第16話 エホバの葬儀 | 改葬備忘録_最終章

改葬備忘録_最終章

2011年11月~2012年12月30日 故郷のお墓を引越ししました。
私と兄家族の宗教バトルも併せました。恐ろしやJW、ものみの塔

あけましておめでとうございます。

新年早々重くて暗いブログです。今しばらくお許しください。


改葬も今年の春には終えられそうです。

母もずいぶん弱ってきました。時間との戦いです。

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エホバ式の葬儀に、二度出席した。兄嫁のご両親の葬儀である。
兄嫁の父親は、オイラの母の実兄である。オイラの伯父さんになる。


伯父さんも叔母さんもエホバの信者ではなかった
伯父さんが、癌手術で入院した時に、母を伴って見舞った。


壁に、エホバ独特の印刷物の切抜きが、無造作に貼ってあった。
伯父さんが「グッチちゃん、張ったのは誰か、わかるよな?。」と言った。
だが、オイラは、義姉か、姉の娘達が貼ったのか、わからなかった。


「はがしてあげようか?。」と言ったら
「あんなもの、自然に落ちる。」と伯父さんが言った。
確かに、人が通るたびに、ヒラヒラと揺れていた。


今日話すのは二度目の葬儀、伯父さんの妻Y子さんの葬儀である。
Y子叔母さんは、難聴で、聾唖者に近かったと思う。
Y子叔母さんは草花を愛し、オイラはいつも笑顔で迎えられた。


伯父さんの葬儀は、ごく普通の葬儀であったと思う。
ただ遺骨を、持ち帰らなかっただけである


伯父さんの葬儀は、王国会館でおこなわれた。
賛美歌が聞こえ、指導者らしき人のお話があった。
遺体を市営の斎場に運び、告別室で最後の別れをした。
収骨までの小一時間を、ゆったりとしたホールで待った。
年老いたオイラの母もホールへ来て、
しばらくぶりに姪達に会い、話すことができた。とてもよい葬儀だった。


伯父さんの死から十年後、

叔母さんは認知症を発症し、施設で息を引き取った。
兄から電話があった。

葬儀には出なくて良いから、火葬場へ行くように指示された。
たしかに、その頃のオイラは、王国会館へは入りたくなかった。
オイラが信者であるとの疑いを招くことは、

自分の仕事に差し障りがあるような気がした。


時は2月、雪が舞う、とても寒い日の葬儀であった。終日零下であった。
母は前回の葬儀のように、姪たちに会いたがった
「火葬場へ連れて行って欲しい。」と言った。
あまりの寒さで、風邪でも引かれたら大変と思い、連れていかなかった。


オイラと妻は、寒いのを我慢し、併設の斎場受付前で、到着を待った。
雪がこんこんと降り続き、到着が遅れるのを、不思議には感じなかった。
しばらくして、自動扉のガラス越に、兄の姿が一瞬見えた。
遺体が到着したことを確信した。妻が手洗いから帰ってきた。


「兄貴の姿が見えたから、そろそろだぞ。」と私は妻に言った。
しかし、5分、10分経てども、遺族達は現われなかった


さすが15分を回ると心配になり、受付の女性に尋ねた。
受付け女性の顔が一瞬こわばった。


「Kさんのご遺体は告別室に入りましたか?。」の私の言葉は
事務所の人達の多くに聞こえたらしい。
事務所の人達がいっせいに立ち上がり、
「Kさんのご親族ですか?。親類の方ですか?。」と

矢つぎばやの質問であった。
一人の男性職員が「とにかく急いで!。走って、急いでください。」と
オイラと妻を告別室に急がせた。
「しまった!。気づかぬうちに遺体が運ばれ、お別れが始まっている。
大失敗だ、早くから来ていたのに、肝心なところで失敗した。」と悔やんだ。


