自分の中の空洞に、自分自身を見つけました
石川県 Mさま の声
センタリングのご感想
最初の女性性と男性性を統合するワークで泣いてしまい、
何が起こったのか考えてしまっていました。
考えるのをやめて、ただ感じてみたら、少しわかったのですが、
私はずっと自分が女性であるということが腑に落ちないでいました。
性同一性障害ではなく、
外側から求められる「女性像」と自分なりの「自分像」が合わなくて、
かといって自分なりの「女性像」は作れない・イメージできないという状態でした。
そして、社会との関係を作るとき「求めに応じる」パターンを身につけてしまってい
て、内側の自分と外面の自分の差異に悲しみや怒りを感じていました。
左手の上のものと右手のそれを合わせ始めた時、その瞬間から涙が出て、実は今も思
い出して泣いてしまっています。
とにかく統合されたその「まとまり」が胸から入って、お腹の中に落ち着いた時と
その直後のセンタリング中、過去に感じたことのないエネルギーがそこにゆらゆらし
ていました。そのゆらゆらしている「まとまり」をただ感じているうちに夕方にな
り、最後のセンタリングで「あぁ私ここにいたんだ」「私、ここにいる」と、笑うで
もなく泣くでもなく静かにそう感じていました。
世の中で認められる「女性像」を自分の中から捨てます。自分なりの「女性像」を探
すのも止めます。しばらくは発見したばかりの「自分自身」を慈しんでいようと思い
ます。ずっとあったのに勝手に「新大陸発見」したヨーロッパ人みたいで可笑しいの
ですが、見つけたことを喜んでいます。自分の中に、物心ついた頃から空洞だった場
所に、自分自身を見つけました。ありがとうございます。
何かにつけバランスの悪くなる私ですが、そのふらつきも楽しもうと思います。
センタリングは、まさしくセンタリングでした。
センタリングのご感想
最初の女性性と男性性を統合するワークで泣いてしまい、
何が起こったのか考えてしまっていました。
考えるのをやめて、ただ感じてみたら、少しわかったのですが、
私はずっと自分が女性であるということが腑に落ちないでいました。
性同一性障害ではなく、
外側から求められる「女性像」と自分なりの「自分像」が合わなくて、
かといって自分なりの「女性像」は作れない・イメージできないという状態でした。
そして、社会との関係を作るとき「求めに応じる」パターンを身につけてしまってい
て、内側の自分と外面の自分の差異に悲しみや怒りを感じていました。
左手の上のものと右手のそれを合わせ始めた時、その瞬間から涙が出て、実は今も思
い出して泣いてしまっています。
とにかく統合されたその「まとまり」が胸から入って、お腹の中に落ち着いた時と
その直後のセンタリング中、過去に感じたことのないエネルギーがそこにゆらゆらし
ていました。そのゆらゆらしている「まとまり」をただ感じているうちに夕方にな
り、最後のセンタリングで「あぁ私ここにいたんだ」「私、ここにいる」と、笑うで
もなく泣くでもなく静かにそう感じていました。
世の中で認められる「女性像」を自分の中から捨てます。自分なりの「女性像」を探
すのも止めます。しばらくは発見したばかりの「自分自身」を慈しんでいようと思い
ます。ずっとあったのに勝手に「新大陸発見」したヨーロッパ人みたいで可笑しいの
ですが、見つけたことを喜んでいます。自分の中に、物心ついた頃から空洞だった場
所に、自分自身を見つけました。ありがとうございます。
何かにつけバランスの悪くなる私ですが、そのふらつきも楽しもうと思います。
センタリングは、まさしくセンタリングでした。