朝練 40分Jog
<走行距離8㎞>
今日は韋駄天治療室へ行ってきました☆
マッサージと鍼、ガッツリやってもらいました!!
治療のあとは体育家庭教師へ。。。
時には子どもさんと一緒に公園で縄跳びを跳んでいるものまねアスリート芸人・三上高史です♪
さて、夕食は学生時代の同期の治郎丸とパスタを食べに行ってきました(^_^)
このブログでは何度か登場していますが。笑
今日は波乱万丈な陸上人生を送る治郎丸健一について熱く語らせていただきます☆
長文になりますがご容赦下さい(^_^;)
『陸上人物辞典』
治郎丸健一
(じろまるけんいち)
「治郎丸」と書いて
「じろまる」と読みます!!
昭和59年10月1日生まれ。27歳。鳥取県倉吉市出身。
由良育英高校(現:鳥取中央育英高校)→駒澤大学→会社員→大分東明高校職員→日清食品グループ
自己ベスト
5000m 13分57秒57
10000m 28分16秒49
●サッカー少年から陸上へ転身
~倉吉市立東中学時代~
小学校時代はサッカーに明け暮れていた治郎丸少年。中学1年の11月にサッカーから陸上に転向。
全国大会の出場はなりませんでしたが、鳥取県内では名の知れた存在で高校は県内の強豪・由良育英高校へ進学するのでした。(現:鳥取中央育英高校)
●都大路を翔ける!!
~由良育英高校時代~
由良育英高校。新聞部が有名だったり、漫画家の青山剛昌氏の母校だったりしますが、駅伝も強いです。現在は鳥取中央育英高校と校名変更しました。
高校時代は同学年のエース・岡本直己選手(明治大学→中国電力)に次いで準エースとして活躍。高校3年の都大路では準エース区間の3区を走り区間8位と好走しました。
トラックでインターハイ出場は叶いませんでしたが、ロードや駅伝ではきっちり結果を残し高校時代から長い距離やロードに強い選手でした。
●山あり谷ありで掴んだ箱根駅伝!!
~駒澤大学時代~
前年まで箱根駅伝で連覇を果たしている駅伝の強豪・駒澤大学へ入学しました。(治郎丸入学後も優勝を重ねチームは四連覇を達成)
高校時代とは比較にならない練習量・質や慣れない環境の影響もあってか大学1~2年の頃は喘息や故障に苦しみ、満足に走れない日々が続きました。
色々と自分なりの対処法を見出した治郎丸は、大学3年の11月に行われた上尾ハーフで1時間03分46秒の好タイムをマークし、一躍メンバー候補に名乗りを挙げるも選抜合宿で失速し、箱根のエントリーメンバーには入ることができず。そしてチームも5位に終わり、連覇も途絶えました。
そして迎えた大学4年。ラストイヤーに懸ける治郎丸は夏合宿でかつてないほど練習を積むことができました。この夏合宿では当時合宿に参加されていたマラソン元日本記録保持者の藤田敦史さんと40km走を一緒にこなすことができ、本人も自信を持って秋からのロードシーズンを迎えました。
9月に行われた一関国際ハーフマラソンでは韓国から来日した選手とのラスト勝負を制して初優勝を果たしました。当時の治郎丸の5000mのベストは14分28秒。韓国の選手は13分台の記録を持っていましたが、夏合宿で徹底して鍛えた治郎丸は5000m13分台、10000m28分台に匹敵する力をつけていたのです。一躍、チーム内でもメンバー入りどころかエース格まで上がってきました。
ところが・・・11月の全日本大学駅伝では重要区間を予定していましたが、直前の調整練習で思うように調子が上がりません。今度は一転重要区間を外され補欠に回されました。野球でいうと3番、4番、5番のクリーンアップを打つ予定だったのにいきなりベンチに回されたような感じです。
監督はわずかな調子も見逃さず、4年生は1人も使わずにオール3年生以下で挑み、結果・・・全日本大学駅伝は優勝を果たしました。
チームは優勝したものの直前でメンバーから外れた治郎丸は悔しい思いでいっぱいでした。しかもそのあとの選抜合宿では脚を故障。最後の最後でまたもや箱根を走れないのかという中、12月は驚異的な回復を見せ最後の最後でメンバーにすべりこみました。
迎えた最初で最後の箱根駅伝ではアンカー10区を任されました。チームは直前で故障者や体調不良者が出てしまいレース終盤はシード権争いに巻き込まれました。そんな中、治郎丸は冷静でした。23.1kmの長丁場。前半は無理に前を追わずぜ10kmまでは抑えて入り後続の3チームに追いつかれたもののラスト5kmでは渾身のスパートで一気に後続を突き離し、チームの危機を救う力走を見せました。
治郎丸がゴールする直前で実況アナウンサーが「治郎丸が泣いています。」と実況したため、のちに治郎丸は地元の市長さんにも「感動した」とお褒めの言葉をいただいたそうです。
「最初で最後の箱根駅伝でチームの危機を救い、涙の激走」ということで・・・記録はアンカー10区23.1kmで1時間11分57秒・区間5位でしたが、記録よりも記憶に残る力走でした。