告別室へ案内された。がらんとした、室の冷気が私達を迎えた
職員の一人だけが、炉の方を向いて、直立不動で立っていた。


案内してくれた職員が「着かれました。今、到着されました!。」と叫んだ。
「火を落とします。火を落としますからぁ!。」と悲痛な叫び声が聞こえた。


「いいえ、ここで別れます。このままで結構です。ありがとうございます。」
と言いいながら、コートを脱ぎ捨て、炉の扉の前で、妻と共に合掌した。


案内してくれた職員が

「お~い、聞こえるか。来てくださったぞ、安心して行けよぉ。」
大声で、二度三度、炉に向かって呼びかけた。


私と妻は「ありがとうございます。ありがとうございます。」と

繰り返し言うだけだった。
妻の目から大粒の涙が、ポトポトと、磨きぬかれた石の床に落ちた。
とても、立っていられない様子だった。支えた体が震えていた。
涙はいつまでも止まらず、妻は両手で顔をおおってしまった。


職員の一人が「エホバは、仏様をこの寒空の下に置いて帰ってしまった。

ひどいことをする!。」と悔しさをかみ殺すようにつぶやいた。
私には彼らの『エホバの奴らは、奴らは・・・』のしぼり出すような声が、

確かに聞こえた。


毎日毎日、何人もの遺体の焼却を仕事としているのにもかかわらず、
この出来事は、彼らに冷静さを失わせる事態であったことが想像できた。


私も、この行為はあまりにひどく感じられた。
兄嫁は五人姉妹である。全員が嫁いでいる。

K家の墓が無いのは仕方がない。


以前の伯父さんの葬儀の収骨で、強い口調で兄が、嫁の妹達に
「いったい誰が墓を守るのだ家を継ぐ者が無い以上、
無縁仏として、共同墓地に入れる。」と言ったことについて異論は無い。
お骨を納める墓が無ければ、共同墓地に埋葬することで充分である。


しかし、お骨にするまでの一時間が、なぜ待てないのか
葬ったのは、あなた方を生んで、育ててくれたお母さんのご遺体なのだ。
火葬場に置き去りにするなんて・・・・。
聞こえなくても、目を細めて微笑んでいた、やさしかったY子叔母さん。


死ねば無、死体は物、こんな考えは到底理解できない。
偶像礼拝をしないのは理解できても、
自分を育ててくれた母の始末をつけてやるのが、人の道徳だと思う。
人のやさしさだと思う。違うだろうか?。


先人達は、苦しくても、赤の他人であろうとも、遺体だけは守った。
穴掘り道具が無ければ素手で掘った。土や草をかぶせたのだ。
の文字を見ればわかるだろう。死の上と下に草冠があるだろう。
これが人の道ではないだろうか。


私と妻は泣きながら帰った。叔母さんが可哀想だった。
宗教に娘と婿を奪われた叔母さんの辛さが身に染みた


夜、兄から電話があった。
兄は怒っていた。「火葬場中を探したが、いったい、どこにいたのだ!。」
私は、ついに「嘘を言うな!。」と言ってしまった。
私は、火葬場での顛末係員の優しさを話して聞かせた。
兄は「遺体を置いて帰っても良いと市役所が言ったのだ。」と弁解した。


私は、伯父さんと叔母さんの葬儀の違いを、兄と兄嫁にただしたが、
二人とも憶えていないと言うばかりであった


その頃は、薄々とエホバのローカルルールも聞いていたし、
葬儀の違いは、指導者の見解の違いであろう。
末端の信者に、いまさら何を言っても、何も変わらないこともわかっていた。
核心に近づくと、二人はただ押し黙るだけであった。


私は、このようには決してなりたくないと思った。
私は、自分の父親と次兄には、充分な優しさを示さなかった
二人の墓を近くに移したいと、真剣に考えるようになった。


せめて、母に念願のお墓参をさせたいと思うようになった。
妻は、涙を流しながら、喜んで同意してくれた

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