この間の続きみたいになっちゃうんですけど、(前回を知りたい方はここをクリック ビックリマーク)岡田さんはあの時、1986年4月4日から同年4月8日までの4日間の間に、執拗なストーカーとか、尾行、自宅周辺徘徊をされていたのではないかという懸念があるのです。しょぼん


その為、重度のノイローゼに陥ってしまい、信じられないことですが、たったの4日のうちに精神に異常をキタシテしまい、半ば錯乱状態に陥り、気づけば8日の日に自宅マンションでガス管をひねり、手首をリストカットしてしまうという余にも恐ろしい修羅場を展開してしまったのではないかと思うのです。ショック!汗


そして、もう少し深く掘り下げて考えてみるとその当時、救急指定病院、清潤会北青山病院へ搬送されそこで後遺症がないことが確認されてから、急遽、サンミュージックビルの事務所に戻った時に、既に、ビル内に、表玄関とか非常口から忍び込んだ刺客の連中がいたのではないかという恐ろしい予想が浮かび上がるのです。ナゾの人


ちょっと何かのスリラーの見過ぎとかいわれそうですが、何だかそんな気もしないでもないのです。ガーン


それから、路線はだいぶ違いますが、比較させていただきますと、1999年3月22日深夜に大阪の天王寺のラブホテルで射殺された里中まりあさん  の場合は、まずその事件の3日前おそらく3月19日に大阪市浪速区大国の自宅マンションの前の路上で一緒に住んでいたスキンヘッドの50代の男性が含まれた数名の男性に囲まれ殴られぐったりした状態で車で連れ去られ22日深夜に最終現場の大阪市天王寺区生玉町のニューヨークというラブホテルで顔の正面から拳銃で打たれ、銃弾が右部頭部に抜け貫通していた事件を思い出します。ドンッショック!あせる叫び


なぜこの事件を思い出すかというと事件当時はすでにぐったりとして反抗した形跡がなかったなどという点が同じじゃないのかなって思ったんです。ガーン汗


おそらく岡田さんはリストカット自殺未遂直後の精神的にぐったりした瞬間に刺客に遭遇し拉致され、(ほら、あのちょっとティッシュをっていって目を放した隙にいなくなった時です)屋上に連れて行かれ意識がなくなるまで殴られ看板から投げ落とされたのでは・・・・・なんてショッキングな想像をしちゃったりするんです。ショック!ダウンドンッ


里中さん の場合一緒に住んでいた彼に殴られたわけですから、きっと里中さん から別れたいといったんだなって思いますよ。OK


それで彼は男の仲間からも人気があって信望の厚い人だったのでみんながきっと加担したのだと思います。ひらめき電球得意げ


岡田さんもきっと当時付き合いがあった誰かに別れたいといったりそういう態度をとったのじゃないかなとかも思います。ガーン


それで逆上した相手が執拗な嫌がらせを嫌がらせ屋のプロを雇ってはじめたと思うのですけれど・・・・・・・むっプンプンあせる!?


里中さん のほうは彼氏の寺田幸雄が大阪府警天王寺署捜査本部に事件の翌月の4月17日に潜伏先のホテルで逮捕されて一件落着しましたが、岡田有希子さんのほうはそうなると永久に迷宮入りでしょうか!?ガーン

それも大きな謎ですね。ひらめき電球得意げ


本当に私、推理とか好きでこういうことすぐ考えちゃうんです。ショック!


もし不快な気分になってしまったならすみませんねぇ。しょぼん




ベル参考文献URL1右矢印http://www.ts.pos.to/past/oet-top.html ベル

ベル参考文献URL2右矢印http://www.b-v.co.jp/back-number/124/maria.html ベル

ベル参考文献URL3右矢印http://homepage1.nifty.com/gimagima/geinou.htm ベル

ベル参考文献URL4右矢印http://avno1.com/archives/2149 ベル