約2ヶ月ぶりに日曜日らしい日曜日を過ごすことができました。
危うく遅刻で締め出しくらっちゃいそうになったミサも、ギリギリセーフ。
パンプスでダッシュしたら、足の裏、マメが出来ちゃった(・・。)ゞ

我が家のお風呂はやたらとでかく(とある日本人留学生の友達曰く、「ラブホテルみたい・・・」)、なかなかお湯がたまらないのです。
かつ、今回はなんと、お湯はガンガン出るけれど、水が出ない!という変則パターンの断水だったせいで、お風呂場はサウナ状態!水温が50度近くあったので、今度は冷まさねばならなくって、、、せっかくためたお湯を無駄にするのも悔しいから、と、ぐずぐずしていたら、10時20分!!

でも入るだけ、入って、ドライヤー全開で乾かして、おめかしして、ダッシュ!ダッシュ!ダーッシュ!!

教会に入る道路が一方通行だらけのあみだくじみたいな場所なので、タクシーでいくよりも走ったほうが速い!

自分でも信じられないんだけれど、子供の頃の持久走並に速かったっす。
約2kmの道のりを13分って、パンプス履いて、コートを抱えて、聖書を持って、だったら悪くない。自分的には。

こういうギリギリなことをやった上に、賛美歌で飛び跳ねたからマメができちゃったわけですがw

なんでも先週だかに、クリスチャンの青年有志の大きなワークショップがあったらしく、その報告と、キリストの奇跡体験の共有(「証言」ゲルチルトっていう時間)の時間がたっぷりあって、面白かったです。
モンゴル人のスピーチって独特で、時々、その自己中心的なロジックや、感極まって泣きながら「証言」しちゃってたり、もう神がかりになってしまう人がいるので、信仰のない人や慣れない人は、ちょっと「引く」かもしれない・・・。
でも、モンゴル語の勉強にもなったりするので私は楽しんでいます。

日常の何気ないことも、クリスチャン精神で、神様の啓示だ!と思って受け止めると、キラキラと感謝に満ち溢れて生きられるのねぇって。

私にも神様のご加護があっての日々なのねぇ。なんてw

ほんと、どん底から這い上がってきた、というよりは、たった一つのことを受け入れたら、簡単に全てが解決してしまったわけで、これもまた啓示かなぁ。

つまりは、「汝の敵を愛せよ」ということ。
「許す」ということを完全に受け入れるだけで、自分自身の迷いがなくなり、全てはお望みのまま。

なので、これからは適切なタイミングで適切に望むことで、全てがうまく行く、というわけ。
真剣にいろいろなことを見つめ、感じることで、これから本当の自分らしい生き方がひらかれていくのです。

なので、これからどうするか、は私にとって大きな課題。

いろいろとモンゴルの法律が変更され、外国人がこの国で会社経営をしていくのは決して簡単なことではなくなっています。
金鉱山開発のおかげでGDPはうなぎのぼりで上昇しているけれど、だからといって、ほんとに庶民の生活水準が底上げされたかっていうとそういうわけではないし。

モンゴルにしがみつく、という生き方ではない、何かが自分の中でうごめいてる気がする今日この頃。
これまでも「しがみつかなきゃ」、とか「モンゴルでしか仕事がない、生活できない」という状況であったことはなく、別にどこでもいいやぁ、という流れのままにモンゴルにいたわけですが、これからは、きちんと見つめ、しっかりと自分の足で踏みしめ、仕事を育てていかなければいけないわけです。

日本に拠点を持つこと。これはもともと寒くなったら、渡り鳥のように日本に戻り、日本で出来るお仕事を精一杯やりながら、心と体のリフレッシュとパワーチャージをしたい、と思っていたのですから、何はともあれ必要なこと。

テレビや映像の制作も相変わらず好きだから、センスや勘、フットワークをブラッシュアップしなきゃいけないな。

あとは諸々のODAやビジネス関連など専門性を持った、このモンゴル語力とコーディネーターとしての経験を活用すべく、いくつかの通訳派遣会社の試験を受けたり、登録をしていきたいって思っています。

他には、やはりモノを書く仕事を、積極的に増やしていきます。

これまでの憑き物をしっかり落として、というか古い殻を破って、新たな道を自分が進んでいくこと。
これ、大事。

夏中かけて、旅人としての感動を取り戻したのだから、秋は、沖縄を皮切りに一人旅のバイタリティを動かしていこう。今まで全国各地、世界各国にいる仲間のところを訪れることで、普通のツアー企画では味わえない楽しさや魅力を堪能してきましたが、やっぱり原点に戻って、あてどない旅での出逢い力を鍛えるゾ!

