昨日だったか急にフッと

 

目に見えないものを溜めていくことが大事だ

 

と浮かびました。

溜めるというか、積み重ねる?

 

どれだけ富を築くか、でもなく

どれだけたくさんの人と友人になるか、でもなく

 

そういう目に見えて分かりやすく、華やかなものではなく

それとは真反対の

むしろ目立たない、一見してわかりにくいけれども

価値の分かる人にはわかるような

 

そういう類のものを、表面クールに、内面は熱くして

持ち続けて行く

 

ぶっちゃけ

今年の初めくらいまで、自分探しというか

必死に自分の方向性を模索していて

そういうのをジタバタするって言うんですけど

 

タイミングよく?病を得て、諦めることができました。

 

(なんかそうならないと完ぺき諦められなかった

自分が情けなく思うけれど)

 

頭でわかっていることと、完全に吹っ切れることは別なので

このことから私は、諦めれば諦めるほど楽になる

ということを悟りました。

 

前々から一つ一つ

メッセージというか言葉はあったのです。

目立たずひっそり、とか

地味に細々

形を成そうとしない

行動に意味を見出そうとしない

何者かになろうとしない

などなど。

 

これら、最初は抵抗がありつつも

徐々に受け入れられていたのですが

だからと言ってなくなることはなく

内面でくすぶっていたため

じっとしていると落ち着かない、不安になるような

そんな感覚はずっと残っていて

 

よりによって心臓などという場所に病を得たため

一気に根っこから引き抜かれるかのように

諦めることができました。

 

なんか、祈っているだけで役に立てる、というか

まさにそれが腑に落ちるような感じなんですよね。

 

過去生からずっとそういうことをしてきた魂なのに

祈る存在だったはずなのに

それに徹してきた結末が無念だったことだあった

人生を繰り返してきたのか

そういう意味でのリベンジをしようとしていたんですかね。

 

違うかもしれませんが

昨日のラグビーワールドカップのサモア:日本戦で

私、なんだかまともに見ることが出来なくて

テレビから離れたところで

音だけ耳を澄まして聞いていたんですけど

 

もうそろそろ日本が勝つの決定かなと思って

テレビの見えるところに行こうとしたら

また形勢が危うくなったので、戻ったんですけど

 

そういう時に、静かに祈るというか

集中するんですよね、最善の結果に、って。

勝ってほしいとかどうとかではなく、無事を祈るみたいな感じで。

 

そんなことをしていた時、ああ、こういう感じか~

って思ったんです。

 

願いを叶えようとして積極的に動かそうというよりは

じっと内面に集中すること

できるだけ動揺せずに、結果がこうなるようになどと思わず

無、というか空?という感じで

存在し続けている、という。

 

こういう感じの生き方って

自分の存在を知らしめるようなことはできませんが

自分さえ自分の存在の尊さに気づいていれば

いいんじゃないですかね。

 

とにかく、自分の内側に集中すること

空(くう)になること、だと思うのです。

 

目に見えないものを溜め続けて行くことは

すぐに結果として表れることはありませんが

心、というか魂に響く、温かくなるような感動を

静かに押し寄せる波のように

繰り返し感じさせてくれると思います。