さて・・・本当に泣いていたのか、ただ顔の汗をぬぐっただけなのかは本人しか知りません。笑
箱根駅伝が終わってから、実はここから怒涛の勢いでレースに出場していました。
1月だけで箱根を含めて4本レースを走っています。あまり知られていませんが、大活躍の1月でした。
1月3日 箱根駅伝10区・区間5位
1月14日 伊東オレンジビーチマラソン10km(招待)
1月21日 都道府県対抗男子駅伝3区16位(11人抜き)※鳥取県代表
1月28日 厚木駅伝1区区間賞
この厚木駅伝を区切りに現役を引退。卒業後は会社員としての日々を送るのでした。
ところがその後・・・
●市民ランナー
~AC.NANKUL時代~
卒業して1年が経ったとある駅伝大会。というか2月に開催されている日産スタジアム駅伝という大会ですが、そのローカルな市民駅伝に治郎丸の姿がありました。
駒大の1学年上の大川真幸さんがAC.NANKULという市民ランナーチームを立ち上げ、市民駅伝やロードレースに参加していたところ、普通の会社員生活をしていた治郎丸にも声がかかったのです。あ、私、三上高史もこのAC.NANKULで大川さんや治郎丸と一緒に走っていました。
治郎丸が加入したAC.NANKULはとても強く、横田駅伝、伊豆大島サンセットパームライン駅伝、六郷グリーン駅伝などで優勝しました。
ちなみに治郎丸が用事があって走らなかった大会では一度も優勝できませんでした。笑
卒業して2年目の冬、12月の日体大長距離競技会5000mであまり練習していないにもかかわらず14分42秒で走っているところを母校の監督に見つかってしまったそうです。
それがきっかけというわけではありませんが、会社を退職したり色々な紆余曲折を経て、翌春から大分県・大分東明高校職員として採用され高校生を練習で引っ張るプレイングコーチに就任することになりました。
ちなみに、AC.NANKUL時代にRUNNETで治郎丸が特集された貴重な記事がありますので、ご覧ください。
http://runnet.jp/news/main.php?_num=128
ちなみに、AC.NANKULは現在は冬眠中です。。。笑
●実業団選手より強い高校職員
~大分東明高校職員時代~
縁もゆかりもない大分の地で新たなスタートを切った治郎丸ですが、寮監として高校生と寝食を共にし慣れない日々が続きました。一度、都会の生活を経験をしてしまって社会人生活を送ったあとに修行僧のように高校生と陸上だけを考えて来る日も来る日も走る・・・というのはとても精神的にきつかったそうです。
特に知らない土地ではきついですよね。
転んでもただでは起き上がらないのが治郎丸健一です。秋以降、得意のロードシーズン、ここから快進撃の始まりでした。
九州一周駅伝(昨年からとグランツール九州と改称)という九州各県&山口県の各県代表選手が10日間にわたり襷をつなぐ大会があります。
10日間で1人4回まで走れる特殊な大会です。毎年、旭化成率いる宮崎県、九電工・安川電気・トヨタ自動車九州の実業団チームを中心の福岡県がしのぎを削ります。
大分県は実業団チームがない中、治郎丸は孤軍奮闘し、なんと4回走って4回とも区間賞(うち1回は区間新記録)で大会の新人賞を獲得しました。
実業団選手に大差をつけての区間賞連発は関係者を驚かせました。
その後、甲佐10マイル、大分合同ロードレース、都道府県対抗男子駅伝で活躍しました。
そして翌年から実業団の強豪・日清食品グループへ加入が決まったのです。
それでは、大分東明高校職員時代の貴重な記事をご覧下さい。
http://www.nishinippon.co.jp/nsp/ekiden/2009/oita/kiji/20091023/20091023_0003.shtml
●日の丸を目指す治郎丸
~日清食品グループ陸上競技部~
日清食品グループ陸上競技部で今年度からキャプテンを務める治郎丸健一。
駅伝・トラック・ロードと幅広く活躍しています。
これからのますますの活躍を期待したいですね!
日清食品グループ陸上競技部
http://www.nissinfoods-holdings.co.jp/rikujo/
おまけ・・・
喫茶店でカフェオレを飲む治郎丸健一君です。
次回の出場レースは6月9日(土)日本選手権10000mです!!
ロンドンオリンピック代表のかかる大一番です☆
会場は大阪・長居陸上競技場です。
お近くにお住まいの陸上ファンの方、ぜひ会場で応援してあげて下さい(^∇^)
お近くにお住まいでない方も心の中で応援してあげて下さい♪
日本陸上競技選手権・公式ホームページ
以上、陸上人物辞典~治郎丸健一~
お送りいたしました。
明日は前橋・ものまね市場OLIVIAです♪
自分も同期の活躍に負けないように頑張ります!!