(3)憲法及びジャーナリスト

 ジャーナリズムとは本来、情報を独占することで大衆を無知なままにし、権力を保持しようとする権力者(大資本家)に対抗して、政治を中心としたあらゆる情報を大衆に届け、大衆の権力に対抗する力としようとする事業である。ジャーナリズムの本旨は権力の監視なのだ。

 では、日本のジャーナリズム(マスメディア)の実態はどうか。日本のマスコミは世界の嘲笑の的だ。それは、日本独自の記者クラブ制度に負うところが大きい。記者クラブは首相官邸、各中央省庁、地方自治体、警察等の行政施設の一角に設けられ(勿論税金で運営)、そこに許可をもらっている新聞及びテレビ局という大手メディア各社の記者が常時待機し(ほとんど会社の一部のようなもの)、行政側から情報を一方的に与えられる仕組みだ。権力を監視するはずのジャーナリストが、なぜか権力(行政)側のスポークスマンの下請けをしているのだ。与えられた情報を疑うことも無くそのまま大衆に垂れ流しているのだ。そして、記者クラブは行政に認められた大手メディア記者以外は入れないので、フリーランスジャーナリストは記者クラブにおける記者会見に参加することは出来ない。このような閉鎖的で権力にべったりなマスメディアの情報に、一体何の価値があるというのか。権力に都合よく歪曲された情報を垂れ流すのがマスコミであり、それが故に「マスゴミ」と揶揄

されるのである。

 ただ、電通を盟主とする日本のマスゴミほどではないにしろ、世界的にマスコミは大資本家の所有物であり、マスコミが流す情報は意図的に歪曲されている(プロパガンダ)のが常である。特に、アメリカの言論界は、新聞・テレビだけではなく雑誌、出版界、映画等にわたり5つの大メディアグループに支配されており、大資本家による情報統制が完璧に行き届いているという問題がある。その点、日本の出版界は中小零細出版社が入り乱れる自由な出版環境があり、マスゴミ(週刊誌も含む)以外の言論界にはタブーが少ない環境があると言える。だから、愚民大国に生きる日本人は、マスコミではなく出版界の情報やインターネット情報を取捨選択して情報を入手すれば、まともな知性を獲得できる環境に生きているとも言える。

 

 さて憲法とは、世界の常識では権力の横暴を規制するべく、大衆が権力に遵守させるべき義務を規定したものだ。

 しかし、日本の憲法学の世界では、憲法は大衆の義務をも規定するべきとする御用学者(権力の犬)がでかい顔をしている。安部政権が新憲法の試案を公表したが、ものの見事に国民の義務を宣言し、自由を束縛することを正当化する内容である。民主主義を後退させて、より大資本家が自由に国民を支配できるようにしたいようだ。

 この流れが行き着くところは、戦前の特高警察、もしくはナチスのゲシュタポの再来だ。権力に逆らう者は適当な理由をつけられて、ブタ箱にぶち込まれ、拷問の末殺された歴史がまた繰り返されるのだろうか。

  

 他の学問分野と専門家も大同小異であるが、また別の機会に取り上げることにしよう。同じような話では飽きますよね。



 「知」の鍛錬法の話をするはずが段々と論点がずれてしまった。要するに、一般的な日本社会のレールに乗って勉強しても、まともな知性を獲得できず、業界にとって都合が良いだけの真理とはかけ離れた知性を得るに過ぎないことを指摘したかったのだ。だから、権威を信用せず、多数派に迎合せず、自分で情報を集め、自分の頭で考える習慣が大事であるのだ。

 最後に、国際教養大学の話をしようと思う。秋田県が設立した国際教養大学を知っているだろうか。数ヶ月前の週刊文春の「就職に本当に強い大学教えます」という特集で、日本経済新聞が主要企業の人事トップに「人材育成の取り組みで注目する大学」と聞いたアンケートの結果があり、東京大学を抑えて一位となったのはなんと無名の国際教養大学であった。2004年に設立された国際教養大学が選ばれた理由は、なんと言ってもその学生のコミュニケーション能力の高さであり、また英語力の高さであるという。

なぜ、そのような新興大学の学生がそれほど優秀なのだろうか。私の分析では、国際教養大学の特徴は、欧州の大学とそっくりであるというところにその本質がある。この「知」の鍛錬法の項で、欧州の教育の合理性を述べてきたが、それを実証する強力な傍証として国際教養大学の事例を今紹介しているのだ。

具体的に説明していこう。国際教養大学の特筆するべき特徴を、箇条書きで示す。

(1) 一年次は強制的な全寮制で、2人部屋が基本。

(2) 講義は全て英語で、少人数制であり、議論・プレゼンテーション中心の講義。

(3) 教養重視である(専門バカにならない)

(4) 留学が義務である。

(5) 図書館が24時間開いている。

(6) 卒業するのが難しい。

(7) 周囲に何も無い田舎に大学がある。


(8)留学生が多い

(9)学生に占める女性の割合が7割  

(10)就職先はそうそうたる大企業


1)に関して、欧州の大学は全寮制で、しかも卒業後も寮に住み続けて良く、学生だけでなく、教職員、事務職員も家族ともども住んでいる。日本のみすぼらしい寮イメージではなく、それだけまともな住環境なのだ。寮生活を通して、いやでも自治能力や対人能力が身につく。自宅通学の日本の大学生がいるが、いつまでたっても自立の意識が芽生えず、親への依存が続く要因となっている。


(2)に関して、少人数制で、議論中心の講義は欧州の大学との共通点である。考える力、応用力の源泉である。

(3)に関して、欧州が教養主義であること、及び教養主義の重要性はすでに指摘してきたことである。

(4)に関して、欧州の学生は大学卒業後、就職前に1年間語学留学をして、英語力等を実戦で使えるレベルにまでにしてから就職するのが普通である。国際教養大学の学生の英語力は、まさに完璧であるらしい。留学で視野も広がるし、度胸もつくことだろう。

(5)に関して、これも欧州では常識。

(6)に関して、日本の大学は入るまでが大変、卒業は簡単、逆に欧米の大学は入るのは簡単だが卒業が難しいのは既に述べたとおり。

(7)に関して、本来は街中にあるほうが健全な大学である。田舎にぽつんと大学があるというのは欧州の常識とは反対で、あまり良くないことである。学生の逃げ場が無く、視野も狭窄になりがちだ。ただし、逆に大学内でいやでも人とぶつかり合いながら人間関係の勉強が出来るとも言えなくはない。

(8)に関して、様々な文化的背景をもった人間との交流は学生の視野を確実に広げるだろう。

(9)に関して、女性の割合が高いことは、国際教養大学の知名度の低さに起因するのではないかと思う。男性は特に肩書きにこだわるところがあるからである。

(10)に関して、以上の大学の特徴から、現在の無能な一般的な大学生とは比べ物にならない有能な人材が多数育成されているのであり、その結果として自然と一流企業からお呼びがかかるという現実があるのである。おそらく、秋田県は欧州の大学を視察して、真似したのであろう。この画期的な秋田県の教育政策を、他の自治体も取り入れるべきだ。