自分がまだこんなに、普通はこうだろう

という枠にはまって生きていることに気づくことがありました。

 

これだけたくさん手放してきたのに…。

 

まだまだもっと、普通はこう

という価値観を手放していくということなのか

と、ちょっと、頭ガーンガーン爆弾という感じです。

 

おそらく、普通はこうというのって

幸せの基準なのかなって思うんですよ。

普通の枠からはみ出て生きるって、幸せじゃない、という。

 

すぐにわかりやすい結果を見て、判断しているなぁ

ということで。

 

例えば

結婚しているから幸せ

していないのが幸せ、不幸せ

子供がいる・いない

夫婦関係が円満だから幸せ、円満じゃないと不幸せ

離婚すると不幸せ

 

そういうのすべてです。

なにか自分のことでも他人のことでも

そういう目の前のわかりやすいところにある結果を見て

どうこう、というのを、もっとうんと

ガラッと変えて行くってことなんだな、と思いました。

 

女性性の新しいリーダーはなお

形に捉われないというか

どんな体験も素晴らしいことであるということとか

その体験から何を見出して、どうやって生きて行くか

いわゆる人が言う失敗とか成功とか

そういうことにこだわるのではなく

 

その時の自分が悩んで決めたことを信じて

思うような結果にならなくてもめげずに

突き進んでいくしかないのだな、と思いました。

本当に…。

 

不幸と言われることの中にも、ほんの僅かな

幸せと言えることもあり

なんだか人生って、そういうのがないまぜになって

自分のオリジナルな人生、生き方になるんだろうな

って思います。

 

まとまらないまま、もっと言うと

幸せとか不幸せとか、見えるところだけ見てジャッジするものではなく

その中にある悲しみとか苦しみとか

たまにある喜びとか、解放される感じとか

そういういろんな感情を味わって

その内に見えてくるこれまでに見たことのない光景を見て

おお!って思ってまた歩くとか

 

見ている方は、一々心配したり、手助けしようとするのではなく

そうか、そういう人生を歩みたかったんだね、って

敬意を表すというのか、尊重するというか

そんな感じでいいのかなって思ったりするんですよね。