A Streetcar Named Anonymity
僕は電車に乗り込んだ
大した理由は無かったのだが、無料、と言うのが大きかった
其処に乗り込んでいる人の多くは、何故か仮面を付けているようだったが、それの多くが素顔と言っても差し支えの無い出来だったので、付けていてもみんな気にしていなかった
まどろむ日射しの中、呆れた目つきで、僕を電車は運ぶ
セレンディピティー
ここ最近、浦島太郎を味わっていて(要は出戻り)
周りの顔ぶれが変わっていない分、自分がいかに変わったのか、という部分を実感できる
恐らく、三年後の自分も今から変化し続け、信念なんか雲散霧消してしまっているのだろう
セレンディピティーとは「偶然と賢明さによって、求めているわけではない物事を発見する才能」のことだが、人生とは、偶然辿り着いた場所で、妥協が妥協を生む道程を振り返ったときに「よくこんな遠くまで来たな」とありきたりの事をほざく行為なので、その才はほぼ全ての人間が有している、と言っていい
一人オセロ
愛情と憎悪は裏返し、という言葉の通り、僕は彼女に一人勝手に嫉妬し、八方美人だといって難癖をつけ、自分の事を嫌がってにげだすんじゃないか、と勘ぐっている
そして、またぞろ、実際に起きるはずのない君の逃避の被害者になることを恐れて、この事態から敵前逃亡しまうのだ
自分で表と裏を、白と黒に塗ったオセロのコマを回しながら
小川和夫の誇るべき一日
その日も彼は、日本人がアパルトヘイトにおいて、「名誉白人」として扱われることに情けなさに近い居心地の悪さを感じていた
・・・みたいな文章で、最近「ガングロはアートでは?」と思うに至ったので、適当に誰かが日焼けサロンをアパルトヘイトに対する抗議活動の一環として始めた、みたいな文章をでっちあげようとしたのだが、うまくまとまりがつかないので、放り出してみる
ある日
恋愛相談なんて無意味なものだ
どんな人にとっても、恋愛はどっちに転ぶかわからないものだし、そういう意味では、相談というより成功談、失敗談を聞いているに等しい
しかし、いま、この時が、好きなあの女の子といる緊張感よりは、気楽だ、なんて言えなくて