勉強ももっともっとしたいこと、研究して論文をまとめてっていうこともやりたいテーマが出てきたので、ちょっと真面目に論文などに目を通したりしたいな。

本もむさぼりたいし。音楽も聴きたい。泳ぎたい!体を動かすっていうのは、ここ数日、とみに大事だなって実感。走ること、力持ちになること。右ひじは相変わらず痛いけれど、でも鍛えないわけにはいかない。

自分の体重を言い訳やあきらめの原因にしたくないっていうのを痛切に感じているのです。
重力に逆らうというよりは、お金などだけでなく、自分に不必要なものはどんどんそぎ落としいていくべきだってw

小さなことから大きなことまで、動かす力が自分の内部に備わっているのを感じる今日この頃。

時々、こんなにうまくいっちゃってて、いいんだろうか?って疑問がわいてくるときがあります。
そんなときは、川平慈英さんのように「イインデス!!」と力強く肯定しちゃったほうが断然、いいに決まってる!
うまくいってるのは、うまく行くべきだからで、それは私が望んだことだから。
だから、もう不安になったりしないで、そのままを受け入れていこうって決めたのです。

モンゴルはタフな国だから、わずかなためらいや油断に容赦はないってつくづく思う。
でも逆にいえば、自分はもっともっとタフになれるし、成長できるってことを実感させてくれる国でもあります。

モンゴル人に騙された!っていう日本の方、つくづく、いっぱいいるんだなぁって感じるのは残念なことだけれど、それでも皆さん、モンゴルと繋がり続けているのは、その残念な出来事から人生の大切な何かを発見し、人間的にも成長しながら、この国を好きでいるからなのだと思ったり。

モンゴルにいるときに考える「これからどうしよう?」は日本に帰ってから、日本という空気の中で考えるのとは、なぜか全然違うのです。

モンゴルにいると、「この国で何をどうやってやろうか?」と仕事を作ることを考えます。あるいは、「こういう仕事、したいなぁ」って。そういうイメージが、次々にわいては実現していく。

日本にいると、「この仕事、できるかなぁ?」って少しの不安とお金の必要性を抱えながら、えいって飛び込んで仕事をゲット。仕事に就くことを考えます。一緒に働く人たちとのコミュニケーションのひとつひとつが私にとってはとても新鮮でエネルギーとして吸収されていくことを幸せと感じる。

何よりも日本にいると大好きな、大切な人と、すぐに会えちゃう。
電話で話すってことはあまりしないから、会えるっていうのは、私にとって、とても、とても大切なこと。
メールは簡単すぎて、距離が縮まらない。
手紙はちょっと恥ずかしい。なんででしょうね?そんな難しいことじゃないのにね。

やっぱり、一緒の空気を吸って、呼吸して、体温を感じて、瞳を見つめて、ポンポンポーンと直接、心のキャッチボールができる距離感が何よりも大事。
そして、それは日本で感じたいこと。

モンゴルだけじゃだめになっちゃったのは、何よりもその辺なのです。
自分の中で、モンゴルと日本の距離の遠さを、あんまり不安要素にしたくないんだけれど、それでも、離れているから不安、っていうのではなく、近くにいることで生まれるものを渇望する気持ちが強くなってきちゃっているってこと。

仕事はもちろん、まだまだモンゴルに貢献していかなきゃいけないし、貢献できるし、貢献したいのです。

でも、それとは別に、大好きな、愛する人たちと会うことで、私ができること、それもまたいっぱい、いっぱいあるんだってこと。

こんな風に、日本で暮らす自分をイメージしたのは、実は人生で初めて。

17歳からずーっと外に、外にと広がっていった私の世界。
家から離れる、肉親から離れる生活は2歳からスタート。だからホームシックなんてかからないって思っていたけれど、去年の家族のサポートを受けてから、あらためて家族ってすばらしいなぁ、大切にしたいなぁって素直に思うようになりました。

日本を拠点に、日本だけっていうことはありえないけれど、日本の素晴らしさを十分に吸収しながら、モンゴルやその他の世界と繋がっていけたら、最高!

もっともっと心を柔軟に、解放していくために、これから、私は心のストレッチとパワートレーニングを始めます。

あ、もちろん、体の方のトレーニングもねw