モンゴルだるまです。
モンゴル語-日本語とか英語とかで、通訳とか翻訳とかで20年ほど稼がせていただいております。
エコツーリズムをモンゴルでやってくために2002年に起業しました。

1990年代は結構、主要な日本政府のODAプロジェクトの予備調査とか開発調査とかの通訳や資料翻訳などに関わらせていただいてました。

文法は大事だなぁ、基礎は大事だよ。
モンゴル語は本質を突き詰めないと、ほんとの意味を表現できないぜ・・・なんて思ってやってきたのですが、驚いた。

20年たっても、「モンゴル語四週間」を読破できない。
説明が難しくて、日本語がよくわからない。
あれー。。。

いわんとしていることはよくわかるんですけどね、私、こんな風に説明、日本語で出来ないよー・・・

扱ってるテキスト、難しいでしょう。

これを独学の人に求める?

と著者の小澤先生本人に言ってしまったこともある。
大学1年の夏休み明けにして、いきなり留年の危機におちいったことのある私は思う。

大学院でも生成文法とかチョムスキー理論とか、一応、やった。

でも、やっぱり文法用語を駆使しての外国語の基礎文法の説明は、ほんと、とっつきにくくてお手上げ状態です。

そんな私ですが、自分なりに法則を見出すのが好きなんです。
というか、そういう授業が我が東京外国語大学にはあるのです。
比較言語学とか言語人類学とか、わけのわからん、辞書どころか文字もないような言語とかを学ぶわけです。
あるいは、自分でオリジナル言語を作ってみる、とか。
まったく基礎もないままで、フィールドに出て、ひとつひとつ単語の意味を関連付けていくとか。

つまり、最初ッから、文法がはっきりした状態で覚えられるってわけではないところで、どうやって外国語を習得するの?っていう視点でアプローチしていくわけですね。

テレビ制作会社に数百人も受けた入社試験で私だけ正規合格させていただいたのも、このへんてこりんな授業でなんとなーくおぼろげながら身につけていたテクニックのおかげで、「辺境地ロケのときに使えそう」っていう理由だったと、あとで社長から聞かされました。

モンゴル語の文法解説書にかじりついたり、学会とか紀要とか論文とかでのモンゴル語言語学研究はそれほど熱心に関心をもってたわけではないのですが、自分が仕事や生活でモンゴル人とガブリ四つにくんずほぐれつ取り組むために有益な文法体系を自分なりに構築することができているのです。

今のモンゴル国で話されているモンゴル語自体が、民主化を転機にしたのか、かなり奔放に変わってきている気がします。どこが?とかっていわれると困るんだけど、大学の授業で習った言葉遣いとちと違う。
新聞とかも同じ出来事が記者によって、微妙に違う表現が使われている。その違いはなんで?

こんな話は、文法の教科書を一字一句嘗め回すように探したって、なっかなか出てこない。
なのに、なんでモンゴル人は普通に受け止めて使ってるの?

こういうことってやっぱり、数多く、実際に使われているモンゴル語の文章と慣れ親しんで、翻訳してみたり、分析してみたり、練習してみたりしないと、ばしーん!ってことはいえない。
てか、研究したところで、やっぱり私は言語学研究で論文書いている人のように、日本語で説明できない。文法用語って難しいんだもん。窮屈なんだもん。
むしろ、数学的というか物理とか化学みたい。言語学って記号を扱うから、理系脳が必要なんじゃないかなぁ?

まずは、文法書に書いてあることは一通り、読み込んだ上でですね、頭、柔らかくしておいたほうがいい。
本に書いてあることと、実際に使われている表現が違うってことで、相手が間違っているって決め付けないほうがいい。

でも、なんか違うなぁ?って疑うことは有効です。モンゴル人自身も間違ってたりすることあるし、あるいは、こういう言い方もある、っていう場合もある。
疑問を持つことで、実態をいろんな角度から吟味できるのだから、Try & errorは数多くやったほうがよいのです。

習い始め、覚えたての人に、モンゴル人は責任追及なんかしないから。
あんまり怖がることもないし、文法用語に支配されなくてもいいんです。

頭をやわらかくした上で、基礎文法は、道路みたいなもんだ、って思えばいい。
道路が最初からある上を通れば楽チンなんだけど、モンゴルみたいな草原地帯は、自分が歩くことで道ができることもある。
ただ、言葉を大切にするってことは、草原を大切にするってことみたいなもので、前人が積み重ねてきたことを踏襲することで、草地を持続的に使えるように、モンゴル語本来の美しさや味わいを楽しみながら使いこなせるようになる。

キリル文字でモンゴル語を学ぶと文法がほんと複雑で難しいのですが、モンゴル文語とかいわれる縦文字モンゴル語だと、文法はむしろシンプル。よしこさんが疑問に思っていらっしゃるような語源や言葉に込められたモンゴル人の想いをくみとるのに役立ちます。

