ポンコツちゃん再生工場日誌

ポンコツちゃん再生工場日誌

ポンコツ再生のためのチャレンジ記録です。

Amebaでブログを始めよう!

 ご無沙汰してます。ポンコツちゃんです。

 

 前回更新が約2年前。その間、ネットとは少し距離を置いた生活を送っています。

 

 とはいいながら、何やら思う事・感じる事があればスマホを弄ってTwitterで呟く日々。でも所詮140文字の世界では、「こうだ!」と表現したくても、その中身を切り取ってしか語る事が出来ません。 何せ、人間年取れば話が長くなるのです。

 

 自分の語る事に収集がつかなくなり、まるで「コレも大事、アレも大事」と、断捨離出来ずにモノに溢れた家の中で、自分の生活スペースが「立って半畳寝て一畳」になってしまい、挙句の果ては不要なモノに溢れた「ゴミ屋敷」の住人のようです。

 

 いかん、いかん!50を過ぎて確実に頭の中の老化現象が始まっています。そういえば、最近のネット用語にもついて行けなくなってるしなぁ……バズるってなんだ?w←この「w」も最近は「草」と表現するそうで。

 

 脳のリハビリの為にも暫く放置していたこちらで毒を吐くこととします。

 

 

閑話休題

 

 長かった10連休が終わりました。その連休真っ只中の5月2日の事です。仕事関係のお金を銀行の夜間金庫へ預けに行きました。

 

 その銀行にはいつも感じのいい清掃業者の女性がいらしゃって、笑顔で挨拶をしてくれます。仕事ぶりもテキパキとして、汚れた箇所があれば即対応でキレイにされています。

 

 当然、その日は銀行は休みなのでATMコーナー以外は誰もいないと思いきや、駐車場でその女性にバッタリ遭遇。彼女はホウキとチリトリを持ち、場内を掃いていらっしゃいました。

 

 いつものように「こんにちは」と挨拶すると笑顔で返してくれる彼女。その姿は作業着ではなく私服っぽい出で立ち。

 

 「今日は休日出勤なんですか?」と尋ねると、「いえいえ。お休みですよ。でも休みが長いから、今日あたりに出てきて掃除しておかないと、連休明けが大変な事になっちゃうんで」との返事。

 

 そうです。彼女は会社の業務とは関係なく、自主的に出てきて掃除をしていたのです。だから格好も作業着ではなく私服だったのです。

 

 

 この女性の行動は賛否両論あると思います。今の時代の流れから「仕事のオン・オフはしっかりけじめをつけるべき」「働き方改革に反する行動」云々という否定の意見が多いでしょう。俺のその時は「ここまでやらなくてもなぁ」と正直思いました。

 

 そして10連休が終了。テレビのニュースでは、サービスが停止していた役所や銀行に人が殺到して、ATMに障害が出る等のトラブル続出の報道がなされていました。

 

 俺も仕事で例の銀行に行ってみると、お客さんが溢れかえり、行員さんもアワワ、アワワとテンパった状態。で、清掃員さんと会った駐車場は…目立ったゴミも無くキレイでした。彼女はいつもと同じようにテキパキと清掃作業に従事。

 

 俺は彼女が休日に出てきた意味がちゃんと理解できたような気がしました。彼女は先を読んで、しっかりと準備をしていたのです。そこには自営・雇われに関係ない、彼女自身の仕事に対するプライドのようなものが見えました。

 

 10連休が終わった時どのような状態になるか、プロならちゃんと予想して対策をすべきだと思いました。役所や銀行はその辺りをしっかり考えていたのでしょうか。まさか、連休前の浮かれ気分で、心ここにあらず状態だったとか…それはないでしょうがw

 

 彼女のように、休みに出てきて準備しろとは言いませんが、俺にはまったくの無策だったように見えました。

 

 普段をシュッとしたバンカーさん達より、掃除のおばちゃんの方がよほど意識が高いプロフェッショナルだと教えられたのです。

 こんちゃ!ポンコツちゃんっす。

 

 久しぶりの更新です。前の記事を読み返してみてビックリ。約2年前に一度だけ更新していますが、その前まで遡ると…約3年ぶりの更新になります。

 

