去る2月15日の木曜日
市民大学の短歌教室があった。
今年度の最後の授業だった。
 昨年の4月から始まってもう最後になる。
 月に2階 第1木曜日と第3木曜日の午後1時から3時までだった。
 短歌教室に通って1年が経過した。
まだまだ続けようと思っていた。
 短歌教室の下江光恵先生がお辞めになる。
残念である。
 来年度からは先生の胃内短歌教室になるという琴だ。
それを大学院というのだそうだ。
 始めたばかりなので来年度からも続けることにしている。
 下江光恵先生は14年間、短歌教室の先生をされたという。
91才である。
そんなお年には見えない。
若々しいお声である。
上品な感じの優しいお声である。
下江先生自身も 後任は見つけられず
事務局も公認を探したが見つからないという。
これは数年前から探しているという。
つまり下江光恵先生は数年前から辞意を表していたことになる。
 どなたかいてもいいと思うが
適任者がいないのだろう。
 福山市から三原市に来られている。
 長い間、お疲れさまでした。
 下江先生の前の先生は古屋敷先生である。
この先生は私の勤務していた広島聖光学園に教師として非常勤で来られていたことがある。
 その当時は短歌教室の先生をされているとは知らなかった。
 付属の国語の先生をしていて退職後に非常勤で国語の先生として来られていたのだった。
温厚な先生であった。
 短歌のお話はされなかった。
 市民大学の短歌教室には30年も来られている方がいるとか。
つまり市民大学の以前は老人大学といっていた。
60才から入ることが出来る。
つまり60才に30年を+すると90才である。
 短歌教室の学生に90才の方がいるのである。
年齢制限はない。
現在は55才から入れる。
だから老人大学では55才はあわないから
市民大学に変更したともいわれている。
  市民大学はどの教室も高年齢の方が多いのだが
短歌教室も例にもれず高齢者が多かった。
 私は若い方である。
 18名のうち、今年度つまり昨年の4月から入った新入生は私を含めて3人だった。
女性が一人に男性が二人である。
なかなか友達はできない。
18名の内男性は5名である。
女性が多い。
 文語体も口語体も認めてくれているから
私は主に口語体で短歌を作っている。
 古典的な短歌は文語体である。
 万葉集や古今和歌集、新古今和歌集など読んで研究すればいいのだが
デイジー図書でながら聞きを少しぐらいした。
勉強不足ではある。
 俵マチなどの現代短歌が気に入っている。
 俳句もいいが17文字より短歌の31文字が表現が広がると思った。
 月に2回の教室であるが
月に2首、短歌を作るのがやっとである。
 1日1首作れば半月で15首になる。
そのうち1首を提出すればいい。
 そう思っていたが1日1首はなかなかできない。
 1首作って、これを更正していると時間がすぐ過ぎてしまう。
あまり変えてしまうと元の歌の意味が変わってしまう。
歌いたい意味が違ってしまう。
あれこれ試行錯誤しているとやっぱり時間がかかる。
 あまり考えないで作ると
提出する時によみかえしてみるとなんだか納得できない歌になっているのに気づく。
直そうと思うが
いい気に入った歌にならない。
いろんな短歌を詠んで、たくさん短歌を作るべきなのであろう。
 いろいろと思うことはあるが
下江光恵先生と15日にみんなでお別れをした。
残念である。
 来年度は先生のいない大学院だという
できればいい先生に巡り合いたいものである。