『わたしを離さないで』 原題『Never let me go』

作者はカズオ・イシグロ

名前からわかるとおり日本の人ですが国籍はイギリス人です。

“2008年には『タイムズ』紙上で、「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。”

らしいんですが知らなかった。

国際的に活躍している小説家は?と言われて日本人が一番多く挙げるのは村上春樹だろうな。映画の公開規模も『ノルウェイの森』との差が激しい。扱いが全然違う。CMも見たことないし、映画の公開と合わせて原作本を書店で平済みされるということもない。自分もSFマガジン読んでなかったらスルーしてた。
KGEROUとかもう廃棄して(ポプラ社の方針では買い取り制だから返品できない)できたスペースにこの原作を置いたほうがいいんじゃないか。


キックアスとかのアクション映画なら書くことないんだけどなんか書きたくなった。ネタバレ全開なんで見たくない人は注意。数字とかセリフとか間違いもあるかもしれません。

映画の内容

まずいきなり、「1952年画期的な医療方法が発見された」「1964年人類の寿命は100歳になった」とテロップが出てくる。介護士という大人の女性とその女性が手術台に横たわる男性を見つめるシーンがあり、そして舞台は70年代のイギリスの田舎のある特殊な学校ヘールシャルムから始まる。
もちろん普通の学校ではない。子供は学校で寝食を共にしている。外に出るには、腕に付けたバンドを機械に通さなきゃいけない。学校の外に張り巡らされた境界線から向こう側へ行ってはいけない。この規則を破ったある男の子は肢体を切断され木に括りつけられていた。またある女の子は境界線から一度出たら中に入れてもらえず境界線のそばで餓死することになった。この二つは噂として子供たちに広まっていて誰でも知っているのだが全員本心から信じている。
授業は美術が大半で子供たちは思い思いに絵を描いたり、人形やオブジェを作ったりしている。この「ギャラリー」というなの授業は特別な意味を持っており優秀者を決めたりと学校は熱心に行っている。他にも定期的に医者による検査も行われておりここにいる子供たちは明らかになんらかの目的で特別な生活をしていることがわかる。


キャシーという女の子が主人公で冒頭の介護士はキャシーということがわかる。キャシーはトミーといういじめられっこに気があって、男の子たちが集団で遊ぶという時にトミー一人が仲間はずれにされていうところを励ましたり一人で食堂でご飯を食べているトミーの近くに座ったりと何かと気遣って二人の仲は良くなっていく。
しかし仲のいいルースがいきなりトミーと仲がよくしだして二人がキスする場面を目撃して戸惑うキャシー。今までからかったりしていたのにどうして?と。答えが出ないまま18歳になりヘールシャルムを出て新しくコテージという場所へキャシー、トミー、ルースの三人で移ることになる。

この時にはどうしてヘールシャルムに自分たちがいたかを知ることになる。自分たちは臓器提供のドナーとして生まれ、育てられたクローン(作中ではたしかコピーという名称で、ほとんどこの言葉は使われることがない)で臓器提供が可能な年齢まであの学校で暮らし、提供する患者が現れるまでコテージにいるというのだ。

キャシーの近くでいちゃいちゃするトミーとルースそして先に来ていたひと組のカップルの五人で共同生活を始める。このカップル曰くヘールシャルムは特別で【真】の恋人は提供猶予を与えられて数年間一緒に過ごせると言う。そして自分たちには提供猶予を貰いたい。誰にその申請をすればいいのかと聞かれるがそんな話は聞いたことがない。噂の一つだと返す。
トミーとルースが喧嘩しているのを自分の部屋でトミーから渡されたテープを聞くことで、耳に入れないようにしているとルースが部屋にやってくる。ルースは自分たちが分かれるのを待っているんだろ?自分のほうがトミーと合っていると思っているんだろ。私たちは絶対に分かれないと啖呵を切る。

その後すぐにコテージを出て介護士として【提供】されるまで過ごすことにする。提供者は三回か四回で【終了】してしまう。そして介護士は既に【提供】を初めて体力が落ちている者を介護する仕事だ。

10年後、提供者を介護するキャシーは既に二回【提供】を終えたルースと再会する。ルースはもう弱り切っていてトミーと付き合ってのはキャシーとトミーの仲に嫉妬したからだ。その償いがしたいと言いだす。ルースはトミーの場所を知っており会いに行くとトミーは二回【提供】を終えていたが元気だった。ルースは二人にヘールシャルムの校長に会いに行けと調べ上げた住所を教える。
そして二人で提供猶予を過ごして欲しい。それが私にできる償いだという。二人は校長に会いに行くことにする。その間にルースは三度目の【提供】で【終了】する

校長に会いに行き【真】の恋人同士なので提供猶予をくださいと申し出るが、そんなことはやってない。それは噂に過ぎないと言われる。
さらに提供猶予にはその人の心を探るための絵が必要と聞いて持ってくるが学校の時に【ギャラリー】をやらせたのは心を探るためではなくコピーに心があるか調べるためだと言われる。

その帰りにトミー泣き叫んでそれを慰めるために抱きしめるキャシーがかなり印象的

その後トミーは三回目の【提供】で【終了】し、その後キャシーにも提供開始の知らせが来て話は終わる。


全然救いのないこの話。何が言いたかったのかスタッフロールが流れている間ずっと考えても思い浮かばなかった。

キャシーがラスト、「私たちが救う人たちと私たち何が違うのだろう。【終了】は誰にでも等しく訪れるのに」というセリフがあった。

作られた命だって心はあるし生きたいと願っているってメッセージでいいんだろうか。
そんなんじゃないような気がするんだよなー

「事態の全貌が明らかになった時、読者は血も凍るような恐怖感を覚えることになる。魂の奥底にまで届くような衝撃がある」。脳科学者の茂木健一郎

らしいです。恐怖感もなかったし衝撃もなかった。ただなんとなく生きてるからかな。つか一生懸命生きるってなんだろう。苦労すること?精一杯楽しむこと?理屈ではわかる気もするけど本当に死に近づかないと本当に生きたいと思わないじゃないかなと思う。失った後で気づくような感じで。この場合は死ではなく死にかけたらとか死に直面した時。

キャシーも言っていた通り死は誰にでも訪れるものなので死に対する恐怖とか生きたいってこれから誰でも感じることなんだろう。ただ自分は大学卒業後のことも考えれないのでまだ死のこととか全然わからない。わかったつもりにはなれるけれど。何年後かにまた見たい映画。

まあ映画は終始くらいし登場人物たちはどっか悲観的で終末的な雰囲気だしてたいして楽しくないから誰に進めることもなく話すこともないからこうやって書かないと忘れるような気がした。これを数年後に見返してうわっ俺何恥ずかしいこと書いてんだってなるのが楽しみだ。

wikipedia見たら

小説家、佐藤亜紀はあまりにエモーショナルな情動を追いすぎていると酷評し、2006年のワースト作品であると公言した

って書いてあった。この人が記事にすることこんなのばっかだな。twitterでのこともなー『ミノタウルス』はまあまあ好きだったけど作者が……


『空飛ぶ馬』と『MOMENT』読んだ。

おもしろかった。

どっちも想像してたのと違う感じだった。

この借りた本、何回も読まれてる感じがなんかいい。




終わり

途中でパソコンフリーズして書きなおした。疲れた。