昨日の記事を書いた後、なんかじわじわっと

感じたのですが

 

なんかやっぱり

アスペルガーでも、そうでなくても

大事なのは

「普通」という価値観を手放すことなんだ

ということ。

 

私たちは、親から、そして周りから

「普通」という価値観を植え付けられています。

(というと被害者的なので、受け取っている、とも言えます。)

 

でも、その「普通」という枠組みのお陰で

昔は大きく踏み外さないで済んだこともあります。

 

例えば、一生懸命勉強して…

それを細かく言うと

どれか一つではなく、まんべんなくどれも優秀に学び

という

できるだけ高いレベルの学校に行き

資格も取れたら取って

一流企業に入って、出世もして…

 

という、まず最高レベルの目標があっての

そこに近づくようなレベルが、普通。

 

今70代くらいまでの人がこの価値観のマックスで

年齢が下がるにつれて、少しずつ緩和されていきます。

 

インディゴの世代はこの価値観を壊すことを

目標にして生まれて来ています。

その中でもアスペルガーと言われる人たちは

特にその意識が強くて、いわゆる普通の幸せ

というものを目指していないどころか

忌み嫌っているというか

アレルギーでもあるかの如く、反発、反応します。

 

上から命令されることを拒み

型にはめられることを嫌い

自分の好きなことを追求します。

 

さて、話を戻すと

普通ってなんなんでしょうね。

こうすると幸せになれますよ

という一つのモデルケースですが

上に書いたことの他にも

 

結婚はするもの

できるだけ若い時期にするもの

そして子供を産み育てるもの

という普通の価値感。

 

今ではその価値観はかなり崩れ

多くの、少なくても今まで私が面談した女性たちは

結婚は好きな人ができたらするもの

としています。

先に結婚ありきではなく

自分のことを大切にすることが前提です。

 

昨日書いたカサンドラ対策は

現実から少し離れていて

対策になっていなかったかもしれませんが

現実のサポートと共に

物事をどう捉え、どう生きるかが大切かということを

霊的なことから見て行くということです。

 

なので、昨日の記事に付け加えるとしたら

普通の枠組みの中で生きていれば安心

(でも、なんだか窮屈であることは無意識でわかっている)

という古い固定観念があり

 

根が真面目なので、そこからはみ出さないようにと思い

懸命に生きて行く。

そうすると、今度は周りからどう見られるか

気にするようになります。

 

それからこれは、昨日の追加。

普通はということに捉われていると

相手のちょっとした言動に、普通物差しを作動して

おかしい、変、と受け取り気にしすぎて

相手を嫌いになっていく。

そこにあるのは、私の普通に生きる道を阻害する人

として捉えているから。

 

ここを何とかしていく…

おかしいと取るか、面白いと取るか

 

いずれにしても、超マイペースな彼らは

この普通に生きたいを破壊する専門家なのだと思います。

その人に縁のある人は、それを利用して

常識を覆して真の自由を得て生きると

決めてきているのではないかと思うのです。