耳で聞いて覚えるのも有効で、実は私も耳で聞き覚えた単語を実用してたりすることも多いのですが、やっぱり、書いて覚えたほうがいいです。

LとかRとかTやDの発音、XとかGとか、Ө、Ү、О、Уみたいに紛らわしい発音など聞き取れなかったり、聞き分けられなかったりすることも多いし、そもそも、カタカナに落とせない、ローマ字にすると気持ち悪い単語が一杯あります。

ウィンドウズでもマックでもキリル文字モンゴル語(ウィンドウズはモンゴル文字も)が標準装備になり、便利になりましたが、初めて遭遇した単語は手書きでメモっておくと記憶しやすいです。私の場合は、手が単語を覚えるってこともあるんですね。

よしこさんのНүүдэлにしても、別に遊牧のことではありません。Нүүх という動詞があります。そっから派生して名詞化したものです。
移動っていうことです。引越しとかね。引越し、移動する人々=нүүдэлчин⇒遊牧民という訳語がついている。
モンゴル人は遊牧民のことはмалчинともいってます。家畜を飼う人⇒牧民・・・そしてモンゴルの場合、粗放的牧畜である遊牧が伝統的なので、そのまま遊牧民といっても当たらずとも遠からず。
遊牧はНүүдэл+мал аж ахуй でНүүдлийн мал аж ахуй といったりします。
このНүүхという動詞に動作の抽象概念を表す接尾辞-дал4をくっつけて、移動という抽象的な行動の名詞を作ってます。
で、「移動の牧畜」で「遊牧」の意になるのですが、ここで、母音もちの七子音というキリル文字のモンゴル語に特有の文法が出てくる。
монголбааварと覚える、7つの子音は前後に母音がある場合、前後どちらかの母音はとる=7子音の前後には母音がひとつだけになる、という決まりごとがあります。
だから、нүүдэл が属格のーийнによって、лの前の母音がとれるんです。

ちなみにнүүхは нүүлгэхで移動させる。
チェスの駒を動かすとか、強制移動とかに使えます。

нүүдэл суудал で小澤先生の辞書には、「遊牧と定着」とありますが、遊牧民の生活パターンでもよく言われます。引越しの日取りを決めたりするときなどですね。
нүү-移動するという動詞と、
суу-座るとか住むという動詞に
それぞれ動詞を抽象名詞化するための接尾辞-дал4がくっついてます。
この二つの移動と居住という単語が熟語となって、「引越し」とか「転居」という意味になるのです。


単語を増やすのと並行して文を作れるようにならないと、やっぱり意味は通じない。
単語だけ並べて、なんとなく意味が通じてる、って言っても、、、ほんとに言いたいこと伝わってるのか?
やっぱり、モンゴル語でつなげるときはどう言うのか?を教えてもらったほうが、その次がスムーズにスッキリ意志を伝えられるようになります。

単語をまず丸暗記、って大変です。
動詞・形容詞・名詞に接尾辞とかいろんなものをくっつけたりして単語を作っていくので、その辺の構造さえわかっていれば、ひとつの単語で、3個、4個、場合によっては10個余りもの単語を習得することができます。暗記しなくても、文法を使えば、するする出てくるし、知らない単語でも、「たぶん、こういう意味だろう」と推測できます。

ただ、私も文法用語が苦手でわずらわしいってことは同感です。
恥ずかしいんだけれど、モンゴル人が花の名前を知ってるようでうろ覚えだけど、薬草としての使い方については、何千種類も知ってるよ、というのと似ています。
そして、私はエコツーリズムのガイドとして、花の名前と生態、使い方や地元での関わり方などをいろんな視点で学んでいます。花の名前だけ覚えるよりも旅が面白くなるからです。
モンゴル語との付き合いも、そんな生きた言葉との出会いを求める旅がしたいっていうモチベーションが今の自分を作っている気がします。

そういう意味では、モンゴル旅行のために究極のガイドブックはないけれど、「地球の歩き方」はないよりはまし、という程度に、モンゴル語の文法書も有効なんじゃなかろうか?

てなわけで、久々に「モンゴル語四週間」を読んでみたら、説明の用語はさっぱりわからんが、「こういう意味で使う」みたいな構文説明の精一杯さは、秀逸であることに気づきました。

食わず嫌いはいけませんね。でも、速読の私でも、とても四週間もこの本とはつきあいきれないって思った。
でも、持っていたほうがいいです。突っ込みどころが満載で、自分でがんばらなきゃっていう気になります。

ということも小澤先生に言ったら、「君は現地にバンバン行ってるんだから、どんどん実践して直していきなさい」って言われました。自由にモンゴルを行き来することも、十分な文献もない中で、中世モンゴル語の文献を頼りにモンゴル語学を構築していった先人はやっぱりすごいです。

私は、自分が仕事で使えるようになりさえすれば、それでいいや、ってアプローチですが、こういった文法研究に一生をささげている研究者の方はすごいなぁ、って尊敬しちゃう。

最近はモンゴル語の言語研究も進んできていて、沢山論文も発表されているから、ぜひそういったものもかじってみてください。難しいけど、へぇ!っていうトリビアが一杯詰まっています。

モンゴル語四週間 増補/小沢 重男

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