・ 


「たしかに今はそれほど貧しくはありません」

「治山治水がうまくいって災害が激減したからですよ。北陸電力の本社は富山です」


―21人の成功者以外にも昨今では、ノーベル賞の田中耕一さん、「女性の品格」の坂東眞理子さん、

北海道の高橋知事。

身近な(?)ところでは志の輔師匠、室井 滋、柴田理恵に、野際陽子。


そうそう上野千鶴子さんといったキトキト印を見ますと、やはり加藤さんがおっしゃる「狭い耕地にしがみついて命をつないできた」人々のねばり強さと頑張りが理解できそうです。



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■ 富山の人から見て金沢はどう見えますか?


「文化については焼失率99.5%の富山市と比べることはできません」「金沢はまだ身分社会だと思います。

何でランクづけするかといえば身分ですね、石高。今でいうと職業ですね」


「大企業の経営者か、大学の教授であるとか、放送局、銀行・・であるとか小説家だとかが最上のランクですね」


―でも行政はセンセ、センセとやる代わりにあっち向いてベロ出している 


―夫は公務員だけど、ある人から成り上がりといわれた。その女性は旧士族の出・・・


「金沢は観光地という意識が市民にいきわたっていますね。1つの例外もなく、きちんと道を教えてくれる」

「富山では話しかけても返事をしない人が沢山います。聞こえないフリをしている」


―え~っ 信じられないetc


「日本人自身が国際的な民族ではありませんから。異質なものに出会った時どういう態度をとるか、閉鎖的であるか開放的であるか、田舎都会の問題でなく」


―Hallow!Nice to meet you!(爆笑)


「田舎のよさは素朴で親切である、親切というのは外来者に対して親切であるということなんですよ」

「突然、異質なものに遭遇したとき心の準備があるかどうか、地域社会に受け入れるかどうか、日本人の問題でもありますね」



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■ 文化を育むものは


「経済力がないと文化は絶対に育ちません」「でも貧しくても沖縄には豊かな文化がある、しかし富山は文化不毛の地である」


「文化は経済だけでは育ちません。何代か経てリファイン洗練されて、そこで文化になるんですよ」


「富山では塀をめぐらせた大きな家の正面、ファサードにいわゆる埋め立てゴミなど平気で置いている」いっぽう「金沢駅からここサロンまで40分歩きましたが、そういう家は一軒もありませんでした」


―それも文化の差?


「美意識もマナーも周囲がそうするから自分もというように脳にインプットされるものなんですよ。

それが土地柄なんですよ。」


「富山の土地柄はですね、どう考えても食うや食わずの僅かに命をつないできた、そういう貧しさから来るものであるということを、皆さん、しみじみとお分かりでしょうか、ハハハ」


■トドメのひとこと


 ―北陸に浄土真宗が盛んな訳は


「加賀藩の厳しい搾取にさらされ、荒れ狂う河川、冷害に何度も襲われる。冬は深い雪のため二毛作ができず、人々は飢餓線上をさまようことになる。知恵もなく、稼ぐ術もない何もないところでは、もう信じる外ないんですよ」


「金沢の皆さん!いま皆さまが存分に快適な土地と金沢というブランドを享有しておられるのは、

その捨て藩があったからこそなんですよ」

「これは言ってみれば非常に規模の大きい封建的搾取の一種です」


―そんなこと言われても~いまさら 先祖の借金かえせぇ~


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「毎年8月1日には富山では花火があがります。これは空襲で〈やられた〉死者を弔う記念の花火だそうですが、多くの若い人たちは知りません」


まことに歯切れのよい講師の語り口に今回もあっという間の2時間でした。