先日、日本会議広島の方からメールが届きました。
その内容を見て私は驚き、憤りを感じました。
8月6日に行われる田母神元航空幕僚長の講演会のチラシを公民館が置いてくれないというのです。
そんなバカな…。
もちろん公民館の協力承諾基準は満たしており、事実この件に関しての指定管理者による回答には、基準を満たしていないなどという文はありませんでした。
代わりに書いてあったのは

<strong>広島市長が講演日程の変更を要望したところであり、今年の8月6日の講演会も昨年と同主旨と思われるので、広島市の施設を管理している指定管理者である当財団においては、広報への協力はできません。</strong>

という一文でした。

市長はなぜこの講演の日程変更を要望しているのでしょうか。
田母神氏の過去の発言から、被爆者の方々の気持ちを逆撫でするとお思いなのでしょうか。
だとすると、この会の協力には被爆者団体の名が記載されており、主催側にも被爆者や2世・3世の方がおられ、被爆当事者の一つの意見であることは確かであります。
しかも、会場はリーガロイヤルホテルであり、静かに8月6日を迎えたい方の安寧を妨げるものではありません。

私は何でもかんでも表現の自由が認められるべきだとは思いませんが、この会は日本を憂い平和を願う方々が催す会であると断言でき、国益を損なうものでない以上、表現の自由が守られるべきであり、市長の介入は不当であります。

私はブログタイトルにもある通り虚心坦懐に物事を見ようと努めており、日本会議側の主張をそのまま受け入れて判断はしておりません。
事実だけを追って出した結論であります。
田母神氏の過去に発言された主張につきましては、以前の講演会にも参加しましたが100%の同調は致しません。
しかし、この講演会は意義があり、多くの皆様に聞いて頂きたいと考えております。

最後に主催側の広島市宛の質問状から市長への提案の一部を抜粋します。
非常に市長に対して敬意があり、バランスのとれた美しい文章です。

<strong>私たちは歴代の広島市長が「核廃絶運動」の先頭に立たれて奮闘されてこられたこと
に深い敬意を払っています。核廃絶の理想は大変価値あるものであり、現広島市長の核
廃絶への取り組みも高く評価しています。
しかし、70年前より昔、核兵器の無かった時代が平和だったかどうかは歴史的に明
らかでもあります。ですから、核兵器の無い世界が平和を意味するかどうかは、別に研
究しなければならないと思います。
  まだ核兵器は存在し、ノウハウとともに拡散している現状があります。そしてそれが
この国の安全を脅かしているのは、多くの識者の指摘している通りでしょう。広島の平
和宣言や平和行政には、核廃絶の理想追及の姿勢は顕著ですがその実現プロセスは明ら
かではありません。さらに、市長は自治体の長として「武力攻撃事態法」などの非常時
法により、住民の安全保護指揮責任と義務も課されています。今の行政では、この分野
が手薄であるように見えます。公務多忙な市長には、なかなか手が回らない分野のある
ことは理解しますが、理想の追求と現実への対応の両者が車の両輪のように動かなけれ
ば、市民の平和と安全を守ることはできないでしょう。

行政のこの手薄な部分、つまり現実への対応の部分を私たちは自分自身の問題として
捉え、研究し学習し続けることにしました。今回もまた、その一環としての講演会開催
なのです。行政の一助ともなるでしょう。広島市民にとって平和と安全を深く考える8
月6日は、この講演にとって最もふさわしい日であることに疑いはありません。</strong>