横書き登場 ―日本語表記の近代/屋名池誠 | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

雑食性のレビュー好きが、独断と偏見でレビューをぶちかまします。

古今東西の本も音楽も映画も片っ端から読み倒し、見倒し、ガンガンレビューをしていきます。

森羅万象系ブログを目指して日々精進です。





2003年 岩波書店(岩波新書)

いまやBlog全盛時代となり
横書き縦書きの主従関係が崩れようとしている時代に
本来日本語の表記方法になかった横書きが
いかにして日本人の中に浸透してきたか。

このあたりを
豊富で綿密な原典調査によって、
徐々に浸透してくる様が手に取るようにわかる仕組みになっている。

そのあたりの内容には不満はない。

しかし、物足りない。

そう、縦書き横書きの合理性の比較なども重要ではあると思うが
縦書きから横書きへの変遷と
「文体」
「内容」
「文脈」
はいかにして現状の形になったのか。

たとえば、旧仮名遣いから新かな遣いへの変換が
一気に左横書き化を促進したとあるが
仮名遣いの変化が文体や内容に大きく変化をもたらしたことは想像に難くない。

また、外来文化の受容による横書き化については語られているが
それだけでいいのだろうか。

文は思想を表し
その表記方法は内容を性格に伝えるための手段である。

コンテンツに触れずしてという部分が不満を感じる。

もうひとつは書字についての言及が弱いことだ。

筆記具の種類の増加と格付けの変化については言及があるが
筆記具の選択の変化による文体の変化と
その変化に相応しい縦書きと横書きの関係性の変遷。
この辺りもしっかりと見ておいて欲しかった。

そして、デジタル時代についての言及はあまりに少なすぎる。

キーボードを叩いて表記するのに当たっての
ローマ字キー=子音/母音分解による書字機能のデジタル化がもたらす影響など
少しでも触れておいて欲しかった。

文章は記録する/機能する
という視点だけではなく
考えたプロセスそのものを記述する道具でもある。
その点について、理科系の頭脳という分析だけでは不満を感じ得ない。

とはいえ、この分野を開拓した功績は評価したい。
もっとこの分野の研究者が増えることを切に祈る。