 何故こんなに放置してたかと言うと、プライベートでちょっとした変化があったのです。同居していた父親に認知症の症状が出て、どうしても介護が必要になり、当時の仕事を離職しました。

 

 そこからの日々を綴ろうかと思ったのですが、なんか重くなりそうな話題はこのブログに合わないし、とりあえず別ブログを立ち上げて、そこに備忘録を兼ねた出来事や自分の考えをツラツラと記していました。

 

 楽しい介護 明るい介護 ←約3年間の記録はここに綴っています。

 

 で、最近父親が養護施設へ入所し、とりあえず介護はひと段落。俺も晴れて自由の身となったのです。

 

 この3年間で様々な事を学ぶ反面、色々な事を犠牲にしました。まずはそれらを立て直す事から始めたいと思います。つまりこのブログタイトルそのままの『再生』です。

 

 またこちらをベースキャンプとして、自分の想いを我儘に、自己中に吐き出して行きたいと思っています。

 

 こんにちは。ポンコツ親父改め、佐藤健改めポンコツちゃんです。

 前回の更新からあれよあれよという間に10ヶ月経過。大変ご無沙汰しております。

 この10ヶ月間、色々な事がありまして、それはまたオイオイと呟いていこうかなと思っています。


------閑話休題------


 「継続は力なり」という諺があります。

 コツコツと地道に続ける事がやがて大きな力を発揮する源になる …こんな意味の諺だと思います。

 10ヶ月もこの場を放置してた俺とは対極とも言えますが(笑)何か事を始める時には誰しもこの諺を心のどこかに持っていると思います。

 ブログも然り、ビジネスも然り、もっと広くいえば人脈を作るのも然り。

 この諺の意味がしっかり分かっていながら、中々結果が出ないと心が折れてコツコツする努力を止めてしまいますよね。

 結果とは一体何なのか?ブログならアクセスアップや読者からの反応。ビジネスならズバリお金。人脈なら力を持つ人へ辿りつく事ではないでしょうか。

 しかし!結果なんぞ1日、2日、いや1ヶ月、2ヶ月で出るものではありません。


 ではでは何故我々はこんな簡単に心が折れてしまうのでしょうか。その事について考えてみました。


俺なりに導き出した答え
↓↓↓
費用対効果の呪縛です。


 費用対効果…最近はコスパ(コストパフォーマンス)とも言われ、費やしたお金や時間に対してどれだけの効果が上がったを計る度合いみたいなものです。

 その刷り込みが我々の中にあって、コツコツ費やした時間に対してすぐに結果が出ない=悪という意識がどこかで働いているのではないかと思うのです。

 でも費用対効果の尺度はモノによって違うんですよね。例えば、お祭りの露店は限られた時間の短期決戦ですので、1日商売してみて売り上げが上がらないと費用対効果が低かったと判断していいわけです。

 これが農業だと違いますよね。畑を耕し、種を撒き、肥料を与え、天候を気にしながら毎日の手入れ。これを毎日コツコツと続けて、数ヶ月後、数年後にやっと結果が出る。そこで費用対効果の判断が下されます。


 結果が出ない為にすぐに心が折れてしまうのは、露天商感覚で農業をやっているのと同じではないでしょうか。

 そりゃ、やり方がマズイから結果が出ないという人もいるでしょう。しかしほとんどの人は撒いた種からあと少しで芽が出るところまで来てるのに、そこで止めてしまう事のくり返しをやっているのではないかと思うのです。


 昔、Twitterで見かけて凄く納得させられた言葉があります。「結果が出ないなら結果が出るまで続ければよい」当たり前だけど案外気づいてない事だと思います。

 まぁ、この言葉を実践できる程、俺は鉄のハートを持ち合わせてはいないですが(笑)、それでも目先の費用対効果に惑わされず、コツコツと農業的感覚を忘れずにいきたいです。

 だって、俺らは農耕民族の末裔ですがな(笑)


-----追記-----

 何やら説教臭い内容になりまして、ポンコツ何かスピリチュアル的なものにでもかぶれたのかと思われたかもしれません。

 ただ、ここ数ヶ月考えていた事を忘れないように文字に起こしただけですので(笑)