珍味「クマの手」64個を密輸、中国人を逮捕
 中国の警察当局は、珍味や漢方として取引されるクマの手64個を密輸した疑いで、中国人の男1人を逮捕した.........≪続きを読む≫



モンゴルでも、クマとオオカミは捨てるところがない特効薬」&「お守りです。

オオカミはモンゴル人にとって、家畜を襲う敵でありながら、信仰の対象でもあります。

クマは正吉君たち、タイガに暮らす人たちにとっては、「イレイ(おじさん)」と隠語で呼ぶほど、「山の主」信仰があります。

信仰しつつもやっぱり、ハイリスク・ハイリターンな狩猟の獲物であるため、あの手・この手を使って狙います。

クマ(北の森にいるのはグリズリー(ヒグマくらいでかい)狩りは、狩人自身に襲い掛かってくるため、人間や猟犬の命の危険を冒す度胸と腕に自信のあるものだけがクマ狩りに参加できるのです。

オオカミなんざは、モンゴル全国各地にうじゃうじゃいるし、東部地方で数が減少しているから狩猟禁止にするなんていってますが、最近では、ヒマと金をもてあましたモンゴル人や在留外国人が冬のレジャーとかいって、ジープで追いまわしたり、よってたかったオオカミ狩りは「男のステイタス」とばかりに雪原でしとめまくってます。

クマも、「熊の胆」と「熊の手」が中国密輸商人が買い漁っていたため、1990年代初頭の市場経済化が始まってから乱獲され、激減。
おまけに、冬眠中を襲うため、さらに激減。
クマは冬眠中の巣穴で出産します。そして、乳離れして、母熊と別れるまでの期間も長いです。
巣穴で雌雄の区別まではわからないから、子連れの母クマを捕ってしまうことも多いでしょう。

クマは右利きが多いらしく、右手の方が掌が大きくて値段も高くなるんだそうです。

モンゴルでは、冬眠中に出産(しかも双子が多いとききます)する=惰眠をむさぼったまま出産・子育てしちゃう→クマは安産型=クマのように安産できるように・・・ということで、妊婦のおなかをクマの手でさするというおまじないがあります。
以前、モンゴル人美人妻と二人のお子さんとラブリーな家庭を築いている家丸さんからもコメントいただいてますね。

モンゴルでのクマの手の仕入れ価格をきいたことがありますが、
「そんなに安いなら、おれも仕入れに行こう」という不埒な輩がモンゴルで乱獲に拍車をかけてしまう危険性もあるので詳しくは言えないけれど…(調査して把握はしてますけど)中国では、そんなにも高額取引されているのか・・・。

モンゴル人には言えないよ・・・絶対クマ狩り行くっていいだすもん。。。

環境保全、野生生物保護の理念と、自然が身近な暮らしを営む人の生計をたてる手段が矛盾しすぎだよなー。


クマの胆や右手や毛皮は商品として、肉や残った内臓は、狩人の家族が薬や食糧として使います。
肉は臭くて、固くて、容易に噛み切れないけれど、体がすごく温まり、腹もちもいいのです。
1頭しとめれば3-5世帯の集落なら2か月は食べ物の不安はなくなります。
しとめた狩人たちは「商品」を売って得た現金を山分け。
でも、すぐになくなっちゃう。

昔は一つの山や谷筋の沢ごとに、クマの爪痕や足跡をみかけたものですが、ほんと、ここ5年くらい、モンゴルの森や山でクマの気配を感じることも、ほとんどありません。

モラルの低い密輸商人がいて、年がら年中、生活がせっぱつまった崖っぷちで、善悪よりも生きるか、死ぬかを判断しなければいけない狩人たちが、密猟するしかなくなっている。

かつて、100年前くらいまでは、自然と共存し、自然からの恵みを「分けていただく」という気持ちで、自分たちが生きるために必要な命を奪っていた狩人は、集落でも尊敬されていました。

でも、今は、「政府」や「国」が定めた法律によって、目ん玉が飛び出るくらい高い罰金や許可料が科せられる。
伝統的な狩人たちは、財産を持たない、貯めこまないことで、自然の主から「獲物」を分けてもらっていた人たちであるため、どんなに狩りが上手でも富裕層に属すことはなかったのです。
蓄えを持つことをよしとしなくても、社会主義時代は、国が狩猟組合のメンバーとして給料を払っていたから、生活の保障がされていました。
市場経済制になった途端に、なんの備えもないまま、国から放り出され、狩猟すれば税金が取られ、密猟者として投獄され、一族郎党が一生かかっても払えないような罰金が科せられるようになりました。

国の制度が変わったために、尊敬されていた名ハンターから、いきなり犯罪者にされてしまった人たち。

それまで国が給料だけしか払っていなかった狩猟という生業が、密売人と接触し、禁猟とされた、昔は日常的にしとめていた獲物が、昔の給料以上に「商品」として現金収入源に変わりました。

狩人は、「昔、国がわしらに強制的にやらせていた危険な狩猟を、わしらが自分の意志で命を賭けてやって、仕留めた獲物を国のかわりに買い取ってくれる商人に売ってるだけだ。それのどこが悪い?」と自分や家族に言い聞かせるのです。

山の主の怒りをヒシヒシと感じながら、それでも他に自分が家族を養い、生き延びる術はない。怖いのは、国が下すバツではなく、自然界からの制裁である。

乱獲による環境破壊によって人間が受ける制裁の怖さを知りながら、それでも生きるために法を破るしかなくなった彼らを、ウィークエンドの暇つぶしにハンティングをやり、外国人ハンターから何千ドル、何万ドルもの狩猟許可料を取っている国が罰したり、犯罪者扱いしたり、「貧困層」だの「遅れた野蛮人」だのとレッテルをはるという現実がモンゴルにはあります。

中国でのクマの手の密輸の背景にも、きっと同じように貧しい一攫千金で、サバイバルするしかない密猟者がいて、やむにやまれぬ商売人がいる・・・かもしれません。

環境保護や野生生物保護の活動に一生懸命に取り組みつつも、同時に、生き延びるために環境破壊が悪いこと、乱獲が罪深いことと知りつつ、あえて自分の罪悪感をかなぐり捨てて家族を養っている人たちもいとおしく、守っていきたい、という矛盾する自分がいます。

貧しく弱い人たちは、「国が自分たちから奪った伝統的な生計手段の保障をすべき」なんて、学のある、人権主張なんてできません。

だから、外国の有名で優秀な大学や大学院に、国のお金や外国からの援助や奨学金をもらって学位をとって、人脈やお金などはかりしれない財産を築いて帰ってくる元留学生の官僚や政治家やビジネスマンのように「頭がよい」勝ち組のモンゴル人の皆さん達が、先進国の人たちと仲良くするだけでなく、まともな教育機会を得ることなく、生活の窮乏にあえいでいる同胞が、法律違反を犯すことなく、伝統的な生活を守りながら、自然と共存共栄できる制度を生み出してほしいと切実に願います。

モンゴル人の未来は、私たち外国人ではなく、やっぱりモンゴル人自らが、モンゴル人のために、かつ外国人から与えられる(あるいは奪う)ものではない事物を使って、創ってほしいのです。

密猟で一攫千金を儲けているのは、密輸商人ではなく、案外、国の役人だったりしてね。