平安時代の作り物語、『落窪物語』を知っていますか?


いわゆる「継子いじめ」の物語で、継母にいじめられていた姫君が、女童(めのわらわ)の「あこぎ」(「あこき」と清音に表記してある注釈書もあります)の協力もあって、少将と幸せな結婚をするというシンデレラストーリーです。


シンデレラと同様、姫君はあくまで気立てが良いという設定になっています。

シンデレラにおいて、魔法使い(あるいは仙女)の役割を果たしているのは、女童(めのわらわ)の「あこぎ」。

この「あこぎ」の機転によって、姫君はピンチから脱することになります。


「女童(めのわらわ)」というのは、裳着という当時の成人式をしていない(つまり一人前の女房にまだなっていない)召使いの女の子のことです。


現在だったら労働基準法で罰せられそうですが、平安時代には今でいう小学生くらいの子どもも、労働者として働いていました。

(『羅生門』の下人が、二十歳前後と考えられるのに、「永年仕えた」と記されているのは、物心ついたときにはもう、その主人のところで働いていたということなのでしょう)



シンデレラと『落窪物語』が違うのは、その後、意地悪をした継母に復讐するという点です。

もちろん気立てのいい姫君がそんなことを考えるはずもなく、姫君の結婚相手の少将が、姫君をいじめていた継母に仕返しを企てます。

あこぎもそれに協力するのです。

因果応報、勧善懲悪の、胸がスカッ♪とする作品となっています。



このあこぎ、成人式もしていない若い女房なのですが、とにかく機転がききます。


姫君は、継母の意地悪で、この物語のタイトルにもなっている「落窪」、すなわち床の低い部屋に住まわされています。

亡き姫君の母親が持っていた立派な道具も、あの手この手で継母にだまし取られてしまっていますし、
(姫君は気立てがいいので、貸してほしいと言われると貸してしまいます。そして返ってきたためしがない)

着ているものも、召使い以下の、とても粗末なもの。
貴公子たる少将を迎えるには、部屋も姫君の服装も、全くふさわしくありません。

それでも何とかあこぎは姫君に恥をかかせまいと、八面六臂の活躍をします。

掃除、姫君の道具でまだ残っていた鏡を出す、姫君にお化粧してさしあげる、自分のまだ綺麗な袴を代わりに着てもらう、そして最終的には、和泉守の妻となっている叔母に道具を借りて、何とか、貴公子を迎えるにふさわしい部屋に調えるのです。



『なんて素敵にジャパネスク』で有名な山内直美さんの連載『おちくぼ』も始まっていて、色々な人に読んでもらえるといいな、と、古典文学研究者の端くれとして考えています。



左側の茶色っぽい髪に萌黄色の着物が姫君、右側の黒髪に赤紫の着物があこぎ(このマンガの中では「あこき」)。



さて、このマンガの表紙では、十代後半から二十歳前後に描かれているように見えるこの「あこぎ」、一体何歳くらいだと思います?


さきほど、まだ成人式をしていない女房だと述べましたが、当時の女房は、何歳まで女童で、何歳で成人式を挙げて、一人前になるのでしょう。


これを調べるためには、文学作品や公卿の日記などの記録類における女童をピックアップし、それらの女童が何歳であるかを調べるという、地道な作業をすることが必要です。


また、物語中のあこぎの描写からも、おおよその年齢が見当づけられるのではないか、とも考え、調査しました。



現在では、文学作品の索引が刊行されているだけではなく、

和歌であれば古典ライブラリーが発信している『新編国歌大観』『新編私家集大成』

散文作品であればジャパンナレッジで読める『新編日本古典文学全集』があるので、検索をかけることが楽になりました。


調査結果は、

拙稿「女房の裳着―『落窪物語』あこぎを中心に―」(古代中世文学論考 第31集 2015年10月)にまとめています。

以下、かいつまんで紹介しましょう。


女童の年齢を明示した作品に『うつほ物語』があります。

   大人、下仕へ、二十歳のうち、童十五歳のうち


これによると、女童は十五歳以下、ということになりますね。

実はこれ、平安時代の女子の成人式である、裳着の年齢(平均して十四歳)ともきちんと対応しています。


他の作品においても、十六歳以上であることが明示される女童は登場しません。


また、『枕草子』は、十七、八歳の女房を次のように描いています。


   十七、八ばかりやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、

   (中略)童べ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに

   取りあつめ起し立てなどするを、うらやましげに押し張りて、

   簾に添ひたるうしろでもをかし。

                  (『枕草子』一八九段 野分のまたの日こそ)

当時の感覚では、十七、八歳という年齢は、女童でも若い女房でもなく、「わざと大人とは見えぬ(とりたてて大人ではない)」と捉えられていたことがわかります。

『落窪物語』においてあこぎの年齢が明示されることはありませんが、次のような表現が、あこぎのおおよその年齢を想定する手がかりとなっています。


   女君、起きたまひて(中略)あこぎ、「しかしてはべりし」など、語りきこゆ。

   幼き心地にも、思ひ寄らぬことし出でけるも、あはれにらうたくて、

   〈げに後見とつけしかひあり〉と思ふ。


ここで「幼き心地」とあるように、あこぎはこの段階では「幼き」者なのです。

この「幼き心地」あるいは「幼心地」が、同時代でどのような年齢の者に使われているかを調べることで、同時代の読者が想定するあこぎの年齢もみえてきます。


  ・見馴らひたまはぬ幼き心地には、いとうれしくて、
       (『うつほ物語』楼の上上 宰相の上所生の小君)
  ・幼き心地に、いかならんをりと待ちわたるに、

       (『源氏物語』空蝉巻 空蝉の弟の小君)
  ・この若君、幼心地に、めでたき人かなと見たまひて、

       (『源氏物語』若紫巻 若紫)
  ・幼き心地にも、とかく思し乱るるにや、「雲居の雁もわがごとや」と

   独りごちたまふけはひ若うらうたげなり。

       (『源氏物語』少女巻 雲居雁)


ここに挙げた例は、仲忠の異母弟の小君が「八つ九つばかり」、空蝉の弟が「十二三ばかり」、若紫は亡母が「亡せてこの十余年にやなりはべりぬらん」とあることから、この段階では十二、三歳と想定され、雲居雁は十四歳。


これらの例から考えると、あこぎもやはり、十二歳~十四歳ほどの年齢と想定するのがよいようです。

うーん、山内直実さんの絵よりは、もっと幼い感じなんですね。

中学生ぐらい。

うーん、しっかりした中学生だなあ。


くり返しになりますけど、現在この年齢の子どもを働かせたら労働基準法に引っかかりそうですが、この時代はそんなのおかまいなしだったようです。



次回、「そんな若さ…というより、幼さのあこぎが、男性を通わしているというのが、驚きですね」の予定です。

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