CTとMRIの検査結果を聴きに病院まで行ってきた。

大きい転移は今のとこのないようで、「子宮温存手術」というものをやる方向性で考えている。

しかし、日本ではまだ実例が少なく、実験的な要素もあるらしい。

周囲の人間はどちらかというと反対している。

標準的は手術ではないので。


今回私を診てくれている先生は非常に信頼できると感じた。

まだ面識は3回しかないのだが、この先生なら任せられると直感した。


ただ、手術の経過でリンパの転移、その他(詳しいことはまだ勉強不足でわかりません)状況が良くない場合は子宮ごと全部とってしまうということだった。


臨床手術?という公開オペになるらしく、病院側の張り切りようが伝わる。

まだそこの病院でも30回しか実例がなく、子供を授かったのはその中でも1名のみ。

また術後、転移や抗癌剤や放射線で卵巣に影響をあたえてしまい、諦めざるおえない状況も確率としては少なくない。

子供が欲しいから子宮温存をするのに、なぜ出産に至ったのは1名のみなのだろう。

う~ん、わからないことが多すぎるなあ。



私の身体は普通よりも血液が少ないらしく、すぐに手術はできないとかで、昨日から増血剤を飲んでいる。

とにかく血の量を増やすことが今の課題。

そして、手術前に輸血用の血を保存するらしく、何回か血を抜かれる。

普段から貧血気味の私には、血を抜くなんて勘弁してもらいたい話だ。


そして最近は引越計画も浮上。

病院とは長いお付き合いになりそうなので、近辺へ。

家賃高いな~。

毎日結構忙しい。


マドンナのライブでは裸足で踊った。

缶ビール片手に本当病人とは思えない。

親が見たら卒倒するな。

でも楽しいこと、あんまり諦めたくないと思ってるんだ。


もし、このブログをみている方で子宮温存手術についてご存知のことあれば教えて下さい。

問題なければよろしくお願いします!


ちなみに昨日は寝付けなくて、夜中にワインを空けた。

手酌でちびちびやってたら「頼むから寝てくれ、酒は1日1杯まで!」と彼からのお叱り。

まあ、当然なんだけどね。

1時以降パソコン禁止!という規約が今日からできてしまったガーン










思えば、20代はよく遊び、働いて?いた。

私は一般的な仕事にはついていなくて、いつも自由だったし、ある意味不自由でもあった。


当時付き合っていた彼は夜の人間で、私も夜の生活に入り浸っていた。

朝から飲みに行くなんて日常で、温泉や海外へと時間があれば出かけていた。


仕事の内容は今は伏せておきます(いつかその内)

とにかく「宵越しの金は持たない」というように稼いではみんなに酒を振舞い、買い物してはいらないと全部あげてしまったり

少し尋常ではなかった。

仕事があれば日本全国飛び回り、ホテルで暮らすことも度々あった。


ある日、そんな暮らしに疲れた。

田舎に引越て隠居したいと彼に伝え、茨城県のつくば市に引っ越した(中途半端な田舎だけど・・)

