改めて思ったこと。

 

家族や、その他世の中のどんな人にも

基本的に、自分を犠牲にしてしまう

身代わりになることを、普通に

まるで進んで行うかのような生き方のスタンスで

これはもう沁みついてしまっていて

これまで相当浄化してきて

ある程度抜けてはいるけれども

 

基本これだから、まったくなくなることはないのだ

と気づきました。

 

だからうんとうんと距離を持っていないといけないのだ、と。

 

浄化の能力とは、身代わりになるということか

他にやり方はないのか。

 

よく書いていることで繰り返しになりますが

やはり適度な距離を取るということは前提として

 

1、まずは自分を癒す

2、自分の好きなことをして、穏やかに生きる。

3、間に何かを入れる

 

3について説明すると

自分が、ある人のことを気になり、何か手を貸したい

役に立ちたい、助けたい、幸せにしてあげたい

等と思って、実践する場合

 

浄化の能力のレベルというか

自己肯定感が安定しているかどうかにもよりますが

実際に手や口を出して、あるいは身を挺して

関わるということは大変危険です。

 

そう、黙っていても自分を差し出すというか

身代わりになってしまう癖があるから。

相手が自覚なく罪深い人だと

その罪までも着せられてしまうから。

 

なので、間に何かを挟むのです。

何かとは、人ではないもの。

純粋なもの。

自分が信頼している、好きなもの。

 

例えば、絵が描ける人なら絵

歌が歌える人なら歌

踊り、楽器、文芸、手芸などの作品

などなど。

 

ヒーリングなんかでは、私は

クリスタルや音叉(その他色々)を使います。

以前はフラワーエッセンスやアロマオイルも使っていました。

 

そして、相手がどう感じ、どう受け取るかは

相手にすべて任せるのです。

自分がしたことで、一時

よくなるどころか悪くなったように見えても

何にも響かないように見えても

それはその人の受け取りたいように受け取っているのだから

と思って、認められる、称賛される、感謝されるを

諦めるのです。

 

自分はただ、良いと思ったエネルギーを流すだけ。

音を聞かせて、絵を見せて、作品を手にとって使ってもらうだけ。

ヒーリングなら、受け取ってもらって、自由にアレンジしてもらうだけ。

(アレンジというか、好きなように好きなところを癒してもらうというか)

 

そこになにもジャッジを加えず

あるがままを遠くから見ている

あるいは渡したことさえ忘れてしまう。

 

そんな感じです。

まぁ、なかなか難しいですけどね。