前篇に続き、後篇に入ります。


さて、ついにやってきた我らの出番。
まずは代表である僕のスピーチ。

雰囲気が分かりやすいので動画をどうぞ。



伝えたいことは、とにかく子供達が楽しくなったり、
なにか感じてもらうことができたら最高だということ。

通訳を介して少しでも伝わっていたら嬉しい。


そして絵本の読み聞かせが始まります。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

こんな感じで僕が絵を見せて、

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

こんな感じでお姉さんが文を読みます。


子供たちはとても真剣に絵を見てくれてました。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ


お姉さんの語りは本当にプロフェッショナルなもので
盛り上げながらかつ飽きさせないように抑揚をつけたり、
ときには過剰なぐらいに感情をこめて子供たちを笑わせていた。




SVAさんのこの事業にこの女性は大きく貢献してるなあと思った。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

絵本ができたときはとても自信があったが、いざ現地の子供達を目の前にすると
やっぱり不安になるもので、

「飽きてないかな?」

「もっと興奮するようなのがいいのかな?

なんて思っていたけど
見てる限りではみんな集中して話を聞いてくれていたと思う。


このお話がこの子供たちの中のだれか一人にでも何か影響を与えたり、
もしくは影響なんて与えなくてもずっと心のどこかに残っていてくれたら最高だなあと思った。


とにかく、僕らの絵本の読み聞かせは無事終わった。

その後はこの施設の先生がSVAさんの指導を受けたうえで実際に子供たちに読み聞かせをしたり、
お姉さんの紙芝居をやったりした。



紙芝居はクメール民話風なもので、殺したり死んだりという生々しいないようだったが
やっぱりそっちも楽しいようでなんとなく文化の違いを感じていた。

読み聞かせの時間も終わり、今度は自由読書の時間に。
車が図書館のようになっているのでそこから好きな本を読んでみるというスタイル。

10冊ほどあった我らが「ブッティくんのごさいのたんじょうび」も完売(?)し、
いろんな子供たちが僕らの本を読んでくれた。

絵が好きなのか、ペラペラめくる子や

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

文章を読むのが好きなのか、じっくりゆっくり読む子など

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ


いろんなパターンがあったけど
子供達が自分たちの本を読んでいるのを見ているのは何となく幸せだった。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

読書タイムが終わると、みんな僕らの前にやってきて
(たぶん)「あそぼー!あそぼー!」
って言ってきた。

谷は大人気で子供たちの間で争奪戦となり、ズボンがずり落ちる事態に見舞われた。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

僕は僕で幾度となく子供を上に抱き上げたり、腕を持ってぶんぶん回してやったり
サッカーしたりと今年最高の運動量を子供たちに捧げた。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

汗まみれ、泥まみれだったけど子供達が本当に楽しそうなの見てると
なんか疲れなかったし、自分も楽しかった。



そんな時間も過ぎてお別れのときが来た。

もちろん初めて会った子供達だけれど、みんなが元気に幸せな人生を送ってほしいと願った。



帰り際、ゴミ山を見学した。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

そしてゴミを集め、加工している人々も見た。

$ごく普通の大学生がフットサルでカンボジア支援に挑戦するブログ

そう、彼らの親だ。

臭くて、汚れる仕事だけど、もらえるお金は本当に少ない。
物価の高いプノンペンで生きていけるのか信じられないような額だ。
本当に陳腐な表現だが過酷だ。

あの施設がなければ子供達も一緒に働き、少しだけでも稼がなければいけなくなる。
学びを得られぬまま成長し、おそらく親と同じような職に就く。

施設は子供を預かる代わりにある程度のお金を支払っている。
だから親も子供を預けることができる。

施設では友達がたくさんいて、満足ではなくとも学ぶ機会や娯楽がある。

そう考えるとあの施設であったりSVAが行っている教育事業は間違いなく
子供達に計り知れない希望を与えている。

そんな働きかけのほんの一部にでもあの絵本が貢献できたらと思った
プノンペンの一日だった。