つくばはとてもきれいな良いところで心癒された。

でも1年暮らすうちにお互いに煮詰まって、彼と別れてしまった。

8年の付き合いだった。


彼はとにかく男らしい人で、経済的にも裕福で、料理も上手、優しい人だった。

ただ1つ、一般人ではなかった。

でも大切な家族だった。


つくばにいた時はずっと働いていなくてただ時間だけが過ぎていった。

お金があってもいつかは底をつくし、働いて普通の暮らしを私は望んだ。

いつか結婚して、子供を産んで、動物たくさん飼って平和に暮らしたい。

強く思った。


友達がクラブのママをしていた。

結構はやっている店で、私にアルバイトを勧めてきた。

水商売経験のない私は迷いながら、何もしないよりはと思いちょくちょくお手伝いした。

結局、性に合わなくて辞めてしまったが、辞めるときはお店のNO1になったいた。

でも私にはとても辛い仕事だった。



彼はそんな私をみて、多分いい気分ではなかったと思う。


友人には「籠の鳥みたいだ」と言われていた。

彼の揃えてくれた暮らしや、贅沢なもの達に囲まれて、身動きできずに暮らしていたから。


結局、色々な迷いの中で1歩踏み出し、別れを決意した。

しばらく1人でやっていこう!と決めた。


別れてから半年、色々なことに気がついた。

どれだけ大切にしてもらっていたか。

私は沢山の愛情をもらっていた。


今、新しい彼ができ共に暮らしている。

新しいスタート。

そんな時、癌が見つかった。

















今年に入ってから残念(っというかかなりショック)なことが2つ。


まず1つは引越をしたときに引越業者による盗難にあったこと。

新居に到着した時、すでに盗まれていた・・ガーン

総額は300万位で下着や貴金属、新品の洋服など多数。

しかもその旨を伝えたら、完全否定され(うちはやっていません。)と何も保障なしプンプン

こんなことって本当にあるんだろうか。

どうにもならず汗結局泣き寝入り汗

ハート引越センター・・・ひどすぎるむかっ


そしてもう1つ。

美味しいものとお酒大好きな私は去年からワインの勉強をしていて、先月はソムリエの試験だった。

この日のために恵比寿の学校まで足繁く通い、仲間と勉強したのに~~~。

前に術後の後遺症のため大量出血あせる

もう死ぬのかと思った。

3時間ほど様子を見ていたらそのまま記憶を失い、救急車。

近くにいた彼氏に病院に連れて行ってとお願いしたら、人間はこの位の出血では死なないと一言。

一体この人はどれだけの修羅場をくぐって来たのだろう・・・。

私が気を失って、慌てて救急車を呼んだらしい。

気がついたら病院のベッドだった。

この時実家に帰ろうかと思ったシラー


結局ドクターストップで試験に行くことができなかった。

ありがたかったのは家族。

普段は疎遠だったのにすぐに飛んで来てくれた。

弟は私の試験に同行して車椅子を押してくれると、2日間待機してくれた。

本当にありがたかったし、涙がでた。

兄も遠くから飛んできてくれた。


ソムリエ試験を受けることはできなかったけど、この日何か違うものを得た。


退院後、日々のワインは欠かせない。

周囲にも私が入院したらお見舞いにワインをよろしくと伝えている。

ところで癌にお酒はどうなんだろうか?

こればっかりは譲れないよ。


と話は飛んだけど改めて今年あった厄を2つ振り返ったけど、あれ?そんな悪いことばかりじゃないじゃん。

家族のありがたさを知ることができたしね。


来年またソムリエ試験を受けるぞ。

1発合格だチョキ








2日間にわたる検査をしに都内の病院まで行ってきた。

CTとMRI。

まだ転移の状況がわからず、調べてから手術の方針を決めるということになった。


思えば今年6月に小さな婦人科で子宮癌検査をし、当時は自分が癌になっているなんて考えもしなかった。

ただ少し生理不順だし、新しい生活を始めるにあたっての身体のメンテナンス位にしか考えていなかった。


結果、大きな病院へ紹介状を書くから移転いて下さいと言われ、横須賀の病院へ転院。

円錐切除手術をした。

「99%大丈夫」という医者の言葉に安心し家族もほっと一安心。

1週間後、病院から電話があり来院してくださいとのこと。

「前回の手術で癌が採れませんでした。思ったより進行しています。ステージは1のb。リンパへの転移がみられ血液への転移心配です。」

が~~ん・・。もう治ったと思ってたのに。

しかも自分1人で告知を受けてしまった・・。

そこでセカンドオピニオンを勧められる。


なんとも言えない気分だった。

まず、母親(うちは母子家庭なんで)に申し訳ないという気持ちと支えてくれた周りへの申し訳ないの気持ち。

それから、自分の身体への不安やこれからの人生の絶望感。

頭がクラクラした。


子供が欲しいって今まではいつか機会があればね~とか高齢出産でもよいかな~とかのんびり考えていてこの歳まで強く思っていなかった。でも、もう産めなくなるとわかるとすごくショックだったんだ・・。


周りの友達は次々子供も産んで、幸せそうに平和に暮らしている。

病気の話をしても健康な人は頑張って!と口を揃えて言う。


そんな時、同じような状況に立っている人達はどうなんだろうって思ってパソコンで調べてみた。

意外とみんな前向きな人たちが多くてビックリした。


ちなみに私はまだ日々葛藤中なものであまり前向きの発言ばかりできないのが正直なところ。

このブログもゆっくり気持ちの整理を付けていくために書いている。


そして話は前に戻るが、検査結果は20日にでるので、またその時に。

そして検査結果を聞いた後はナゼかマドンナのライブに行ってきます。










お気楽に生きてきた。

先のことなんて考えてなかった。

20代は沢山遊んだ。

美味しいもの沢山食べて、よく飲んで、旅行して、恋をして。

今年8年間、苦楽を共にしてきた彼氏と別れた。

すごくいい男だった。

人はついないものねだりをしてしまう生き物で、とても優しい彼を我がままばかりで振り回しあげくの果てさよならした。

彼にないところを持っている人にひかれた。

まだ自分は未成長だ。


病気のことはまだ気持ちのが整理ついてから(なかなかつかないかもな~)書こうと思う。