今年の4月、所用でジブリの鈴木敏夫プロデューサーの
オフィスにおじゃましました時のスナップです。
通されたソファーに座るやいなや、
中日ドラゴンズのディレクターチェア、
中日新聞他のグッズがたくさんあるのに驚き、
鈴木さんが僕と同じ名古屋出身で中日ファンである事を知りビックリしました!
所用を忘れドラゴンズの話で盛り上がりました。
本日もエピソードを1つ御披露します。
【渋い声】
9歳ころに他界した父の声に似ているとよく言われた。幼稚園のころからこの声で小学校に入ると合唱のとき「この中に大人が混じっている!」と言われ、近所のおばさんからは気の毒がられ「まぁ~かわいそうにねェ~」とまで言われた。この声は父から貰った相続税の掛からない遺産です。この声のお蔭で80歳を越した今でも食べて行けるのだから。
担当医によると、声帯が二枚半あるそうです。”亡くなったときにはホルマリン漬けにして永久保存を”と言われています。先日同じ医師に診てもらったところ「声帯が若返っていますよ、40代の声帯に戻っていますよ」と言われ嬉しかったです。これからもまだまだこの声帯で頑張らして頂きたいと思います。
幼少期の頃の写真です。
森山周一郎